こっこ

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6/25/2025, 7:05:11 AM

空はこんなにも


「ねえ、ママ。空はこんなにも広いんだよ。顔を上げてみて。」
そう娘にうながされて、一気に視界が開けた。
この数年間、下ばかり見ていて空を仰ぎ見るなんて皆無だった。
カーテンも閉めたままだった。
心を閉ざしていた。
人にされて嫌だったこと。苦しかったこと。自分も人に嫌な思いをさせたのではないかという不安感。母が癌で亡くなったこと。その他諸々のことで、頭の中はずっと暗雲が立ち込めていた。心がずっと重かった。
空がこんなにも広くて、美しいことすら気付けないでいた。
暗い沈んだ気持ちは、今日まで堂々巡りで悩みの底に沈んでしまっていた。
私の様子があまりにおかしかったのか、娘の夏美は近所の公園に私を連れ出した。
太陽が煌めく、真夏日だったのを覚えている。
顔を上げた私は、今日からこの広い広い空の、ぽっかりと浮かんだ雲のように、自然に身を任せて生きていきたいと思った。強く…強く思った。
人生なるようになるさ…。
娘から肩をぽんと叩かれた気がした。
ちっぽけな世界でもいい。これからは、顔を上げてこんなにも広い宇宙(そら)と共に歩もう。
昨日の私にさよならを告げて。
歩き出した私は、今幸せをかみしめている。
夏美の言葉を胸に抱きながら…。


6/10/2025, 12:50:13 AM

どうしてこの世界は


人はとかく、どうしてこの世界は…などと嘆きがちだ。
かつての私も、そうであった。
理不尽なことに、一喜一憂していた。怒りさえ、沸き起こることも多かった。
人生の折り返し地点と言うのだろうか…、50歳を境に少しずつ自分の中で変化が生まれた。
「五十にして天命を知る」とは、いささか大袈裟であるが、まさにその境地なのである。
人生山あり谷あり谷あり谷あり…だった私を、一番身近な娘や息子(旦那様はおりません)孫までもが、日々をこの世界を色鮮やかな景色に変えてくれた。
勿論、人任せばかりではないことを、少し付け加えさせて頂きたい。
心理学の本を図書館で読み漁った。Youtubeの「はもしょう」さんのチャンネルを観させて頂いたり…日々の新聞のコラムで様々な発見があったり、偉人の話しに感動したり、自然のありがたさを近所に咲く野花を愛でてかんじたり、水道を捻れば水が飲めるという日本の優秀なインフラに感謝したり…数え上げればきりがないのである。
明石家さんまさんは、「生きてるだけで丸儲け」とは名言過ぎる。
さんまさんは近親者を亡くされた苦労人。器が大きいのだろう。(私とは大違い(泣))
この世界は、戦争や貧困に苦しむ方々が現存するいたたまれない世界でもある。
学校や友達、先生や親兄弟…仕事や仕事仲間、SNSでの繋がり…嫌気がさす日々も多いかもしれない。
そんなとき、ちょっとだけ角度を変えて、好きな曲を聴いたり、好きなアニメや漫画に没頭したり、映画館に足を運んでみたり、Youtubeで面白い動画を観たり、良書に触れたり、コンビニで甘いスイーツをひとつ買ったり、ジャンクフードを思いっきり食べてみたり、バナナジュースを作って飲んだり、好きな楽器があれば演奏したり、楽器が無ければアプリでピアノやギター様々な楽器を奏でたり、大声で流行りの歌を唄ったり…。ただただ眠ったり…。
外を散歩したり。
空を見上げれば、どこまでもどこまでも広い。木々も風も季節を運んでくれる。どうしてこの世界は、こんなにも素晴らしいのだろう。
宇宙空間を即感じたい方には、プラネタリウムをおすすめしたい。
私がそうであったように、どうか1人でも多くの方が、どうしてこの世界は…と俯く日々がなくなりますように。
心からのエールを…。


5/24/2025, 2:39:33 PM




歌の無い人生なんて…。
考えられないし、生きていけない。
子守唄は歌って貰ったか定かではないが、自分の子供が生まれた時には自然と子守唄を口ずさんでいた。
童謡も良い。開業してすぐの、オーチャードホールで森山良子さんの「ふるさと」を聴いて涙した。
そう言えば、高校生になって、アルバイトも出来たから国立のリバプールや渋谷のeggman新宿ルイード…ライブハウスも通った。
洋楽も好きで、武道館には何度足を運んだだろう。
大きい箱も小さな箱も魅力的だ。
あまり大きい声では言えないが、高校生の頃、花の金曜日と銘打っては新宿、渋谷のディスコに通い詰めた。
ユーロビートに合わせて踊った。
眠る前は、自分のお気に入りをカセットテープに吹き込んだWalkmanが相棒だった。
学校にも連れていって、授業中こっそり聴くこともあった。
音楽番組も大好きで、TBSのザ・ベストテンや日テレの歌のトップテン、フジテレビの夜のヒットスタジオ、NHKのレッツゴーヤングも見逃せなかった。
ラジオではFMが音が良いから、良く録音した。米軍基地ラジオのFEN(現AFN)は音より流れてくる音楽重視だった。
演歌も良い。日本のバラードだ。
岩手県出身で民謡も歌えたサブちゃんの歌が十八番の亡き父や、歌はあまり得意ではないが、父と同郷の亡き母の藤あや子さんの紫慕情など思い出深い。
ポップス、フォーク、ロック、ジャズはもとより、シャンソンもレゲエもラップもゴスペルもEDMもビートボックスもオペラもミュージカルも長唄もアニソンも昭和歌謡も…。
民族音楽も。愛して愛してやまない。
こんなに歌が好きなのに、歌を忘れたカナリアの時代もあった。
乳飲み子の長男と2歳上の長女と私。3人の暮らしの時だ。
ゆっくり歌を聴く余裕がなかった。
今は好きなだけ歌を唄えるし、聴くことが出来る。
なんて幸せな日々だろう。
歌を忘れたカナリアは、あの歌詞に込められた想いのように、広い空の下で今日も歌っている。
そして明日も歌うだろう。






