夜に閉じ込められた言葉を、彼女は手を伸ばして星を手繰り寄せるみたいに。
丸い目をさらに見開かせて知らない言葉を教えてくれる。瞳のなかには美しい光が反射して、見ている私の方まで眩しくて、焼かれてしまいそうだった。
/ 夜の光
指先から夜に呑み込まれるように、透明になってしまう。
それは幻想的なものではなく、黒い恐怖が心臓に向かって纏わりつくような、生々しい不気味さがあった。
自身が死んでしまったことを自覚させる生物のようだなと思うと、口角が皮肉に吊り上がって、また沈んでいく。徐々に透明なものへと身体を侵食し、焦りに取り乱しながら一段、また一段。
ふらふらと上半身を揺らしながら階段を登り始めたのは泣いてしまいそうな時間に溺れて、投げやりになった思考回路が、もう一回死んでしまおうと切り替わってしまったからだ。
歩道橋で中心で立ち止まり、ごう、と威嚇する大きな風の音が横から髪を掻き乱した。
「わっ……!」
振り向けば、目を瞠るような美しい夜景が広がっていた。
大都市の中心部は、夜闇に飲み込まれながらひとつとつ異なる光を浮かび上がらせ、行き交う車は人の息継ぎが感じられる速度で駆け抜けていく。ひしめき合うように隣接するビルは側面の細長い硝子に反射し、屈折したライトを散らしながら青い夜に染まっていた。
風に向かって翳した透明の手のひらを呑み込む美しい世界。頭の中で絡まった糸がするすると解けて澄んだ空気が流れ込んでくる。
まだ、生きてみたい。差し込む光は透明になりきれない自分自身にとって希望のように眩しいものだった。
割りきることも飲み込むこともできないまま、何度も何度も言葉に切られる。
反射的に目を閉じて身体を丸くさせながら脆弱な心を庇うことしかできない。
眺めた不安定な夜闇に縫い止められたまま、私はまだ息をしている。
扉が開くと白い熱気が部屋を満たす。
お風呂上がりの女の子の、のぼせそうな甘い香り。
ピンク色の飴玉みたいに頬が上気して可愛らしい。艶のある髪が乱れたまま重たく揺れると、透明な雫がぽつんと床を濡らす。
ツンと胸を張って猫のように威嚇し続けるツインテールの彼女。その威勢はもう影も形もないほど薄れている。自然体ままにっと笑うと八重歯をちらつく。
「……なぁに突っ立ってんのよ。ほら、はやく髪乾かしてよね!」
ふん、と機嫌良さげに鼻を鳴らすとペタペタと裸足のまま椅子の背もたれに深く越しをかけて背を向ける。視線をそらした一瞬、彼女の唇がむずかゆそうに動いていたのを俺は知っている。見惚れていたのに気づいたんだろう。
しょがないな、と舎弟にでもなった気持ちで肩を竦めて彼女の髪を一束掬う。
意地っ張りの甘えん坊なのに、不思議なほど不器用で甘え方にまだ迷っている。プライドはむしろ低い。褒められるのが飛び上がるくらい嬉しいのに恥ずかしがり屋だからつい高飛車を演じてしまう。
両立できなくて嫌われないか不安がる繊細さは一緒の時間を過ごすうち、雁字搦めの糸が解けていくように顕著になっていく。眉尻を八の字にして瞳を彷徨わせるんだから、今となっては分かりやすくて仕方ない。
ごう、とドライヤーの熱風の音はよく響いた。微睡みはじまる瞳はやっぱり猫みたいで、そんな彼女がやっぱり好きだった。
「……は!べ、べつに寝てないから。嘘じゃないからね!」
寝てくれたらいいのに。実際、口に出すと余計に彼女は頬を膨らませて睨みつけたあと、迷子になった子どものように声を震わせる。
「一緒におやすみって言ったあと、抱きついて寝たいのよ」
その言葉には光がつまっている気がした。眩しいものを見つめるように頷くと彼女はまた前を向いてしまう。気を引きたくて思わず抱きしめるとぎこちなく固まって文句をつけられてしまった。
それは暖かな夜の、優しい時間だった。
夜は息がしやすくて、月明かりを目指して薄い靴底で歩きだす。
透明な風にじんわりと心が溶け出すと、高揚感がチカチカと世界が明滅して、生きる枷をひとつ外せる気がした。
/ 寂しさ