同情
たとえばどうしようもない愚痴や失敗やうらみつらみを友人に語ったとして。
同情されて苛立ちを覚えることはない。自覚している非を改めて指摘されるよりずっとましであり、聞きかじった断片的な事情に基づいて下手なアドバイスをされるよりずっと誠実だ。同情は模範解答であり、かといって最適解を出す責任は相手にない。同情に罪はない。
それでも同情に傷つくのは、己の愚かさに気づくからだ。同情は模範解答だが、同情以外の模範解答がないとも言える。つまり、実質相手に同情を強要していることになる。毒にも薬にもならず、虚しくなるだけの同情の言葉を、他でもない自分が相手に言わせてしまっているのだ。しかも、同情するにもある程度エネルギーが要る。
意味もなく傷を舐める行為に相手を付き合わせて、困らせて、そのくせそこはかとない不満を抱いている自分の不甲斐なさ。相手のどこか気の抜けた共感や励ましの言葉に、そういったものを見出してしまって、己に恥じ入り、絶望するのだ。
2023/02/21
今日にさよなら
今日という日を手放す唯一の方法は、眠ることだ。
日付変更の定義としては、0時に明日へと切り替わるのだろうが、起きて意識の続く限り幕は下りない。逆に、眠りさえすれば今日を終わらせることができる。だから、今日の悩みが辛ければ寝てしまえばいい。明日へ逃避すればいい。
しかし、明日の辛さはどうしたらいいだろう。
悩める今日も苦しいし、眠れば明日が来るし。
昼寝してもせいぜい、寂寞の夕方に飛ぶだけだし。
だから、夢の中に生きる方法のないこの世界では、こうするしかなかったんだ。
フェンスから手を離し、夜の底の重力に身を任せる。
憂鬱な今日にさよなら。
もうすぐ壊れる満月に、手でつくった銃の銃口を向けた。
くだらない明日にさよなら。
2023/02/19
10年後の私から届いた手紙
パサリという音がして、スマホを見ていた私は布団から身を起こした。音は机の方角だったので向かうと、机の上に封筒があった。上の棚から落ちたのだろう。封筒に見覚えはないが、郵便物やチラシをいつも棚に無造作に置いていたので、なんら不思議ではなかった。
封筒を棚に戻そうとして、ふと宛名のないことに気づいた。そして、封筒に継ぎ目がないことも気になった。私は俄然興味が湧いて、すぐさま封筒の短辺を破った。
中には、ごくシンプルな便箋の手紙が2枚あった。
1枚目には、冒頭に『本信書が20xx年のあなたによって書かれたものであることの証明』と書かれていて、いくつかの事実の列挙があった。私は十分に納得して2枚目を読み始めた。
2枚目の手紙には、いくつかの指示とその理由が箇条書きで並んでいた。いずれも納得できる内容であり、従えばよりよい未来へ到達できることは想像に難くなかった。私は深く頷いて手紙を棚に貼り付けた。
布団に戻ろうとすると、再び背後で音がする。振り返るとまた封筒が机上にある。しかも先程開封したものと同じ見た目の封筒だ。直前に棚を確認していたので、そこにまだ別の封筒があって落ちてきたなどとは思えなかった。このことは手紙の信憑性を裏付けるようだった。
出現した2つ目の封筒を開封する。
今度は手紙が1枚だった。冒頭には『警告と訂正』と書かれていて、「何番と何番と何番についてきちんと実行するように、何番に関してはやはりこうするように」とあった。
なるほど不具合が生じたのだな。
そう思っていると、頭頂にカツンと当たるものがあり、それもまた同じデザインの封筒だった。開封するとまた警告と訂正の手紙が入っており、読み終えるとまた頭上から封筒が降ってきた。私は天井を見つめ、ため息をついた。
なんだ、未来の私もよく分かってないんじゃないか。
私は全ての手紙をかき集め、ゴミ箱に捨てた。
2023/02/16
バレンタイン
朝、昇降口のガラス越しにA子の姿を見た。手にラッピングされた物を持っていて、それを素早くロッカーに入れて立ち去った。なるほど今日はバレンタインだった。
自分のロッカーを開ける。昨日の放課後から全く変化のないことを確認し、靴をしまう。A子が入れていたのはこの隣だったな、とさりげなくYのロッカーであることを確認する。
1限がすぎ2限がすぎ、昼休み。
自席で昼食をとっていると、Yとその友人の会話が聞こえてきた。
「お前チョコはもらったか」
「いいや一つも」
「俺は今日これがロッカーに入ってたんだよ」
ちらと見ると、中の見えない赤い小袋から四角いケースを取り出していた。クオリティ高いよな、とYが話す。どうやら手作りらしい。
「でも誰からなのか分かんないんだよな」
メッセージカードも何も、贈り手を示すものがないらしい。
「誰がくれたものか不明なのは怖いね」
「だよな。そもそも手作りの物自体が苦手だし、輪をかけて得体のしれないこれはとても食えない。だから捨てることにする」
そう言ってYは元通りにラッピングし直し、教室後方のゴミ箱にチョコを捨てた。
そして、そろそろ昼休みも終わろうかという頃。なんだか教室後方が騒がしくなったので振り返ると、B美が床にへたり込んで肩を震わせていて、数人の女子が励ましていた。覗くと、B美の膝の先に赤い小袋。
なぜB美が泣くのだろう、あれはA子のあげたものだよな。そう思っていると、騒ぎを聞きつけて寄っていったYが謝り始めた。誰のか分からなかったから捨てたのだ、しかし配慮が足りなかった申し訳ない、と。
すると、B美はきょとんとして、困惑した様子で言った。
「あんたにあげた覚えはないけど」
そうだよな、と僕は理解した。B美が二の句を継ぐ前に、3限開始のチャイムが鳴った。
すべての授業とホームルームが終わり、放課後。
帰ろうとして教室を出ようとしたとき、A子に声をかけられた。来て、と言われるままに廊下を歩き、ひとけのない辺りに出る。A子は鞄に手を突っ込み、長方形の箱を取り出してこちらに押し付けた。何事か言い訳しながら。
足早に去っていくA子の背を見送りつつ、箱を手の中で弄ぶ。
これはこれで怖くて食べられないな。家で捨てよう。そして、なるほど、B美のフォローをしないと疑われるのは僕なんだな。
なんとも苦い心持ちで、もらった箱を鞄にしまった。
2023/02/15
誰もがみんな
幼い頃、ふと自分以外の視点が存在しているという事実に気づき、奇妙な感動を覚えたことがある。自分が相手の顔を覗くとき、相手の目にはこちらが顔を覗いてくる光景が映っている。自分と相手が同じものを見るとき、色彩が同じように見えているとは限らない。色彩が異なるとはどういう世界なのか想像しにくいが、刺激と言語の対応が同じならたしかに齟齬は生じない。理解できないむかつくあいつも思考して生きている。そいつの生活があり、脳内でそいつなりに合理的な判断を行っている。
誰もがみんなそれぞれの人生を生きていて、それぞれの身体感覚や価値観を持っている。人間の数だけ視点があり世界が存在する。それなのに自分は一人だけで、自分の世界しか体感できない。今この瞬間にも、自分以外の膨大な視点と思考があちこちで展開されているというのに。
本は他者の視点を与えてくれるというが、それとはまた違うのだ。自分と同時的に生々しく生きている人々がいるというそのことが、この上なく不思議に感じられたのだ。
2023/02/11