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 冷めきった料理がテーブルの上に所狭しと並んでいる。出来立ての香ばしさは時間とともに薄れていった。疲れ切った身体は思いきり背もたれへと倒れ込む。見失った矛先にぶつけるような衝動に任せて無我夢中で料理を作りつづけた。一人では食べ切れる量ではないのが明白で重い溜息を吐き出す。残してしまったら冷凍をして、ダメそうなものは無理やり口に押し込むしかない。引き攣ったような笑みのまま私は一枚の写真立てへと視線を向ける。深く息を吸い込んで項垂れると蘇りつつある光景を流すように生ぬるいコップへと口づけた。これから先もたった一人、愛すると決めた人の遺影が私を静かに見守っていた。
 

彼女は、気ままに生きる猫のようだった。振り回されることがしょっちゅうで、無理難題を息をするように強請ってくる。未だに彼女の真意が全てが解けたわけではない。気分で甘えてきて、間を置いたかと思えば、えげつない要求をしてまた甘えてくる。ころころと手のひらの上で転がされることに疲れなかったわけではないが、砂糖を煮詰めたような眼差しに囚われてしまった私にとってはそれも愛らしい求愛行動だった。相談した友人に「アンタも重症よ」と乾いた視線を向けて引かれた。そんなことはないはずとその時は笑って流したが今では、ああ、重症だったと否応にも理解させられる。
 
 
 彼女が突然この世を旅立った。布団の中で眠るよう目を閉じて、カーテンから透けた光が彼女のまろやかな頬を照らす。柔らかな陽気に包まれた姿はまるで日向ぼっこでもしているように穏やかだった。
 死因は急性心筋梗塞であり、20代でなくなる可能性はほとんどない。けれど、稀に僅かな可能性で亡くなることもあるのだと医師は硬い口調で告げた。
 込み上げてくる脳を圧迫するような気持ち悪さ。彼女が私の中の現実からどんどんと遠のいていってしまう。彼女の親友が虚ろな表情で呆然と立ち尽くす。傍らで彼女のお母さんが悲鳴のような嗚咽を漏らして崩れ落ちていく姿を見ても私の中で生きている彼女は微笑んでいた。彼女の生きていた頃の記憶を緩衝材にして、私は逃げ出した。


 動き続ける時間から取り残されたまま、どれだけ月日が流れただろうか。徐々に落ち着きを取り戻してゆっくりと彼女の死はどんなものだったのか私は調べた。胸の締め付けられるような苦しさ、永遠に続くような激しい痛みに呼吸困難。彼女の死に際は眠るような柔らかなものなんかじゃない。そんなものではなかった。切り裂くような叫びをあげたかったはずだ。助けを求め続けて、死にたくなるくらい、怖かったはずなのに。ひとりぼっちが嫌いで、ずっと傍に居てと甘えん坊な姿を知っていたのに私は彼女の苦しみを理解しようとしなかった。頬を流れる涙が焼けるように苦しくて、私はようやく彼女の死と向き合えたのだ。

 季節は何度も巡りつづける。なぜだか私は彼女の好物をこれでもかと作り続けてしまう。それも手間暇かかったものばかり。またやってしまったと気づくのはいつだって手遅れだ。おかげで謎の達成感だけはある。もし彼女が見ていたら、呆れそうだし、同時にひどく喜びそうだ。彼女はそういう人だから。一枚のシンプルな皿に料理をよそって仏壇の前に置く。言葉を交わすことはもう出来ない。それでももう十分だった。もう二度と一人になんてさせない。これからも猫のような温もりが私の心の中にあり続けるのだから。

/ 伝えたい

2/12/2023, 4:35:47 PM