天津

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2/10/2023, 9:49:18 AM

花束

「先生、1年間ありがとうございました」
卒業式後の謝恩会、最後の一幕。サプライズとして用意していた色とりどりの花束を、眼鏡の女生徒が教師に手渡した。
教師は、体育教師然とした体躯に似合わぬ当惑した素振りを見せつつ「ありがとう」と言い、これはまた物凄くカラフルだ、とためつすがめつ見た。
「これ、3−Aひとりひとりが1本ずつ花を選んで持ち寄って、束ねたんです」
女生徒は誇らしげに言った。彼女が発案者だった。
教師は突然目頭を押さえて震え始めた。それから声も震わせながら「みんな、みんな本当に…」と言い、言葉を詰まらせた。間を空けて、盛大な拍手が貸し切りの会場を満たした。いいサプライズができた、と女生徒は手を強く握った。

何だこの茶番は。
茶髪の生徒は、拍手しながら冷ややかに見ていた。
それに拍手なんて、また悪趣味なことを。
拍手を始めた坊主頭の生徒に目をやると、彼はにやにやと笑って横の生徒と話していた。
委員長には悪いけど、とキメラのような花束の中身を見つめる。黒いバラ、黄色いカーネーション、クロユリ、スノードロップ…花言葉を知っていれば卒倒しそうなラインナップだ。
あの無骨で無神経な先生はついぞ気づかないだろう。花束の意味も、クラスの大半の生徒にどう思われていたかも。
残酷なことをしているのはわかっていた。しかし、実害はないし本人に伝わらないのだから、これくらい許されるはずだ。そう、だから、あいつもそうすればよかったのに。
茶髪の生徒は、端のテーブルで縮こまっているおかっぱの生徒を見遣った。本当になんで、バラなんて持ってきたの?

「みんなの大事な仲間について、一つ話があるんだ」
そういって先生がホームルームで話し始めたのは、私が同性愛者であるということと、変わらず仲良くしてほしいということだった。
頭が真っ白になった。朦朧として家に帰って、吐くように泣いた。
なんであいつが知っているんだ。前の女の担任に相談したことがあったから、たぶんそこから聞いたんだ。
親身で信頼できると思っていた前の担任に裏切られたのもショックだったが、何より考えなしに暴露した先生のことは許せなかった。むしろそれまで、なんの滞りもなく生活できていたというのに、なんて余計なことをしてくれたんだ。
その後の学校生活がどうなるかは火を見るよりも明らかで、実際私は孤立していった。さいわい、いじめなどはなかった。しかし、話そうとすると壁を感じるし、裏でなにか噂されているというのは肌で感じ取れた。先生はいいことをしたと確信しているようで、たびたび調子はどうかと訊いてきた。憎悪の感情は日に日に強くなった。
いま、先生の抱える花束の、中心に咲く一本の赤いバラ。あれがどういうものかは誰も知らない。あの花びらの奥に、毒蜘蛛の卵嚢が仕込まれているなんて、誰も夢にも思わない。

2023/02/10

2/9/2023, 9:37:10 AM

スマイル

スマイルは苦手だ。
振り切ったらグリンになるから口角を寸止めしないといけないし、口が良くても目が笑っていないなどとイチャモンをつけられる。スマイルは要求水準が異様に高度なのだ。
しかし、笑顔が怖いと客からクレームが来ては、対策せねばなるまい。
私は鏡の前に立つ。鏡に向かって笑いかける。
スマイルなんてだいたい社会的圧力の結果なのに、どうしてあんなにもてはやされるのか。実態がわかっていても人はスマイルを求める。無償のスマイルのくせに、なければマイナスなのだ。まったく酷いものだ。
色々なスマイルを試してみて、はあ、とため息をつく。
なんにせよ、代替皮膚と代替筋肉と義眼のアンドロイド顔では限界があろうよ。

