《この手が届かないこと》
(刀剣男士/平野藤四郎)
平野藤四郎は正しく"忠臣"という短刀で、
実戦より警護を得意としているが、弱い訳では無い。
短刀ならではの機動力と間合いがあるからこそ、守れるものがある。
けれども守れるのはこの腕が届く範囲だけだ。
打刀や太刀のような背丈があれば守れるもの、遠ざけられるものがあるのに、短刀の小さな背丈では足りない時もある。
それを痛感した時、平野藤四郎は己の不甲斐なさや
この姿に対して、やるせない気持ちになるのだ。
《あの海にもう一度》
(刀剣乱舞/千代金丸)
とある本丸は二十四節気に合わせて景趣を変えるだけでなく、刀剣男士の要望で景趣を変えることがある。
ある夏の暑い日。近侍の千代金丸が、審神者へ頼み事をしてきた。
「景趣を海の見えるものにさせてくれないか?」
聞くと、この前浦島虎徹と話した時に沖縄の海が恋しくなったらしい。
審神者はその願いに応え、景趣を【展望の間・海辺】に変更した。
千代金丸のように綺麗な青水色の海面と、心が安らぐ波の音が聞こえる景趣。
千代金丸は景趣の海辺を見ると、
「琉球の海も、こんな眩しい色で。こんな匂いがしていたなぁ....」と呟いた。
けれどもこの海は所詮は幻で、作り物。
本物の沖縄の海にはなれない。
いつか千代金丸も治金丸も北谷菜切も連れて
あの美しい海を一緒に見れる日が来る事を願い、
今は仮初の海を3振りに見せるのだ。
《裏返しの言葉》
(刀剣乱舞/鯰尾藤四郎)
「俺の名前は鯰尾藤四郎。燃えて記憶が一部ないけど、過去なんか振り返ってやりませんよ!」
明るく真っ直ぐな性格。
世話焼きで実に脇差らしい刀剣男士。
けれどもやはり彼は失われた記憶がどうしてもひっかかっていたと知ったのは、修行へ旅立った後に送られてきた手紙だった。
そして3通目で、かつての主・豊臣秀頼に出くわしたあと
記憶を取り戻したと綴られていた。
燃える大坂城とその中で死する秀頼と、何も出来ず燃えてゆくかつての自分を。
それでも前を向き。今の主のために刃を振るう。
それが極めた鯰尾藤四郎なのだ。
「大坂まで行って、記憶を取り戻してきた鯰尾藤四郎。
記憶が戻ってきたからって、過去は過去。俺は今をしっかり歩むだけだ!」
もう、その言葉に裏はない。
《その名を冠する刀》
(刀剣乱舞/鶴丸国永)
鶴丸国永という刀は、鶴を思わせる白い衣を身にまとい、
赤は戦のうちに付くだろうと軽く言ってのける酔狂な刀剣男士である。
驚きを求め、自由に生きる彼の姿は、まさしく大空を自由に飛ぶ鳥のよう。
鶴の名を冠する刀は、今日もその白い衣を身に纏い、
戦場で付く赤い血を衣に付け、《鶴》になる。
「紅白に染まった俺を見たんだ。あとは死んでもめでたいだろう!」
大空を羽ばたくように、今日もとある本丸の鶴が戦場を駆け抜ける。
《別れこそ笑顔で》
(刀剣乱舞/鳴狐)
粟田口派の刀工・国吉が鍛え上げた打刀。
お供の狐がほとんどの感情表現を行う故、口数が少ない刀剣男士。
その本丸の審神者は鳴狐を近侍としていた。
どうやら「鳴狐の心からの笑顔が見たい」という挑戦のためだったらしい。
しかし何年、何十年経てども鳴狐は変わらず凛とした顔付きでいる。
そして審神者の歳が3桁目前のある日。
静かに息を引き取った。
その日も鳴狐は泣くことも無く、いつもと変わらぬ表情のまま、目覚めぬ審神者の横に居た。
本丸の刀が代わる代わる審神者の顔を見に訪れ、日が暮れ、月が空に浮かぶ頃。
ようやく鳴狐だけの時間が訪れた。
その時、鳴狐は面を外し、審神者の顔をじっと見ると、
「あるじ。鳴狐の笑顔はどうだ」
そう言い、涙を流しながら思い切り笑ったのだ。
審神者の目には二度と映らぬ笑顔。
そして。
「さようなら。あるじ。鳴狐は幸せだったぞ」
そう言って別れの言葉と共に、笑顔を手向けた。