天津

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4/6/2023, 9:33:08 AM

星空の下で

星空の下で寝そべっていると、なんだか自分が矮小に感じられる。顕微鏡のステージに載せられているような、なにか大きな存在から覗き込まれているような、そんな茫漠とした圧があって、対照的に自分が縮こまっていく。実際、針で空けた穴のように小さく見える星の一つ一つが、途方もなく大きい。
そして、私自身も、途方もなく小さい。
私には友人がいた。十年来の友人だった。
彼女は病みがちだった。常に気にかけていないと壊れてしまいそうな、危うい子だった。
私が上京してからは、スマホでやり取りをしていた。彼女は通話を好んだ。私は時間を作ってそれに応じた。しかし就職してからというもの、私は次第に通話を断るようになった。物理的な多忙さと、脳内の多忙さが押し寄せて、正直他人に構っている暇はなかったのだ。
気づくと彼女からの連絡は途絶えていた。こちらの呼びかけにも返答がなかった。私は彼女の実家を知っていたから、電話をかけた。
彼女は入院していた。
良くない男につかまって、傷つけられて、どうかしてしまったようだった。
私は、何かを塗り込めるように仕事に没頭した。働いて働いて働いて、私はある日職場でふらついて倒れた。ついでになにかの衝撃で棚が倒れてきて、私は下敷きになった。
真っ白なベッドで目が覚めて、現実に冷めた。私はもう二度と働けないと思った。
私は実家に帰った。
仕事を辞めたことを伝えると、母は烈火の如く怒った。責任感だとか、見通しの甘さだとか、そういう指摘は至極当然のもので、すべて受け入れるつもりだった。しかし、まさか人格否定まで口にするとは思わなかった。それも毎日毎日、顔を合わせるとは詰ってくるのだ。
私は母を憎んだ。
家にいると気が滅入るので、私は毎日犬のシロと散歩に出かけた。エサと昼食を持って、一日中外を歩き回った。公園でシロと遊んでいる間は、何もかも忘れることができた。
ある日も私はシロと散歩をしていたが、運の悪いことに母に出くわしてしまった。街中だった。母は、私がのうのうと犬を散歩させていることが非常に気に食わないようで、人目を気にすることなくくどくどと怒鳴った。私は怒りと恥ずかしさで頭が破裂しそうになった。その時私はふと、去っていく母の頭上にある大きな電光掲示板を見て、あれが落ちればいいのにと思った。右手の指に、不思議な重みを感じた。
すると、ちょうどその電光掲示板が剥がれるように浮いて、落下して母を押し潰した。即死だった。
私は家に閉じこもった。電光掲示板を引っ張るような感触が、指に生々しく残り続けた。振り返れば、あの感触には覚えがあった。きっと、職場で棚の下敷きになったときも、掴まろうとして何かを引いたのだ。
電光掲示板の下にいたのは、母だけではなかった。一人が大怪我をし、一人が今も意識不明だという。その罪悪感は、心配そうに寄り添うシロに指を舐められても、拭い去ることはできなかった。
生活についても考えなくてはならなかった。私を責めつつも、母は最低限の生活環境を提供してくれていた。今後はそれを自分で回していかなければならない。
そんな折に、電話がかかってきた。友人が病院で亡くなったという知らせだった。なぜ、とは聞けなかった。死ぬ病気でもない彼女が亡くなる理由は、そう多くなかった。
受話器を置くと、後悔の念が胸の奥底から溢れ出してきて、たまらず部屋の壁を蹴った。戸棚がガタガタと音を立てて揺れた。音は止まなかった。街ごと揺れ続けているのだった。私は気づいた。
気分が重くなればなるほど、強い引力が生じるのだ。
私はシロを殺した。
冷ややかな夜風が、丘の上を過ぎていった。
星空は無数の目のようだ。あらゆる物事が丸裸にされていくようで、いたたまれなくなる。
空に、何かが光って消えた。流れ星だろうか。だとしても、すべてを投げ出した私には、もう願うことはない。
空に手を突き出して、星を掴んだ。腕を下ろすと、見えない糸が指に手応えを伝えた。
もうすぐ、街に無数の星が降る。

