「あはは。見つけちゃったんだ?」
背後から手が伸びて、持っていた写真を奪い取られる。振り返ると夕暮れの風に髪を揺らして美しく微笑む先輩がいた。手に取ったものを一瞥すると、見せつけるように口付けを落とす。静まり返った空間にリップ音が響いた。楽しそうな口調とは裏腹にオリーブ色の瞳は翳りに帯びている。艶のある唇は鮮やかな赤色に塗れて目が逸らせない。
「それね。上手に撮れてるでしょ?構図にも拘わっててね、きみ全然気づかないから心配だったよ」
人形のような精巧に作られた声がゆっくりと近づいてくる。甘い香りと熱が耳元を掠めた。
「だけどもう、逃げられないね」
呑み込まれる。目の前の存在が異質に映って、思考が塗りつぶされていく。藻掻くことも赦されない昏い欲望の底に引き摺りこまれる。
「な……んで、こんな、ことを」
「言わないと分からない?好きなんだよ。愛してる、きみのことが。どうしようもないくらい」
甘い毒を血液に打たれたみたいだ。纏わりつく恐怖が動脈からゆっくりと四肢を巡って、最後には脳を強く揺さぶる。積み木をのように丁寧に築きあげてきた思い出も、信頼も先輩は何でもない顔をして指で弾く。ぐちゃりと混ざった感情は溢れ出して反発するように掴みかかった。
「わたしは……、せんぱいを……ッ、尊敬して、こんな」
気持ち悪いと思った。受け入れることなんて出来ない嫌悪感は膨れ上がって泣き叫ぶ。私の知っている先輩は、優しい陽だまりのようで、親身に相談に乗って頼れるのにだいぶ抜けていて可愛らしい。春の風のような人だった。
忘れた荷物を教室まで取りに行ってほしいと申し訳無さそうに頼む姿に、私は頷いた。踵を返す先輩は、忙しい合間を縫って私と過ごしてくれる。
そんな人に話しかけて貰えただけでも舞い上がって、態とらしく置かれた鞄から覗くものに息を呑む。目線の合わない、記憶にない写真。衝動のままに鞄をひっくり返した。床一面に広がるのは虫が身体を這うような夥しい執着。すぐにでも逃げ出せば良かった。駆け出して、記憶を閉ざしてしまえればよかったのに。喉奥から蛆が湧く。私を覗く先輩の瞳は甘い煮詰めた砂糖のようなのに、沈んだ底は、狂気に満ちている。
「……かわいそうにね。可愛くて、かわいそうで、たまらない」
鼓膜に粘りつく声。きっと私はもう逃げられない。蜘蛛が執拗に追いかけるように、とっくに巣の中へと迷い込んだ私は捕食されてしまうだけなのだから。
/ 今日にさよなら
2/18/2023, 12:00:51 PM