5/17/2025, 6:03:20 AM

手放す勇気


手放す…とは断捨離のように物だけに限らず、心の持ちようもあるだろう。
つい最近、大切に思っていた友人と喧嘩別れしそうになった。暫く私はモヤモヤが止まらないでいた。
恨み節が多かったこの私を、もう忘れなさいよ…。そんな感情手放しなさいよ…。
と背中を押して頂いた本がある。Panasonic創業者の松下幸之助さんの名著「道をひらく」だ。
ともすると、ビジネス指南書だろうと括られがちだが章ごとの短いエッセイの中に、「人とはこうありたいものだ」という松下幸之助さんの強いメッセージを感じとれる。
また、苦労人の著者の人間性が随所に垣間見える。
その一節がこれだ。
〜花は桜だけ、木は杉だけ、鳥はウグイスだけ。それはそれなりの風情はあろうけれども、この日本の山野に、もしこれだけの種類しかなかったとしたら、とてもこの自然のゆたかさは生まれ出てこなかったであろう。
 いろいろの花があってよかった。さまざまの木があってよかった。たくさんの鳥があってよかった。自然の理のありがたさである。人もまたさまざま。さまざまの人があればこそ、ゆたかな働きも生み出されてくる。自分と他人とは、顔もちがえば気性もちがう。好みもちがう。それでよいのである。ちがうことをなげくよりも、そのちがうことのなかに無限の妙味を感じたい。無限のゆたかさを感じたい。そして、人それぞれに力をつくし、人それぞれに助け合いたい。
 いろいろの人があってよかった。さまざまの人があってよかった……。(原文まま)
先人に胸を撃ち抜かれた私は、手放す勇気を貰った。
すぐに勇気を出して、こちらから連絡をとった。
大切な友達は、大切なまま私と共にある。




      
  
 

5/16/2025, 4:23:23 AM

光輝け、暗闇で


私はお笑いが好きだ。
お笑い芸人さんを、心から尊敬してやまない。
古典も素晴らしい。落語家さんも講談師(笑いでは括れない部分もあるが)の方々も尊敬しかない。
かの喜劇王チャップリンの伝記は感動で胸がいっぱいになった。人を笑わせることが出来るって、なんて素晴らしいのだろう。
鬱々とした日々を、死にたいとまで考えたあの日、光の速度で照らし出してくれたのは、皆お笑いの方々だった。
感謝してもしきれないのである。
芸人さんが、陰でどんな嫌な思いをされても、売れなくて必死にもがいていても、ひとたび舞台に上がればたちまち爆笑の渦と化す。
すべる日もあるかもしれない。
悶々とする日々を送られていることもあろう。
そんな芸人さんの方々が、光輝く瞬間を見るのがこの上なく嬉しい。
女芸人さんグランプリを決める「THE W」やピン芸人さんグランプリを輩出する「R−1」、漫才グランプリを決定する年末の風物詩「M−1」
阿佐ヶ谷姉妹さんも友田オレさんも中川家さんも面白過ぎる。ここへ来てまさかの「さん」づけである。いや「様」と呼びたい位だ。
大御所の方々は当たり前だが名人の域を越えていらっしゃる。たけしさんやさんまさん、タモリさんしかり。大御所ではないけれどナイツさんと清水ミチコさんのラジオも最高だ。
清水ミチコさんの武道館Liveは見逃せない。
見取り図さんなんか、お二人ともずば抜けた才能なのではないだろうか。
一発屋と呼ばれる、芸人さんだって。一発当てただけでも相当凄い。当てられない人が山程いるのに…。
話を戻すが、どのレースも人生がかかっていて、時には涙してしまう。
その方々に人生でどんな暗闇があったかと、思うと泣けてくる。
固有名詞を上げて、絶賛したいがとても書ききれないので、又の機会を。
長いトンネルも必ず出口がある。今自信を失くしかけている全ての芸人さんに…。
今いる場所でも良い。「光輝け!暗闇で」と心からのエールをおくりたい。
何様だよ〜(笑)と、つっこまれるのも覚悟の上である。



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