失われた時間
将来のため将来のためとあくせく積み立てた時間は、はたして役に立ったのだろうか。
今なお、見えない未来に向かって金を貯め自分を磨いている。そうして行き着く先に、求めているなにか大きなものがあるというのか。
これまでにも、かけがえのない期限付きの体験をいくらか犠牲にしてきたものだろう。そして現在進行形で、社会が描いた成長物語を演じることに必死になって、自分の人生の主役を放棄しつつある。そうして失われた時間に釣り合うだけのなにかを、この先の人生の終点で得られるというのか。
たとえば仕事ができることを誇れるようになったとして、それはその終着点に必要なものだろうか。
社会からたゆまぬ成長を強いられ、寿命を溶かしきるまで生産活動に従事させられ、そうしてぶくぶくと社会を太らせて、気づいたらこちらは骨と皮だけになっている。いったいなんのために生きているのか。誰のための努力なのか。
預けた時間は戻ってこない。それが時間貯蓄銀行の実態なのだ。
2024/05/14
5/13/2024, 5:32:46 PM