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2/18/2023, 12:00:51 PM

「あはは。見つけちゃったんだ?」
 背後から手が伸びて、持っていた写真を奪い取られる。振り返ると夕暮れの風に髪を揺らして美しく微笑む先輩がいた。手に取ったものを一瞥すると、見せつけるように口付けを落とす。静まり返った空間にリップ音が響いた。楽しそうな口調とは裏腹にオリーブ色の瞳は翳りに帯びている。艶のある唇は鮮やかな赤色に塗れて目が逸らせない。
「それね。上手に撮れてるでしょ?構図にも拘わっててね、きみ全然気づかないから心配だったよ」
 人形のような精巧に作られた声がゆっくりと近づいてくる。甘い香りと熱が耳元を掠めた。
「だけどもう、逃げられないね」
 呑み込まれる。目の前の存在が異質に映って、思考が塗りつぶされていく。藻掻くことも赦されない昏い欲望の底に引き摺りこまれる。
「な……んで、こんな、ことを」
「言わないと分からない?好きなんだよ。愛してる、きみのことが。どうしようもないくらい」
 甘い毒を血液に打たれたみたいだ。纏わりつく恐怖が動脈からゆっくりと四肢を巡って、最後には脳を強く揺さぶる。積み木をのように丁寧に築きあげてきた思い出も、信頼も先輩は何でもない顔をして指で弾く。ぐちゃりと混ざった感情は溢れ出して反発するように掴みかかった。
「わたしは……、せんぱいを……ッ、尊敬して、こんな」
 気持ち悪いと思った。受け入れることなんて出来ない嫌悪感は膨れ上がって泣き叫ぶ。私の知っている先輩は、優しい陽だまりのようで、親身に相談に乗って頼れるのにだいぶ抜けていて可愛らしい。春の風のような人だった。
 忘れた荷物を教室まで取りに行ってほしいと申し訳無さそうに頼む姿に、私は頷いた。踵を返す先輩は、忙しい合間を縫って私と過ごしてくれる。
 そんな人に話しかけて貰えただけでも舞い上がって、態とらしく置かれた鞄から覗くものに息を呑む。目線の合わない、記憶にない写真。衝動のままに鞄をひっくり返した。床一面に広がるのは虫が身体を這うような夥しい執着。すぐにでも逃げ出せば良かった。駆け出して、記憶を閉ざしてしまえればよかったのに。喉奥から蛆が湧く。私を覗く先輩の瞳は甘い煮詰めた砂糖のようなのに、沈んだ底は、狂気に満ちている。
「……かわいそうにね。可愛くて、かわいそうで、たまらない」
鼓膜に粘りつく声。きっと私はもう逃げられない。蜘蛛が執拗に追いかけるように、とっくに巣の中へと迷い込んだ私は捕食されてしまうだけなのだから。


/ 今日にさよなら

2/18/2023, 9:10:28 AM

 甘い生クリームのように積もった雪。夢のように幻想的な光景は澄み切った陽射しが照り返すたびにきらきらと輝いて砂糖みたいだ。

 粉雪をふわりとのせた風は頬を撫でる。夢から醒める冷たさに「ひぇっ」と情けない声を漏らした。正直なところ、寒さにはとても弱いし、すぐにでも部屋の中央を独占するこたつに向かって蜻蛉返りしたい。それでも魔法にかかったように心が踊って、目に染みる果てのない雪面を待ち望んでしまうのだ。

 ベンチに腰をかけると片手に握っていたビニール袋をガサガサと漁る。目当てのものを見つけると悪どく笑ってしまった。ホカホカと甘い香りを漂わせて頬を撫でる。コンビニで勢い任せに買い込んだ餡饅だ。緩みきった欲望は待ちきれずに、ぱくりと大きく齧り付いた。

 ほわっと春が訪れたような甘さに胸がじんと染み渡る。優しい餡が冷えた身体を暖かくして、気付きばもう一個、とビニール袋を手に取っていた。

 特別な今だけの時間がゆっくりと流れていく。背中を預けてぼんやりと空を見上げた。重い灰色の雲が流れていく。雪の気配を遠くまで運んでいくのだろう。それなら、まだこの楽しみを何度でも味わうことができる。温まった白い吐息が、雪とともに流されていくのを眺めながら花が咲いたようにまた笑った。



/ お気に入り

2/14/2023, 2:04:09 PM

 甘くてほろ苦いチョコレートは舌の熱で緩やかに溶けていく。とろりと包み込む幸福感。喜びを噛み締めながら、もう一粒へと指を伸ばす。
 高校生になって始めて母親以外からチョコを渡された。縁遠いものだと諦めていた存在をようやく手に入れた喜びはひとしおだ。ぼんやりと指で挟んだチョコトリュフをまじまじと眺めた。本格的に見えるのに、上から飾られたチョコペンの愛嬌で相殺している。おそらく動物を描いたつもりであろうそれをぱくりと口に含んだ。コクと甘さに頬が緩んでいく。何個でも食べたいと思える逸品だ。本当に俺が食べてもいいものなのだろうか。義理ではなく手作りであり、恐らく本命。そしてここで問題が浮上する。渡してきた相手が俺と同じ男であり、クラスの担任だからだ。

