キャンドル
キャンドルと聞いてイメージするのは、礼拝堂や素敵なレストラン、お洒落なお部屋に灯るアロマキャンドル…。私の思い出に残るキャンドルの話はこうだ。
残業続きで、家で子供達とゆっくり食事をとる時間もなかったある日の夜、食卓を囲んで「今日はママの唐揚げ、久々だ〜。」と喜ぶ子供達の声を聞いた瞬間、真っ暗闇の世界に…。停電か?とすぐ思った私の脳裏をかすめたのは…あ、もしかして電気代払うの忘れてたかも知れない…。
滞納なんて、私としたことが…。あーやんなっちゃう。
そんな私の心の声もどこえやら、イレギュラーな事が楽しくて仕方ない二人の子供は「きゃー。まっくら!まっくら!お化け屋敷みたいー。」
と笑っちゃう程ダメージゼロだ。
急いでお仏壇のロウソクに火をつけて、ユラユラと揺らめく炎を見ながら、3人で「たまには、こういうのもイイね。」
と肩寄せ合って食べたあの日を懐かしく思う。
ロマンチックさはかけらもないけれど、子どもの無邪気さに救われた私の中ではトップスリーに入るエピソード。
翌日朝イチでコンビニに走ったのを覚えている。
キャンドル…。明るく照らしてくれるだけでなく、あたたかい温もりまで持ち合わせている。
お仏壇のロウソクもしかりである。
永遠に
永遠に…。素敵な響きだ。誰かに言ってみたいし、言われてみたい。手紙やメッセージカードに添えられていたら、私にとっては凄い破壊力だ。
その時気になる相性が良すぎるお相手なら、「はい、よろこんで。」と速攻恋に落ちるやつだ。
年代で括るのはどうかと内心思うが、昭和生まれだから尚更かもしれない。
令和生まれの方々には、刺さらない言葉であるのだろうか。
手紙とか、逆に重いのかもしれない。
年代とか関係無いです!という令和生まれの方もいるはずだ。その点は失礼します…自論をお許し願いたい。
それらをふまえて。
永遠に…。
素敵な言葉だと思う一方で…実は、永遠に…ほど罪な言葉もないかもしれないのである。
永遠の愛を誓った恋人とは、すぐお別れしたり…。
結婚式で「永遠にともに」をピアノで弾き語って別れた有名人しかり。
何を隠そう、人前式、三々九度で夫婦の契りを交わした私も色々あって離婚している。
あ、コブクロは何一つ悪くなくて…あのヒット曲が結婚式で避けられる事態は寧ろ被害者だ。
老婆心ながら…名曲も多いのに、全くお気の毒にと思わずにいられない。
私は、結局のところ「永遠に」という言葉を半信半疑で見ていながら、強く憧れているのだろう。
とわに…えいえんに。
紅茶の香り
ダージリン、アッサム、アールグレイ、イングリッシュブレックファースト。
数ある紅茶の中でも、アールグレイが一番好みだ。
あの香りと琥珀色に魅了されている。
紅茶を本格的に嗜む方々は、茶葉から淹れる方が大半だろうか。
私は気軽に、ティーバッグで頂いている。
フルーツフレーバーも美味しい。
かつて私に旦那様がいた頃…国立駅の大学通りから左に入った細い道沿いに紅茶専門店があった。
その時分は私も、贈答品や自分用にそのお店に通ったものだ。
3時のおやつと共に紅茶で一息つく一人のひととき。
紅茶の香りとともに、懐かしい思い出も蘇る。
いい思い出も、苦い思い出も…。
優しい人だったけれど、結局お別れしたのは私も未熟で相手のことを考える余裕が無かった。
彼も彼で自由過ぎる一面があった。
私が思うには、離婚は、一方的にどちらかが悪いというのはほんの一握りで、喧嘩両成敗よろしくお互いハーフ&ハーフ(飲み物繋がり)言い分があるのだろう…経験者は語る…なのである。
ひょっとしたら巷でも憧れの国立マダムになっていたかも知れない、紅茶に纏わる西武線沿線に住む名もなきマダム(!?)の独り言。
友達
友達なんていらない…。と思った事があるだろうか。
私は…ある。
人付き合いは得意な方だと思って生きてきた。そんな私が、人間関係リセット症候群かと悩むほど、人と関わりたく無くなった。
ただ、ただ疲れてしまった。
理由は沢山あるが、秘めておきたい。
だから、今は付き合いがある人が片手に満たない程だ。
でも居心地は良くなった。
自分を分かって貰いたいなんて、傲慢なのかもしれない。
だから、もう分かって貰わなくていい。
丁度良い距離で、付き合っていける友達が1番楽だ。
小学生の頃から知っていて、中学高校まで一緒だった女友達を大切に思っている。
もう少し歳を重ねたら、又友達が増えるだろうか。
未来に期待もしつつ、今の友達で充分だと思える私がいる。
究極、一人でも生きていけるように準備を整えている。
これも一つの終活なのかも…。
少し気が早いかな…?と晩秋に想う。