街の明かり
きらびやかな夜の街を歩く。日中の陽射しよりもジリジリと焦げる身体のどこかを庇いながら。足元に落ちた自分の小さな影。それだけを頼りに、ふらりふらりと駅を目指す。
外からは誘蛾灯のように明るく見えた駅は、中に入るといつも仄暗い。電車の中はそれよりもっと明るいはずなのに、より暗く感じるのはなぜだろう。
幽霊のように映る吊り革を掴んだ像の向こう側に、歩いてきた街が見えた。車窓を流れゆく街の明かり。あの目眩く光の雨は、思いの外まばらだった。まるで万華鏡の中に入っていた安いビーズのようだった。
2024/07/08
1年後
1年後というのは遠い未来だった。地球があとそれだけで滅びると明らかになってもなお。
地球滅亡のニュースは、突如全世界同時に告げられた。最初は誰もが信じなかったことだろう。しかし、各種メディアで寸分違わず同じ文言で、淡々と地球滅亡の事実のみが報道されていることを確認して、なお冗談として受け取るのは困難だったに違いない。それからの展開は意外なものだった。映画で見る世界のように、街はたちまち混沌と化すのかと思いきや、不思議とのどかな日々が続いた。自暴自棄になった暴走トラックが歩道に突っ込んだ事件が1件あったきりで、特に派手なニュースもなかった。人々は意外にも利口だった。
余命宣告を受けたのは滅亡宣告のすぐ後だった。残り時間は3ヶ月。地球の最期を見届けるには少し足りなかった。しかし、以前までの常識に照らし合わせると、見られないのが普通ではあった。
世界の終わりにパンを焼くのが夢だった。古い歌が好きな友人が、よくカラオケで歌っていた曲に、そういうフレーズがあった。そのフレーズは不思議と耳に馴染んで、時折思い出すとはそういう最期を思い描いた。待ち焦がれる相手はいないから、私は自分のためにパンを焼いた。はじめて焼いたパンは、やや焦げていて美味しかった。
時の経過に沿って、街は緩やかに静かになった。わざわざラッシュ時に電車に乗らなくなったし、約束を守るために走る人も減った。急ごうが急ぐまいが、終わりの近づく速度は等しく同じなのだ。
病院はいつもどおり賑やかだった。
採血をしたり心電図をとったりと、院内を巡り巡って、最初の科に戻ってくると、待ち合いのソファには誰もいなかった。私が午前の診察最後の患者だった。
名前が呼ばれて診察室に入ると、かかりつけの年配の医師がいつもどおりの柔和な笑顔で座っていた。決まりきった手順に沿って、粛々と診察は進行した。医師がパソコンに何やら入力する合間に、私は雑談しようと思い訊いた。
「終末はどう過ごされるんですか」
巷で流行りのフレーズだった。
「そうですね、おそらく病院で働いているでしょう」
「ご家族と過ごされたりはしないんですか」
「家内と娘は死んでしまいましたから」
すみません、と慌てて謝る私に、医師はこちらを向いて首を振った。
「地球滅亡のニュースがあって、3日後くらいでしたかね。歩道に突っ込んできたトラックにはねられて、そのまま亡くなりました」
ニュースでちらりと見た事故現場の光景がオーバーラップした。ブルーシートやひしゃげた車体が、脳裏で急に生々しく色づいた。
「訃報を知った時は頭が真っ白になって、自棄を起こしそうにもなりましたが、どうせ1年後には全部ぱあになるのですから。最後の最後まで胸を張れる生き方をして、あの世で家内と娘に叱られないようにしなくてはと思い直しました」
医師はパソコンに向き直り入力を再開すると、脇にあるプリンターから出てきた紙を取って、ファイルに仕舞い込んだ。
「この病院のある限りは責任持って担当しますから、安心なさってください」
医師は目尻に深く皺を寄せ、深みのある声でそう言った。
