「子供の頃は」
人の手が、とても暖かくて、それが何故か嬉しかった。
私の兄上。身代わりにしてきたやな人じゃない、兄上。
優しかった。目つきが悪くて、口も悪くて、みんなから怖がられてたけれど、とても優しくて強くて、かっこよかった。
私のヒーローになってくれると、約束もしてくれた。
親よりも、側近よりも、誰よりも信頼できた。
私とは全く違う正反対の、私の優しい、おにいちゃん。
見た目も全く違う、私は母様に似ていて、兄上は父様。
私の髪の毛はふんわりとしたパーマがかった髪の毛だけれど、兄上はストレートで髪の毛が多いからちょっとボサボサしてた。
お兄ちゃん。私の兄上。私のヒーロー。
もう会える日は、ないけれど。
どうかお幸せになって。私なんか忘れて。
こんな弟のことなんて忘れてね。幸せにね。
⬛︎⬛︎⬛︎、一度だけ呼んだ。兄上は、少し照れくさそうにして、私の頭を撫でてくれた。
幸せでした。
「…兄、上。」
それがこの国の王の遺言であった。
王には兄がいた。名は、王しか知らない
「やりたいこと」
彼が持っているただ一つの小さなカレンダーには丸がついていて、その周りには花がカラーペンでカラフルに描かれていた。その日はちょうど私の誕生日で、まだ何も言われてすらないのに口角が上がる。
彼に誕生日を祝ってもらえる程、光栄なことはないだろう。彼は普段、人には冷たいし、ただでさえ表情が動かない顔が、いっそう機能を停止した機械のように動かないから。
でも、きっとプレゼントはないのだろう。無論、もらえる年でもないのでそれは当たり前なのだが。
多分、彼がくれるのは誕生日おめでとうの言葉だろう。
それだけで私はとても幸せだから早く聴きたい。
それにしても、彼は出かけると言ったっきりもう何時間か経とうとしていた。外はもう夕方と言えるような時間帯に差し掛かっていることだろう。
もしかして何かトラブルに巻き込まれたのではないか。彼は、見ただけではどこかの会社や財閥の御人だと思ってしまうのは私もそうなので少し不安になってきた。
事故には遭っていないだろうか。それとも迷子か?いやそんなわけがない。ここは彼の故郷なのだから。
そんなふうに思い悩み、ぐるぐると部屋を歩き回っていると、ガチャリと玄関の戸が開く音がした。
私のいるリビングの扉が開かれると、彼は両手に収まっているのが不思議なくらいの花束を抱えていた。
そして、その花束を私へ押し付けるようにして渡してきた。キョトンとしている私へ、彼はこう言った。
「私の弟が寄越してきた。廃棄するのも勿体無いからとな、まぁこんな大量の花を捨てる場所もそうそう見つかるわけないと思ったので貰ってきただけだ。」
ただの照れ隠しのように聞こえてしまって、思わずニコリと笑いかけてしまった。彼は小さく、消え入るような声で「…気に入ったのなら、お前のものにすればいい」とだけ言ってすぐさま部屋に戻ってしまった。
彼の顔は後ろから見ていた私からでもわかるように耳まで真っ赤にしていた。それがとても愛らしくて、やはり私はニコリと笑ってしまう。
彼のくれた花束には、彼が作ったであろう小さな竜のぬいぐるみと、彼の求めた英雄を姿取ったぬいぐるみが。
「朝日の温もり」
朝は目を覚ましてベットから起き上がる。その動作は体に染み付いていて、意識しなくとも自然とそうなる。
自室は、窓はなく机と椅子とベットだけというシンプルなものだった。見慣れている光景だから、別にどうと言う感情も湧かない。
当たり前の動作と考えを終えて、椅子に座る。自分の太腿の上に置いた自分の手を見つめながら、今日は何をしようかと考える。これも自分にとって当たり前の動作であり、やはり自然とそうなるのだ。そして、次にやはり自分はおかしいのだと思う。
これは夢だと思うと、次の瞬間にはいつもの見慣れた無機質でなんの感情も抱いていなさそうな白い天井があるのだから。