2/13/2023, 4:34:03 PM

 眠れない夜があった。俺はぼんやりと横になったまま天井を見上げる。よどんだ色のカビがまた増えている。どうせボロアパートだからと怠惰に過ごした痕跡だ。今だって暇を持て余している。探さなくても舞っているホコリを掴まえる遊びをしたが、飽きた。
 時間の潰し方が分からないまま、漠然とスマホをいじったが連絡を取れる友人もいなければ、回線速度の遅いここではただのストレスでしかない。

 なんだろう、心に隙間風が通ったように虚しい。パチ、パチと蛍光灯が弾けた。等間隔でなる音になぜだか肌がざわつく。気を紛らわす程度に珈琲を淹れようと上体を起こそうとして───そのまま息を止めた。部屋の隅、埃の上で足のない男が横たわって見つめていた。
「うごかないで」
 掠れるような低い声のまま、こちらに向かって這ってくる。にげろ、何やってんだ俺は。尻込みをついて、浅い息を吐く。引き攣った喉の奥からは悲鳴さえも出てこない。男が俺の腕を掴んで虚ろな双眸を向けてくる。不自然に影のように揺れる下半身は異形そのもので。細い腕からは想像もできない力で背中は床へと倒れ込む。
はっ、はっ、と動物を思わせる息遣いが男から溢れる。
 なにか別の恐怖が頭の中でサイレンを鳴らし始める。なんだよその顔。獲物を捕まえて飢餓を満たそうとしているような恍惚した表情は。男の前髪が瞼の上を掠めて、顔を背ける。
 男はにったりと近づくと何か小さな声で囁いた。何言いやがったこいつ、そう睨みを効かせようとしたのに、急激に引き摺り下ろされるような眠気が襲ってくる。けど不自然なほどに恐怖がひいてく。力が抜けて強制時な微睡みに包まれる。
「……まってて。きみを俺のものにするから」
 耳朶を食むような柔く鼓膜を揺らす声は熱の中で溶けて、俺の意識はどこまでも深く落ちていった。

/ 待ってて

2/12/2023, 4:35:47 PM

 冷めきった料理がテーブルの上に所狭しと並んでいる。出来立ての香ばしさは時間とともに薄れていった。疲れ切った身体は思いきり背もたれへと倒れ込む。見失った矛先にぶつけるような衝動に任せて無我夢中で料理を作りつづけた。一人では食べ切れる量ではないのが明白で重い溜息を吐き出す。残してしまったら冷凍をして、ダメそうなものは無理やり口に押し込むしかない。引き攣ったような笑みのまま私は一枚の写真立てへと視線を向ける。深く息を吸い込んで項垂れると蘇りつつある光景を流すように生ぬるいコップへと口づけた。これから先もたった一人、愛すると決めた人の遺影が私を静かに見守っていた。
 

彼女は、気ままに生きる猫のようだった。振り回されることがしょっちゅうで、無理難題を息をするように強請ってくる。未だに彼女の真意が全てが解けたわけではない。気分で甘えてきて、間を置いたかと思えば、えげつない要求をしてまた甘えてくる。ころころと手のひらの上で転がされることに疲れなかったわけではないが、砂糖を煮詰めたような眼差しに囚われてしまった私にとってはそれも愛らしい求愛行動だった。相談した友人に「アンタも重症よ」と乾いた視線を向けて引かれた。そんなことはないはずとその時は笑って流したが今では、ああ、重症だったと否応にも理解させられる。
 
 
 彼女が突然この世を旅立った。布団の中で眠るよう目を閉じて、カーテンから透けた光が彼女のまろやかな頬を照らす。柔らかな陽気に包まれた姿はまるで日向ぼっこでもしているように穏やかだった。
 死因は急性心筋梗塞であり、20代でなくなる可能性はほとんどない。けれど、稀に僅かな可能性で亡くなることもあるのだと医師は硬い口調で告げた。
 込み上げてくる脳を圧迫するような気持ち悪さ。彼女が私の中の現実からどんどんと遠のいていってしまう。彼女の親友が虚ろな表情で呆然と立ち尽くす。傍らで彼女のお母さんが悲鳴のような嗚咽を漏らして崩れ落ちていく姿を見ても私の中で生きている彼女は微笑んでいた。彼女の生きていた頃の記憶を緩衝材にして、私は逃げ出した。


 動き続ける時間から取り残されたまま、どれだけ月日が流れただろうか。徐々に落ち着きを取り戻してゆっくりと彼女の死はどんなものだったのか私は調べた。胸の締め付けられるような苦しさ、永遠に続くような激しい痛みに呼吸困難。彼女の死に際は眠るような柔らかなものなんかじゃない。そんなものではなかった。切り裂くような叫びをあげたかったはずだ。助けを求め続けて、死にたくなるくらい、怖かったはずなのに。ひとりぼっちが嫌いで、ずっと傍に居てと甘えん坊な姿を知っていたのに私は彼女の苦しみを理解しようとしなかった。頬を流れる涙が焼けるように苦しくて、私はようやく彼女の死と向き合えたのだ。

 季節は何度も巡りつづける。なぜだか私は彼女の好物をこれでもかと作り続けてしまう。それも手間暇かかったものばかり。またやってしまったと気づくのはいつだって手遅れだ。おかげで謎の達成感だけはある。もし彼女が見ていたら、呆れそうだし、同時にひどく喜びそうだ。彼女はそういう人だから。一枚のシンプルな皿に料理をよそって仏壇の前に置く。言葉を交わすことはもう出来ない。それでももう十分だった。もう二度と一人になんてさせない。これからも猫のような温もりが私の心の中にあり続けるのだから。

/ 伝えたい

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