2023/02/09

2/7/2023, 9:45:35 PM

どこにも書けないこと

ある夜のこと。ベッドで輾転反側していると、瞼越しの部屋が不意に明るくなって、目を開けると窓の外が黄色く光っていた。
こんな夜中に何の作業をしているのだ。そう思ったのも束の間、カーテンと窓がさっと開いて、光が部屋を真っ黄色に照らした。
泥棒か。
しかし、身体が金縛りのように動かない。こういう場面で冷静に対処できる方だという自負があったのだが、実際はこんなものか。
暗澹とした気分で窓の光を見つめていると、黒い影が浮き上がってきて、それはエイリアンらしき形になった。逆卵形の頭の、全身タイツ風フォルム。
エイリアンは窓枠から降りると、ベッドで固まる私の横にちょこんと座った。そして、首をこちらに向けた。
途端、頭の中に弾けるようなイメージが浮かんだ。イメージと言ってもそれは映像的ではなく、言語的でもなく、しかし濃密な論理の構成体であった。パズルのピースのように対になりうる答えがあり、しかしその答え方は会話のように無数で、私はその選択肢から、快感情が予測された一つを選んで弾けさせた。エイリアンは頭蓋の裏側で笑ってみせた。それは幾何学模様のように繊細で洗練された美しさだった。
エイリアンと私は、一晩中意思を通わせた。時に侃々諤々と議論を交わし、時に喋々喃々と喜び合った。
とりとめのないようでいて、そこにはなにか目的があった。子供と子供が共同で積み木を完成させる時のような、霞がかった最終到達点が設定されていた。
そうしてついに、その頂点に到達したのを感じた。
縦横無尽のイメージの海を遊弋していた意識が、見当識を取り戻して現実に収束していった。
エイリアンはおもむろに立ち上がった。そして、もと来た窓へ引き返し、光の消滅とともに一瞬で姿を消した。部屋は真っ暗になった。外がまだ夜であることが信じられなかった。
エイリアンは結局何がしたかったのか、会話の内容は何だったのか。私は完璧に理解しているし、今でも鮮明に思い出せる。しかし、それを言語で表すことができない。
つまりはそう、どこにも書けないことなのだ。

2023/02/08

2/7/2023, 8:33:15 AM

時計の針

時計は針がなくても時を刻める。証拠にほら、針を取り除いてもチクタク音がする。時計の本質は周期的な運動による時の等分割だから、彼は仕事を全うしているのだ。
いま何時かはわからないけれど。
何時かわかる必要はなかった。気にしてもどのみち有効活用できないのだから。
毎日おそらく決まった時間に、部屋のポストに食事が置かれる。それを食べてポストに戻して蓋を閉めると、こちらの蓋が施錠されて向こうの扉が開く音がする。そうしたらもうすることがない。
トイレもシャワーも部屋の中にあって、服やその他必需品も別のポストを通じて補充され返却できる。生きるぶんにはなんの不自由もない。
人は部屋から出なくとも生きられるみたいだ。生命の本質が食べて寝て心臓を動かすことだとするなら、これで十分なわけだ。
いま何をしているのかは誰もわからないし、なんの意味も生み出さないけれど。

2023/02/07

2/4/2023, 9:49:43 AM

1000年先も


「美しい人形ですね」
骨董品屋の店主に話しかける。灰がかったような骨董が並ぶ中で、その人形だけが一際曇りなく見えた。
「その人形は綺麗にしておかないといけないんですよ」
「どういうことです」
「さあ。いわれは知りませんが、障りがあるらしいもので」

少女は人形を、それはそれは大事にしていた。病弱で入退院を繰り返す少女にとって、人形は唯一の友人だった。
少女は人形をどこへでも連れて行った。楽しみを分かち合うように話しかけ、笑いかけた。
人形は少しずつ傷が増えていった。微細な傷を見つけては、いつかはボロボロになってしまうのだろうかと悲しんだ。
ある頃から少女の容態は悪化した。もう長い間退院できていない中で、少女は死期が近いことを察していた。両親がなにか隠しているのも気づいていた。少女はおそろしく、たびたび人形に悲嘆を吐露し、抱き締めた。それから、人形に謝った。
自分が居なくなったあと、人形は捨てられるかもしれない。自分が生きていればそんなことはさせないのに。両親に頼めば残しておいてくれるかもしれない。しかし、人形は少しずつ朽ちていく。今はまだ綺麗だとしても、いつかボロボロになったとき、両親は捨てずにおいてくれるだろうか。
いつまでも綺麗なままにしておけたらいいのに。
百年先も、千年先も。

2023/02/04

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