今回ではどのくらい寝てしまっていたのだろう。一週間か、それとも1ヶ月か。
冬眠、とでと言うのだろうか。吸血鬼というのは不便なものだ。蝙蝠に擬態できるとはいえ、流石に代償が大きすぎるだろう。
いや、そんな事よりももっと言うことがあった
「私っ、を、ち、っそく…させる、気か…此奴…!?」
布団が重い。勢いに任せて思い切り蹴飛ばすと、ちょうど部屋に入ってきた私を窒息させようとしてきた張本人に当たってそのまま後ろへ倒れた。
ゲホゲホと咳き込みながら布団から這い上がる。そのままカーテンを開けると、朝日が差し込んできた。
私が起きたことに気付き、驚く彼を横目に見つつ、久しぶりの朝日をゆっくりと見つめる。
いつの日か、また外に出てみたいものだと思いながら。
「天国と地獄」
お前の罪は私が背負おう。だから、何も心配する必要はない。
そう言われたのは、わたしが赤い目の男に会って数ヶ月したところだったと思う。
赤い目の男と会う前のわたしの人生は、全てが苦痛でしかなかった。元々、愛想の良いわけではなかった。そのせいか、親戚にたらい回しにされ、結局引き取られた先でも捌け口にされる。わたしの年は、いくつか忘れてしまいかけていたけど、確か12であったと思う。
無論、学校でも自分の噂が流れているのでいい気はしなかったが、幾分かマシだった。
そんなとある日だった。
夜遅くに家の外へ追い出されたのは、きっと酒でも飲んで気がおかしくなっていたのだろう。髪を掴まれ引きずられながら外へほっぽり出された。
雪が積もっていて、朝まで生きられるかどうか。
いっそこのまま眠ってしまえば楽なのではないか。そう思いながら目を瞑った。
何らかの気配を感じ、顔を上げる。月明かりが眩しい夜だった。
目の前には人。自分よりも遥かに大きかった。180…いや190センチであろうか。そんな事よりも、どうして人がこんなところにいるのだろう。
赤い目が、ぎらりと光ったのを今でも覚えている。
それが、赤い目の男とわたしの出会いであった。
その赤い目の男は、わたしを見るなり奥歯をぎしりと音がするほどに噛んで、わたしを抱えた。
寒さでおかしくなったのだろう。疲れと寒さで目が閉じる。
そのあと起こったことは知らない。
気付いたらマンションの一室にいて、赤い目の男がご飯をくれて。
どうしてこの男は私にこんなに尽くしてくれるのだろう。
不思議でしょうがなかった。
赤い目の男。
初めて会ったはずなのに、どうしてこんなに。
わからない。しらない。私は知らない。
ただ赤い目の男の眼を見ると、どうしても嫌なものが映る。
誰だ。私はお前なんて知らない。
弓矢で射られたその男を、、私は知らない。
「降り止まない雨」
喧嘩をした。
ただの意見の食い違いによる口論だった。
だったのだが、頭に血が昇っていたのか、つい口調が強くなってしまった。
彼が出て行った玄関は、少しだけ開いていて、風が入ってくる。冷たかった。そのまま玄関を開けると、ポツポツと雨が降り出した。
すぐにハッとした。そして、急いで傘を持って走った。
彼を探している途中、雨は無情にも強くなるばかり。これでは私の声も彼の声も聞こえはしない。
バシャリと水溜まりを踏んだ横断歩道で彼を見つけた。
信号が青になった途端に走り出す。傘を投げ出して、彼を抱きしめるために腕を伸ばす。傘なんかどうでもいい。今はただ彼を抱きしめたい。
彼の体は冷たかった。抱きしめる力を強くして、なんとか温めようとするが、私も雨に濡れて体の芯から冷えていたのであまり意味はなかったかもしれない。
「…許してくれますか」
神にでも聞くかのように丁寧に、そして思いを込めてそう聞いた。
「…」
彼は小さく、ただ‘はい’とだけ。
彼の許しを受ける。ちょうど雨も上がったところだ。