病院を出て、私は近所の公園のベンチに腰掛けた。梅雨の時期にはまれな天気のいい日だった。大勢の子供達が遊んでいた。あちこち走り回って叫んだり、遊具の頂上を競い合ったりして、騒がしい。これだけ元気に暴れ回っているのに、1年もしないうちに成長が頭打ちになるのかと思うと、残酷で気の毒な感じがした。子供達の頭上には桜の木があった。思えば地球滅亡のニュースが駆け巡ったあの頃、あちこちで桜が満開に咲いていた。桜とともに散れるなら、この土地に住む人々の最期はいくらかましかもしれない。そうか、あの桜は私にとって最後の桜だったのか。
暖かな日差しの中で、私はだんだん眠くなった。うつらうつらしながら、明日の朝に焼くパンの匂いを想像した。
2024/06/25
失われた時間
将来のため将来のためとあくせく積み立てた時間は、はたして役に立ったのだろうか。
今なお、見えない未来に向かって金を貯め自分を磨いている。そうして行き着く先に、求めているなにか大きなものがあるというのか。
これまでにも、かけがえのない期限付きの体験をいくらか犠牲にしてきたものだろう。そして現在進行形で、社会が描いた成長物語を演じることに必死になって、自分の人生の主役を放棄しつつある。そうして失われた時間に釣り合うだけのなにかを、この先の人生の終点で得られるというのか。
たとえば仕事ができることを誇れるようになったとして、それはその終着点に必要なものだろうか。
社会からたゆまぬ成長を強いられ、寿命を溶かしきるまで生産活動に従事させられ、そうしてぶくぶくと社会を太らせて、気づいたらこちらは骨と皮だけになっている。いったいなんのために生きているのか。誰のための努力なのか。
預けた時間は戻ってこない。それが時間貯蓄銀行の実態なのだ。
2024/05/14
刹那
じゃがいもが端から輪切りにされてポテトチップスになるように
無数の刹那に裁断されて現在は過去へと落ちていく
どれがどこの断片だったかほとんど分かりやしない
00000001000010000001000000000
断片的思い出、離散的な人生
多少長く生きたところで所詮、数えられる刹那と皮膜のような現在しか保持できないのだ我々は
日記のページをめくるたびに、数ページ前は曖昧に滲んでいる
どこまでも一瞬の存在
意味のない人生も有意義な人生もあったものではない
…そんな、カウチポテト族の弁明
2024/04/29
大好きな君に
指先で頬に触れると、まだひりひりと痛かった。
完全に嫌われてしまった。
頭に巻いたタオルを弄りながら、雨に濡れた窓の外を見やる。顔が映り込む暗い窓の向こうに、放課後の教室を思い出していた。
そのとき外は曇りだった。
湿気で淀んだ灰色の教室の中で、私と彼女は二人、向かい合っていた。
彼女はついさっき振られたばかりだった。私は彼女を慰めていた。慰めていて、突然頬を叩かれた。あんたのせいだろ、と。彼女の彼氏は私に恋をしていた。彼女は激昂して、叫んで、それから静かに泣いた。
なんであんたなの。
涙をぽろぽろと零しながら、震える声で言った。私は黙っていた。彼女が冷静になりつつあるのを私は感じ取っていた。
ごめんね。どうしようもないね。
彼女は八つ当たりだと自覚しているようだった。彼女が教室から出ていった後かそのちょっと前に、雨が降り始めた。私は傘を持っていなかった。
私は彼女に嫌われただろう。いや、嫌われること自体は別にいいのだ。しかし、嫌われれば今後色々動きづらくなる。困ったものだ。
頭に巻いたタオルを解く。
嫌われてもいい。理解されなくていい。
これはエゴだから。彼女の幸福を願うようでいて、その実、私の想像する幸福を押し付けているに過ぎないのだから。君はあの人と堕ちていくのもまた幸福だと思っていたのだろうけれど、私はそれが許せなかった。
君は知らない。君が恋したあの人が、とんでもないろくでなしだということを。裏で何人の女性を泣かせてきたかということを。
君は知らない。今回だけではない。私がこれまで破り捨てた君へのラブレターの枚数も、私が脅しつけて遠ざけたストーカーの存在も、君を食い物にしようとした君の親が事故死ではないことも。
私はこれからも、君の悪役であり続けるだろう。
全ては大好きな君に、良き未来をもたらすために。
2024/03/05