2023/04/06

4/5/2023, 9:12:58 AM

それでいい

4匹の子山羊は自立のため、家を追い出された。4匹はとりあえず、雨風をしのぐための家を作ることにした。
末の弟は、いかに楽して生きるかを人生の至上命題としていた。末の弟は家を、辺りでいくらでも手に入る軽量な建材である藁を用いて、さっさと建ててしまった。ついでに外にベンチを作り、兄たちの家造りを眺めていた。
「そんなのでいいのかよ」3番目の兄は、木材を組みながら言った。「台風でも来たらひとたまりもないぞ」
「滅多にあることではないさ」末の弟はのんびり答えた「ぼくらが実家にいた何年もの間、台風なんて一度も来なかったじゃないか」
「ふたりともそれでいいのか」振り向くと2番目の兄が立っていた。煉瓦を作っていたようで、全身泥に汚れていた。「藁であれ木であれ、狼が来たらひとたまりもない」
「狼こそ、ぼくらが生まれてこの方、隣村にすら出たことがないじゃないか」
「ところで兄貴はどこへ行ったんだ」2番目の兄が末の弟に訊ねた。「もう随分姿を見ていない」
「鉄鉱石を採掘しに行ったよ」末の弟は洞窟の方角を指さした。「鉄筋コンクリートの家が建てたいんだってさ」
「かなり時間がかかりそうだな」3番目の弟は、心配そうに目を細めた。
数日後、一番上の兄以外の家が完成した頃、子山羊たちの住む地域に台風が直撃した。
煉瓦の家と木の家は強風に対して持ちこたえたが、藁の家はすっかり吹き飛んでしまった。末の弟は、なくなく3番目の兄の家に身を寄せた。
台風が明け、一番上の兄は洞窟から出てきた。
なんとか台風を切り抜けた煉瓦の家と木の家だったが、あちこち裂けたり穴が空いたりしていて、弟たちは補修工事に勤しんでいた。一番上の兄は言った。
「そんな貧弱な建材で妥協するから、無駄な作業が増えるんだ。今からでも鉄筋コンクリートにしないか」
弟たちは答えた。
「だるい」「時間がかかりすぎる」「そっちこそオーバースペックだろう」
一番上の兄は、説得を諦めて作業に戻った。
2週間経っても、一番上の兄の建築は終わらなかった。2番目の兄は言った。
「しっかりした基盤はできたのだから、それでやめにしないか。あとは、余った煉瓦をあげるから、それで建てればいい」
「いやだ。俺は完璧に強固な家を建てるんだ」
「でも、隣の隣の隣の村で狼が現れたそうだぞ」木から煉瓦に乗り換えた3番目の弟は不安そうに言った。
「ここに来るまでには出来上がる」一番上の兄は確信しているようだった。「あと2週間で完成するはずだ」
1週間後、弟3匹が2番目の兄の家で夕食をとっていると、ドアがノックされた。こんな時間に誰だろうと思って覗くと、紛れもない狼だった。
末の弟は、ドアの覗き穴から槍で狼の目を突いた。怒った狼は家を激しく叩く。少しずつレンガの継ぎ目に亀裂が入るが、崩壊には至らない。しびれを切らした狼は、煙突からの侵入を試みた。3番目の兄は煙突の下に大鍋を置いた。やがて狼がすべり落ちてきたので、2番目の兄はタイミングよく鍋に蓋をし、かまどの火を最大火力にした。鍋の揺れが収まり、鍋から聞こえる咆哮が消えたあとも、念のため一晩煮続けた。
翌朝、3匹が外へ出てみると、玄関前から血の跡が点々と続いていた。辿っていくと、洞窟の中へと続いていて、見つかった一番上の兄は骨だけの姿となっていた。

2023/04/05

3/20/2023, 9:27:35 AM

胸が高鳴る

彼の手が肩に触れたとき、心臓が跳ね上がるように鳴った。人肌を感じる事自体が遠い過去の記憶だった。家族は皆、私を見ると二言三言話して離れていったし、使用人も腫れ物のように私を扱った。それで当然だと受け入れてきたが、触れられてみると、これがあるべき状態だというような懐かしさがあって、戸惑いを覚えた。指の温もりがもたらす安堵と胸の早鐘で、目が回りそうだった。
そして、永遠のように長い誓いのキス。頭がちかちかしそうな万雷の拍手。
身を離し、拍手の止んでいくのを聴きながら、私はおそるおそる彼の目を覗き込む。彼は健やかな笑顔を浮かべていて、私は息をついて笑みを浮かべた。何故かまた、拍手が沸き起こる。その中に私の家族はいない。

