感情的になってはいけない、僕の意見は必要ない
今まで自分の意見というものは誰かに聞かれない限り話さないようにしていた。というより言えなかった、言わなかった、必要性がなかったが正しいのかもしれない。
長子だからとか、面倒事を避ける処世術だとか、我慢という優しさのためとか、理由はいろいろある。プライドはかなり高いのだろうけど、必要なら捨てられるくらいには軽いものだ。しがみつくものではない。
自制してそれを優しさだと勘違いしたりされたりしていつも違和感だらけだ。嫌いなものなら答えられるのに好きなものは答えられない。無難に食べ物を羅列して本当に気に入っているものは誰にも言ったりしない。気づいて指摘されても曖昧に濁して言及しない。
ただ、ずっと、今も昔も怖がりなのだ
声高に自分の意見や好みを主張する人たちが眩しい。
羨望や嫉妬で狂いそうになる自分が心底嫌いで、誰かの眩しさにあやかれないか期待している。夢をみるだけなら無料だから1人のときはいつも夢をみる。
戸や窓を閉め切って、用法通りの茶葉と湯を用意し、ほんのりと香るそれに空間ごと浸る。硬い床張りに薄い絨毯をひいただけの場所に座り込んで茶色の水面をみつめ、白紙の紙束に夢の一端を残せるようペンを握る。
最後には切り刻まれて屑になってしまうそれを、僕はやめられないんだ。
【題:紅茶の香り】
幼い頃、両親からのプレゼントでぬいぐるみをもらった。今日からあなたのお友達よ、なんてよくある言葉ごとを素直に受け取り常に一緒に過ごした。
どこに行くにも一緒、風呂やトイレは扉の前で待っててもらった。一緒にいたい、いるべきだ、いなければいけない。誰に何を言われようと決して離れない。友達なのだから当然でしょう。
でも歳をとるにつれてみんな変わってしまった。
母親のヒステリックな叫びと父親の躾、クラスメイトの勝手な言い分から友達を守り続けた。何度引き裂かれても捨てられても直して探し出してずっと一緒にいる。
もう何日もごはんを食べていない。腫れ上がった頬と躾された身体が痛い。担任に引きずられて知らない人たちと病院にいってそのまま閉じ込められた。だけど友達が一緒だから怖くない。殴られるのも女の子の躾もつらくない。
だから、だから、友達を連れて行かないで。私だけの友達なの、何もおかしくない。
――友達はずっと一緒でしょう?
【題:友達】
甘ったるい金木犀のにおいがする。
沈みかけていた意識がすくい上げられていく。強引に引っ張られ、利き手に何か大切なものを握らされ、ぼやけた輪郭を薄紅色の花弁が攫っていく。
――願わくば、
そう言って穏やかに微笑んでいる、ように感じた。それぞれに繋がれた手が離れていってそれが寂しく、とても情けない。私のせいだ、全部私が悪いのに、どうして。
目が覚めたら自室の畳の上に転がっていた。開け放された障子の外、何かの染みで汚れた縁側の向こうに曇天の庭があった。見える限りすべての植物は朽ち、白かったであろう玉砂利は土埃か何かでくすんでいる。だけど、わずかに湿気を含んだ風がよく知るにおいを運んでくるからまだどこかで生きているのだろう。
もう、そんな季節なのか。知らない内に随分と時が進んでしまった。そうだ、着物。みんなが贈ってくれたあの着物はどこにあるのだろうか。今なら丁度いい。凝った意匠の私には豪華すぎるそれを今なら着れるはずなんだ。
「はやく、みつけないと」
この季節が終わってしまう前に替えてしまわないと、きっとまた怒られてしまうから。
【題:衣替え】
「ごめんね、お待たせ」
あれこれ悩んでいたら約束の時間になっていて慌てて玄関へ向かった。すでに準備を終えて待っている彼の姿がみえて、さらに足を速める。
玄関の時計は約束の時間ちょうどをさしていた。遅れたわけではないけど、時間に余裕をもって行動する彼をきっと待たせてしまっただろう。一応謝罪はするが彼は待っていないとゆっくりでいいと言うのだ。わかりやすい優しい嘘に甘えてしまうのはよくない、でも嬉しい。
「どうかしたの」
すっかり秋らしくなったのに合わせて装いも変えた。自分の骨格には布地がしっかりしたものが似合うから秋冬の服装は選びやすい。上着の有無で悩むけどこの季節は好きだ。タイトなスカートにブラウスと薄手のカーディガンというよくあるシンプルな組み合わせなのだが、何か気になるのか彼は少し考えるような仕草をして黙ってしまった。
息をするように褒め言葉を吐くのに今回は何もない。それどころか目も合わない。照れるとか嫌悪しているような感じはないのになんでだろう。
頭1つ分背の高い彼の顔を覗き込むと、口元を隠し咳払いをしてまた顔をそらされる。全く隠しきれていない笑いをこらえる姿にイラッとした。
「なんで笑うの」
あまり聞きたくはないけど変なところがあるならはっきり言ってほしい。責めるような口調で問い詰める。
彼は大きく息を吐くとまだ少しニヤけながら腰に手を回した。そのまま引き寄せられて抱きしめられるのかと思ったら、私の下腹を撫でてまた笑い出した。
その意味に気づいたらもう恥ずかしいのと怒りで彼に腹パンして自室に戻った。なんて腹立たしいやつなんだ、誰のせいだと思ってるんだ。
いつも通りにいくわけないのに、わざわざ指摘してくるのがムカつく。どうせ太ったとしか思ってないんだ。
このことは絶対忘れない。診察結果をみて大いに反省してもらおう。
【題:始まりはいつも】
♪こんなに〜お天気なのにね〜
うろ覚えの歌詞を口ずさむ。忘れてしまったところは鼻歌で誤魔化して、何度も同じメロディを繰り返す。
歌詞通り、外はよく晴れていて遠くにみえる木々がほんのり紅葉しているようにみえなくもない。視力には全く自信がないからしかたない。
カラカラと油の足りていないタイヤが回る音が部屋の前を通りすぎていく。空元気な声で楽しそうな会話をする人たちが部屋を出ていった。
まあこんなところで元気よく楽しめることなんてない。だって治療をするための場所で、みんながみんな自分とは無縁の場所だと信じてやまないところなのだから。
「なんだ、随分と辛気臭い顔だな」
当たり前だ。治療を理由にこんなところに閉じ込められていたら誰でもそうなる。スタッフや施設がどうとかじゃなくて、慣れない場所で落ち着かない生活をしていて疲れたのだ。解放される喜びより疲労感が強い。
会計をすませ、荷物と退院処方を両手に久しぶりの外へ自分の足で出ていく。夏とはちがう少し乾燥した暑さを感じた。
「久しぶりのシャバの空気はどうだ」
冗談めかした言葉にムッとして隣に立つ人を見上げた。久しぶりに顔を合わせたその人は相変わらずきれいで、そこに隠しきれない嬉しさを滲ませた笑顔までついてきたら何も言えない。
私の方が嬉しいはずなのに、この人には負ける。
なんだか悔しいな。
【題:秋晴れ】