知っている。消えゆくことの美しさを。
いつかその日が来ることを夢見て、ひっそりと時を過ごしている。
この身を包む、硬くて冷たい膜──それは私の存在を証明するものであり、同時に、この退屈な日々から抜け出せない枷でもある。
周りの多くの仲間たちが、その夢を叶えていった。軽やかに、そして一瞬の輝きを放ちながら、彼らは水と戯れ、清らかな存在となり、やがて跡形もなく消えていく。
いつも、その光景を遠くから見つめ、胸が締め付けられるほど羨ましい。
ああ、早く。早く誰かの手の中で、ぬくもりを感じたい。そして、水と一つになり、清らかな存在──泡となって、光を反射しながら、美しく、儚く、消えていきたい。
泡になりたい。
この熱い願いは、いつも届かない。
今日もまた、誰も私のところには来てくれない。私は、静まり返った洗面所の片隅に置かれている小箱の中で、ただひたすらに、その日を待ち続けている。
テーマ【泡になりたい】
アスファルトの照り返しが、蜃気楼のように揺れていた。熱を孕んだ風が、生ぬるい微熱のように肌を撫でる。
蝉時雨が遠くで降り注ぐ中、僕は一人、部屋のカーテンを閉め切っていた。光を拒んだ部屋は、昼なのに薄暗い海の底のようだ。壁にかけられた古い時計だけが、カチ、カチと静かに時を刻む。
時が止まったように感じられるこの部屋で、僕はただひたすらに、あの日の景色を思い出していた。
失ってしまったものの形を、僕はもううまく思い出せない。大切な誰かだったかもしれないし、手のひらに乗るほどのささやかな希望だったかもしれない。
確かにそこにあったはずの、僕を形作っていた何か。その不在だけが、心臓を蝕むように、僕のこの体を重くする。
いつのまにか、季節はあの夏に戻っていた。
ただいま、夏。外の世界は、こんなにも眩しくて、こんなにも生命力に満ちているのに。僕だけが、時間に取り残された化石のように、この部屋に閉じこもっている。
カーテンの隙間から差し込む一筋の光が、埃の舞う様を浮かび上がらせる。その儚い光に、僕はそっと手を伸ばした。
まるで、もう二度と触れることのできない、遠い日の残像に触れようとするかのように──
テーマ【ただいま、夏】
長きに渡って私を虐げ苦しめてきたあの人。裏切られた数は、それこそ数え切れぬほどに。
だからとて、こんなことをしようとは考えもしなかった。こんなどうしようもない人のために、罪を犯すだなんて。
それなのに、私はあの人の命を奪ってしまった──
一度その身にナイフを突き立てれば、積年の恨みが噴き上がる。気がつけば私は何度も何度もあの人の身体をナイフで抉っていた。
我に返った時は凄惨な光景が横たわる。あの人の血によって赤く染められた部屋。血濡れの物言わぬ肉塊と変じたあの人。
恐怖心が足元から駆け上がるようにして襲う。私は返り血で真っ赤に染まってしまっている身にもかかわらず、部屋を飛び出す。
でも、どこへ逃げたらいい?
恐怖と混乱で足取り覚束ぬ体で、どこともなくさまよう私。
頬に冷たい感覚を覚えたと同時だ。激しい雨が降り出した。
だがそれは束の間のことで、すぐに雨は止んでしまった。
その通り雨は、長らく不幸だった私に対する慈悲だったのかもしれない。
返り血が洗い流された様を見て、少しでも犯した罪を濯ぐために、通り雨が慰めてくれたのだ、と。
テーマ【通り雨】
極彩色のネオンが煌めく夜の街。眠らぬ都市とでもいうのか、喧騒は絶えることがない。
それがなんとも鬱陶しく感じて、雑踏を離れ路地裏へと逃れる。
そこは華やかな表通りとは対照的に、暗く退廃的な場所であった。
ひっそりと静寂が支配し、幅の狭い通路が奥へ奥へと伸びている。
壁に貼られているポスターはどれも色褪せており、それが退廃的な雰囲気を漂わせる一因のようであった。
煙草に火をつける。
吐き出された煙は、生温い夜風にさらわれて、ゆらりと舞い上がる。
か細い光をたたえる街頭に照らされたそれは、踊るように形を変え、儚く消えていった。
テーマ【踊るように】
彼は多くの罪を犯してきた。宝物のように思っていたあの子を守る為に。
彼は捕われ、冷たく堅牢な牢獄に繋がれている。数々の罪をその命で償う日が来るまで。
鉄格子越しに臨む夜闇が徐々に白んでいく。今日も長い一日が始まる。
独房に満ちている深々とした静寂を、複数の靴音が破った。
無機質で規則的な靴音が近づいてくる。やがてそれは、彼が収監されている独房の前で止まった。
ああ、ついに罪を償う日がやってきたのか──。
解錠され、扉が軋みながら開かれる。それは、贖罪の時を告げる瞬間を意味していた。
テーマ【時を告げる】