カーテンを閉め切った真っ暗な部屋の中、ただ一つのランプに照らされたベッドの上で、私と彼は相対した。隣室にも、ドアの前にも、そよ風ほどの気配もない。今夜は特別な夜だから、人払いをさせてあった。
胸はずっと高鳴っていた。それこそ彼に聞こえるほどに。しかし、気にすることはない。それは自然なことだから。
彼は私を強く抱き締めた。かつて感じたことのない安堵の波に、私は哀しくなった。彼は続けて私の唇を貪り、まるで皿まで味わい尽くすように歯の裏側まで貪った。それから彼は私の中へ侵入し、息を荒らげて身体を震わし、やがて果てた。
彼は動かなくなった。
のしかかる男の身体を横へ仰向けに転がし、私はベッドから下りた。
カーテンを開ける。いやに明るい月夜だった。振り返ると、青い顔をした男の身体が、汗や体液できらきらと光っていた。私の身体はまだ熱かった。火照った頬を伝い、軌跡を描いて汗が落ちていった。私は窓を細く開けた。風がひんやりと髪を揺らした。私は胸に手を当て、激しかった拍動が次第にひいていくのを感じた。
男の頭横に座り込み、首元に手を当てる。それから閉じた瞼を指で開いて月明かりに照らし、唇に耳を近づける。儀式はあっけなく終わった。
私はベッドに座り込み、指に自分の体液を掬った。
これが猛毒だなんて。
まさにその毒に侵された者がすぐ横に転がっていても、自分の血も汗も涙もすべての体液が猛毒でできているとは、なかなか実感が持てなかった。
毒を含んだ体液をシーツで拭い、服を着る。
私は窓際に戻り、外を見下ろした。予定では、屋敷を囲う茂みの中に、逃亡のための人員が待機している筈だった。窓から降りて受け止めてもらい、それから森の闇に紛れて行方をくらます手筈だった。しかし、どこにも誰も見当たらない。合図の光どころか影一つ見当たらない。
よく考えればそうだ、これは何度も使える暗殺手段ではない。私は使い捨てだったのだ。
私はベッドの男を見遣って、胸が苦しくなった。触れられた場所をおもむろになぞる私の手はひどく冷たかった。

2023/03/20

3/19/2023, 9:59:39 AM

不条理

見渡す限りの白い空間に私は居た。距離による色彩の変化もないようで、奥行きの見当もつかず、床も天井も真っ白で、何も見えないに等しかった。
一体ここはどこだろう。
「ここはいわゆるあの世です。あなたは建設資材の下敷きになって死にました」
唐突に言葉が脳に流れ込んできた。声が脳内に響く、といった感じでもなく、一方的に情報を理解させられた感覚だった。
「あなたは来世も人間であることが確定しています。ですのでこれから、来世のステータス振り分けを行っていただきます」
ステータス振り分け?なんだかゲームじみているな。
「同じように捉えていただいて構いません。あなたには、生前に積んだ徳に応じたポイントが加算されています。それを、これから意識へ送り込むステータスマップ上に配分してください」
徳というのは、どういう基準で付与されるのだ?
「徳は、世の中にもたらした正の影響から世の中にもたらした負の影響を引いたものを得点化し、死亡時に付与します。正の影響とはたとえば人命救出や技術革新、芸術によるカタルシスの演出などで、負の影響とはたとえば殺人、欺瞞、誹謗中傷などが相当します」
なるほど。私は他人に親切に生きてきたつもりだが、ちょっとした気遣いなども評価の対象になるのだろうか。
「どのような評価となるかは結果によります。全て純粋に結果によってのみ評価します。ありがた迷惑という概念も存在するように、過程の価値は低いものです」
つまりは、余裕のない貧乏人が老人に席を譲るようなことの数千倍くらい、金持ちによる慈善団体への寄付は評価されるのだろうな。
「そういうことになりますね」
意識に何か流れ込んでくるのを感じて、それは無数のノードを線で繋いだ網目状に広がっているようだった。私はそれがステータスマップであること、どこがどのようなステータスに対応しているのかということを瞬時に理解した。それから、所持している徳のポイント量も、それが大したステータス変動にならないことも、把握できた。
持てるものは更に多くのものを得るし、持たざる者は持たざるまま。なんという不条理なシステムなのだろう。しかし、勝手にこの世に生み落とされて、おまけに死ななければならない時点で不条理なのだから、今更ではあるか。
私は適当にステータスを振り切って、遠い目をした。焦点は永遠に結ばれず、虚空をさまよった。

