天津

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Love you

We love youと君は言った。君は明瞭にWeと言った。
ふたりともだいぶ酔っていたから、僕の聞き間違いかもしれないし、君の言い間違いかもしれない。しかし、僕の中での君の在り方は、それ以来異質に変化してしまった。以前から君に抱いていた微妙な噛み合わなさが、明確な形を得て胸をざわつかせ始めた。君が時折、君の姿をした何か別物のように感じられるのだ。
思えば君は家族構成について詳しく話してくれたことがない。家出するように上京してきたという話だったから、後ろめたいのは当然だろうと思って僕も詳しく訊かなかった。しかし、たとえば双子の姉妹がいたとしたら。もしかすると、今夜腕の中で眠る君は昨夜の君とは違うのかもしれない。
けれども僕は、そうだったらまだましだと思っている。
頬に触れるとき、皮膚の下に複数の蠢きを感じる。見つめ合うとき、瞳の中にシャボンのような色彩の揺らぎが見える。別人が複数人、ではなく、ひとりの人間の中に複数の息遣いが聞こえる気がする。
まるで多重人格、のような。
しかし、それとは違う異質さを感じる。なにか、目をそらすと反発して崩れてしまいそうなくらい不安定なものを感じる。
自分でも何を感じ考えているのか分からなくなってきている。君の中に微細な流動性を見つけるたびに鳥肌が立つほど、神経が過敏になっている。こんな妄想には早いところ終止符を打たねばならない。
だから、ごめん、君が睡眠薬で眠っている間に、背中に傷をつけさせてもらうよ。これで傷がすぐに消えるようなことがあれば、その時はきっと、このおぞましい考えを捨てて向き合える気がするから。

男がカッターをカチリと鳴らし、女の皮膚に刃を近づけたその瞬間、ものすごい勢いで女の腕が回って男の手首を掴んだ。恐慌をきたした様子で男は掴まれた手を振り回し、女は叫んで抵抗し、ホテルの内線の受話器を蹴った。やがて、従業員や警察が部屋に駆けつけ、男は鎮圧された。複数人に押さえつけられながら男は、あいつが偽物かどうか確かめないといけない、でないと頭がおかしくなるんだ、といったことを叫び続けた。

彼、捕まっちゃったね。
私たちがそう仕向けたんだけどな。
でも、精神病院に入れられて可哀想だわ。
カプグラ症候群だっけ。身近な人物が瓜二つの別人のように感じる精神病。まあ、前提が間違っているよな。ある人物が本当に瓜二つの別人である可能性が完全に排除されてしまっている。UFOアブダクションもそうだ。地球外生命体が接触を図った可能性は全く無いという前提があるから、心理的な説明に留まってしまってもう一つの真相に至らないんだ。
群体の知的生命体は地球上に存在せず、想定しうるまで文明が発達していない。故に仕方あるまい。
でも彼はいい線いってたね。
それで、お見舞いには行かないの。
行ったほうがいいんじゃないかな、彼の疑念を払拭するという安全上の意味でも。
そうね。それに、なんといっても。
私たちは彼が好きだもの。
行こう、という誰かの号令が部屋に響いた。それに呼応して、フローリングの床に車座に散らばった赤く脈打つ肉塊たちは、中心へ向かってもぞもぞと移動を始めた。

2023/02/24

2/24/2023, 9:16:10 AM