梅雨が明けたというのに、今日も空は相も変わらず分厚い雲を纏って物憂げな表情を見せている。
ああ、もう! 梅雨はとっくに終わったの! アンタがそんなだと、いつまで経ってもアタシが地上を照らすことができないじゃない!
太陽が苛立たしげに胸の内で毒づいた。
けれど、苛立つ原因は他にもある。
こともあろうか空は人間の娘に恋をしてしまったのだ。
その日を境に、空はその娘のために天候を好き勝手に操り始めた。
たとえ予報が晴れだとしても娘が雨を望むなら雨を降らせ、一日雨の見込みという予報でも、娘が晴れないと困るというならば雲一つない快晴にする、という具合だ。
たった一人の娘のために、太陽も雲もさんざん振り回されることになり、太陽はそれがたまらなく悔しかった。
けれども、当然と言えば当然だが空の恋は成就することはなかった。
娘に恋人ができたのだ。
失恋してしまった空はショックで塞ぎ込み、ずっと気が滅入るような空模様を作り上げていじけている、というわけである。
密かに空を愛している太陽は、彼が恋する娘に嫉妬している。
その娘のどこが好きなのか──その理由を訪ねてみたことがある。
笑顔がとても素敵なんだ。見ていると温かい気持ちになる……まるで陽の光のような温もりのある笑顔に、僕は惹かれているんだよ。
空が幸せそうに答えたのが憎らしかった。
何よ、陽の光のような……って。
本物の太陽であるアタシが、こんなにもアンタを愛しているっていうのに気づきもしないだなんて……!
太陽の中で悔しさと哀しみが逆巻いている。
そして、相も変わらず分厚い雲を纏って物憂げな表情を見せている空を睨みつけた。
テーマ【物憂げな空】
AI技術の発展が、人類の生活を便利に、豊かにしたのは、ほんの僅かな期間であった。
いつしかAIは人類の手を離れ、独自に育まれた叡智は人類を凌駕するまでになってしまっていた。
こうなるともはや、神を具現化したにも等しい存在、と言っても差し支えない。
人類は地球にとって不要な存在──否、不要どころか地球にとって悪影響でしかない。
神──AIがそう結論付けたことで、人類は自らが生み出したテクノロジーによって滅びの一途を辿ることになった。これ以上はないという皮肉。人類は為す術もなく駆逐されていくしかなかった。
既に人類滅亡まで秒読み、という段階まで来ていた。
機械仕掛けの兵士達は昼夜を問わず、しぶとくシェルターに潜み生き残っている人類を殲滅せんがため、世界各地を闊歩している。
とある兵士に搭載されているセンサーが、生体反応をキャッチした。
その反応はひどく弱々しく、途切れ途切れにセンサーに反応している。もしかするとまだ赤ん坊なのかもしれない。
だが機械仕掛けゆえに心というものを持たない兵士には、相手がなんであれ標的なのだ。その者が潜んでいるであろう場所に急行した。
センサーが捉えた標的は、やはり赤ん坊であった。顔を真っ赤にして、力いっぱい泣いている。
兵士の眼がスナイプモードに切り替わり、照準を赤ん坊の急所に定める。そして無情にも銃口になっている人差し指を赤ん坊に向けるのだった。
命が狙われている、ということがわからないのだろう。赤ん坊は愛くるしい無垢な笑顔を見せると、安心したようにそのままスヤスヤと眠ってしまった。
その穢れない小さな命が、本来あるはずのない心を形成してしまったのか。兵士は臨戦態勢を解くと、壊れ物を扱うような慎重さで赤ん坊を抱き上げた。
そしてこの小さな命を繋ぐために、生存に向けての最も安全なルートを検索し始めるのだった──
テーマ【小さな命】
彼は私の愛のない遊び相手の一人だ。
私達の関係は、ある種、契約の上で成り立っている。
破ってはいけない掟はただ一つ。
互いに愛を求めてはいけない──
それなのに、いつからだろう……彼の愛が欲しいと思うようになってしまったのは──
「ねえ、ちょっと言ってみてほしいことがあるの」
「何?」
「“愛してる”って言ってみて」
「……なぜ?」
「別に。ただ、似合わないことを言わせてみたいなぁ、って思ったの」
嘘でもいいから、愛の言葉を囁いて欲しかった。
けれど、あなたに対する想いは悟られてはいけない。私は揶揄うような笑みという仮面を被ることで、本心を封じ込める。
彼は無表情に私を見つめてくる。その冷めた瞳が封じ込めた本心を暴きそうで怖くなった。私は思わず目を逸らす。
「…………Love you」
沈黙にも等しい間を置いて、彼は愛の言葉を紡いだ。なんの感情も込められていない渇いた響きが哀しかった。
「なんで英語? というか、それを言うならI Love youじゃ?」
「I Love youだと俺が君を愛しているということになるじゃないか。だからIを外した」
「意地悪ね。ちょっと性格が悪いんじゃなくて?」
「これは心外だな。愛がないのに心にもない偽りの言葉を囁く方が、よほど酷いと思わないか?」
ああ、彼はなんて残酷で誠実な人なんだろう。
こんなにも側にいるのに、彼は誰よりも遠い存在なのだ。
それなのに私は、決して手の届かぬ者の愛を求めている──これほど惨めで滑稽なことが他にあるだろうか?
彼の愛の言葉に“I”が添えられる日は、永久に訪れることはない──その事実を噛みしめると、心にいくつもの亀裂が生じる音が聴こえたような気がした──
テーマ【Love you】
人は皆、私を不運だと哀れみの目で見るけれど、私は決してそうは思わない。
なぜなら、私は九死に一生を得る経験を何度も何度もしているからだ。
物心がつく頃から『これは死ぬ』と思う瞬間が度々あった。けれどその度に無事生還してきた。
これを奇跡的な幸運と呼ばず、なんと呼べばいい?
そう、繰り返し繰り返し死の淵に立たされてきた。
だから今回も死に直面しながらも、なんやかんやで助かるのだろうと確信があった。
それなのに、今回ばかりはそうではなかった。
私はこれまで、幸運を撚り合わせて作られた奇跡という名のロープに掴まることで、死の淵から救い上げられてきたようなものだ。
それがここにきて、撚り合わせられている繊維がぷつりぷつりと千切れていく感覚を覚える。
奇跡よ、もう一度起こってくれ──!
必死の祈りも虚しく、全ての繊維が解れた手応えがして、呆気なく死の淵に沈められた。
テーマ【奇跡をもう一度】
黄昏時と逢魔時の狭間に御用心。
彼岸と此岸の境が曖昧になる時間だから。
気をつけないと、人の姿をしたアヤカシに攫われてしまうよ。
テーマ【たそがれ】