2023/03/19

2/24/2023, 9:16:10 AM

Love you

We love youと君は言った。君は明瞭にWeと言った。
ふたりともだいぶ酔っていたから、僕の聞き間違いかもしれないし、君の言い間違いかもしれない。しかし、僕の中での君の在り方は、それ以来異質に変化してしまった。以前から君に抱いていた微妙な噛み合わなさが、明確な形を得て胸をざわつかせ始めた。君が時折、君の姿をした何か別物のように感じられるのだ。
思えば君は家族構成について詳しく話してくれたことがない。家出するように上京してきたという話だったから、後ろめたいのは当然だろうと思って僕も詳しく訊かなかった。しかし、たとえば双子の姉妹がいたとしたら。もしかすると、今夜腕の中で眠る君は昨夜の君とは違うのかもしれない。
けれども僕は、そうだったらまだましだと思っている。
頬に触れるとき、皮膚の下に複数の蠢きを感じる。見つめ合うとき、瞳の中にシャボンのような色彩の揺らぎが見える。別人が複数人、ではなく、ひとりの人間の中に複数の息遣いが聞こえる気がする。
まるで多重人格、のような。
しかし、それとは違う異質さを感じる。なにか、目をそらすと反発して崩れてしまいそうなくらい不安定なものを感じる。
自分でも何を感じ考えているのか分からなくなってきている。君の中に微細な流動性を見つけるたびに鳥肌が立つほど、神経が過敏になっている。こんな妄想には早いところ終止符を打たねばならない。
だから、ごめん、君が睡眠薬で眠っている間に、背中に傷をつけさせてもらうよ。これで傷がすぐに消えるようなことがあれば、その時はきっと、このおぞましい考えを捨てて向き合える気がするから。

男がカッターをカチリと鳴らし、女の皮膚に刃を近づけたその瞬間、ものすごい勢いで女の腕が回って男の手首を掴んだ。恐慌をきたした様子で男は掴まれた手を振り回し、女は叫んで抵抗し、ホテルの内線の受話器を蹴った。やがて、従業員や警察が部屋に駆けつけ、男は鎮圧された。複数人に押さえつけられながら男は、あいつが偽物かどうか確かめないといけない、でないと頭がおかしくなるんだ、といったことを叫び続けた。

彼、捕まっちゃったね。
私たちがそう仕向けたんだけどな。
でも、精神病院に入れられて可哀想だわ。
カプグラ症候群だっけ。身近な人物が瓜二つの別人のように感じる精神病。まあ、前提が間違っているよな。ある人物が本当に瓜二つの別人である可能性が完全に排除されてしまっている。UFOアブダクションもそうだ。地球外生命体が接触を図った可能性は全く無いという前提があるから、心理的な説明に留まってしまってもう一つの真相に至らないんだ。
群体の知的生命体は地球上に存在せず、想定しうるまで文明が発達していない。故に仕方あるまい。
でも彼はいい線いってたね。
それで、お見舞いには行かないの。
行ったほうがいいんじゃないかな、彼の疑念を払拭するという安全上の意味でも。
そうね。それに、なんといっても。
私たちは彼が好きだもの。
行こう、という誰かの号令が部屋に響いた。それに呼応して、フローリングの床に車座に散らばった赤く脈打つ肉塊たちは、中心へ向かってもぞもぞと移動を始めた。

2023/02/24

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