冬の雨のような人だった。
冬なのだから次第に雨は雪に変わって屋根や道路脇を白く染めて雪化粧を楽しめると期待したのに、雨粒は雨粒のまま地面を黒く濡らすだけだった。あのがっかりした気持ちをまさか人にまで感じるとは思わなかった。
にこにこと機嫌よく帰ってきたと思ったら、誕生日おめでとうとケーキの箱を差し出してきたあの日。確かに私の誕生日ではあったけど渡された箱はとても軽くて、開けてみたら中は空っぽ。ひどく酔った彼はそれに気づかず褒めてほしいとすり寄ってくるだけで話にならない。
腹立たしいとすら思えないほど呆れて、すうっと気持ちが冷めていった。彼の手を振りほどいて自宅に帰り、別れのメッセージを送ってブロックした。
彼とはそのまま会っていない、もう会えない。
次の日からの記憶は朧げで、あまり覚えていないのだ。警察とか彼の両親や友人、会社の人がきて私を責めたり殴ったり散々だった。気づいたら病院のベッドで寝ていて、謝罪やら賠償やら喧しい。退院しても煩わしいそれらを弁護士さんが静かにしてくれた。
ぼんやりしたままの私を弁護士さんは励まし叱咤してくれた。彼とは違う、春の嵐のような人だと思った。突然現れて季節を塗り替えてしまうような圧倒的な力をもってすくい上げてくれる。季節は巡る、時は止まらない。今も次の瞬間には過去になっていくのだと教えてくれた。
いつか、私のような薄情者が許される日がくるのだろうか。今はまだ分からないけれど、私は私の背を押す風を信じたい。
【題:追い風】
誘われるがまま後をついて回って、役に立てるのなら何でもする。悪いことでも責任を肩代わりしても嘘をつくことで守れるならばいくらでも言葉や態度を飾ろう。私を必要としてくれるならば、他のことなんてどうでもいい。
そういう盲目的な言動でしか他人との関係を保つ方法を知らない。本やネットでは、自分を大切にしようとか自分の意見を伝えようとか解決策で溢れているのにその全てがピンとこないのだ。大切にするってどうやって?意見を伝えるのと我儘との違いは?そもそも自分って何なの?
よくわかりもしないことで他人を困らせてうざがられるなら、適当にいい思いをしてもらって関係を切られたほうが安心する。よく偽善だなんて言われるけど全部本気だよ。相手が満足できたならそれでいいじゃないか、自分とは違って明確な幸せを得ようと頑張っているのだからその手伝いができたら嬉しいでしょ。
生きる意味は人それぞれなんでしょ、だったら偽善なんて言う資格も権利も誰にもない。これが私の幸せだよ。
【題:幸せとは】
なんだかもう全てがどうでもよくなった。
ひたすら無心になって、目につくことも目を瞑って、聞きたくなかった裏話に耳をふさいで、問われたこと以上に口を開かず、ずっと同じような言葉を吐き続けた。
社交性なんてものは昔からなかった。人といることが苦痛で混雑した場所なんて地獄でしかない。
人の声が隣で喋る同行者と同じ音量で聴こえるから何を話しているのかわからない。適当に無難な相槌しか返せなくて罪悪感と苛立ちで頭がおかしくなりそうだ。
人を前にすると何を話していいのかわからなくて面白くもないのにずっと口角を上げて笑っている顔を保つ。マスクをつけるようになってからは目元で喜怒哀楽を表せるようになった。何も言わずとも一時的に好感を得られるから便利でいつの間にか当たり前になった。
こんなもの身につけたくなかったのに知らないうちに勝手に身についていた。
何でもないフリはとても簡単だ。でも自分を殺す。
我慢に我慢を重ねて、何もよくないのに他人を許さなければいけない。怒るだけの気力もない、争うほどの意見もない。
これってふつう?それともおかしい?どちらでもいいけど変だと言われたらそれはそれで開き直れるから気が楽になる。何一つ解決してないのに楽になれる優しい薬のようで結構好きなんだ。
今回で治療が終わる。命にかかわる大病だった。
よく死に直面すると人生観や死生観が変わると言うけど本当だった。私の場合1番大きくは変わったのは『どうせ死ぬならなんでもやっとけ』という心構えができたこと。
いつ死ぬかわからないなら今したいことをやってスッキリしたい。お金や時間との兼ね合いも考えながら計画するのは楽しかった。
まあ、何でもないフリをしなければいけない場面が多くてストレスはあったけど、それを差し引いてもいい体験だったなと思う。自分のことなのに他人事みたいなのはあんまり考えたくなかったから。それこそ何でもないフリだ。
なんかもういつでも死んでいいよって思える生き方が幸せなのかもね。
【題:何でもないフリ】
もし許されるのなら、別に許してもらうことでもないのだが、仲間だと思っていいのかな。
ただ何かしら共通点があって親近感が湧いたから勝手に仲間だと思っているんだ。ごく限られた共通点、たったそれだけの部分をみて、その部分に限り仲間だと思う。
極端な話ではあるが、それ以外の部分では何の関係もない同志でも敵でもない他人となる。
自分はとてもシャイで口下手だ。自分から話しかけることはおろか、聞かれたことにすら上手く答えられないくらいシャイだ。社会性や社交性の欠如とでも言おうか。最低限のマナーと報連相がある程度できていればギリギリ及第点だと助かる。
そういうふうに生きてきた。それ以外の生き方がわからなかった。自虐することで期待されずほどよい距離を生み出しお互いの負担を軽減する、それが最適解だと思うんだ。
この身のうちにあるドロドロとした常識や倫理観の欠如を外に出さず、嫌悪感のある対象にだけその片鱗を見せてやることで浅い付き合いで終える。
ちゃんと善悪は理解しているから、それが誰にも受け入れられないことだとわかっている。そしてそれを武器にできること、その扱い方を間違えなければいい。
きっと本当の意味で仲間になることはないだろう。
それでも何十年もの時間の中で、たった数ヶ月程度顔を合わせ、時期がきたら離れて二度と出会わない。
自分が消えていくような気になる。ただそれだけのわけのわからない独白だ。
生きるのは難しい、けれど失くすのは簡単だ。
それを受け入れるかどうかで人生の充実度が変わるのかもしれない。
どちらにせよ自分には難しいことだから、しかたない。
【題:仲間】
形骸化した社交辞令
【題:ありがとう、ごめんね】