がんばれって言われてがんばれたことなんて1つもない
深夜、小腹が空いてキッチンを漁っていたらあいつが来た。足音も立てず静かにやってきたのだろう。振り返ったら出入り口の前にいるあいつとバッチリ目が合って驚きすぎて声も出なかった。
冷凍庫でみつけた誰かのアイスを隠しつつ、水切り台に放置されたスプーンを掴んでダイニングに移動する。あいつは俺がソファーに座るのをみて、また静かに俺の隣へとやってくる。ジッと観察するような視線が頬に刺さるのを感じながらアイスを頬張る。ここまできて隠す意味などないが、こういうのは少し背徳感があったほうがおいしいものだ。
あいつは俺の膝に頭をのせて寝転がる。そしてまたジッと観察してくるのだ。責めるでもなく、よこせというでもなく、俺の一挙手一投足を注視する。なにか期待しているようにもみえなくはない。あいつはけっこう打算的なところがあるから。
何も言わないのをいいことに少し愚痴をこぼす。不満のような不安のような、責任転嫁したいがその度胸すらない情けない自分のことをポツポツとこぼす。
掬ったアイスが溶けて、一粒あいつの頭に落ちた。それを器用に手で拭って舐め取るあいつはいっそふてぶてしく感じる程に不満そうに鳴いた。
「…猫に何言ってるんだろうな、俺」
空になった容器を差し出せば、待ってましたと言わんばかりにカップに顔を突っ込んだ。なぜか昔から甘いものが好きでおこぼれをもらうためなら何でもするやつだ。
この猫のように生きられたらきっと楽しいだろうな。
【題:もう一つの物語】
昔から魔法少女は私の憧れだ。
魔法のステッキを片手にふわふわのスカートとリボンたっぷりの装飾のワンピースで決めポーズをする姿が大好きだ。
敵を倒すシーンや他のストーリーには目もくれず、オシャレに変身してからの決めポーズまでしか記憶にない。たぶん魔法少女よりオシャレな変身が好きなんだと思う。
自分がそうなりたいとは思わないし、画面の中でしか観られないところに憧れが詰まっている。夢は夢のまま綺麗なままでいてほしいという私のこだわりなのだ。
真っ暗な部屋に帰ってくると沈んだ気分が少し和らぐ。明かりをつけて引き出しに隠したノートとペンを机の上に並べたらもう最高だ。ページをめくるたび架空の魔法少女と私好みの衣装が現れてワクワクする。映像をつくれるほどの技術はないけど絵を描くのは割と得意だ。ネットや本で服飾の情報を集めて、人体の描き方も勉強して、憧れの魔法少女を描く。
なんの楽しみもない人生に花を添えてくれる可愛くて素敵な魔法をつかう特別な存在。いつか映像もつくってみたいな。
【題:暗がりの中で】
感情的になってはいけない、僕の意見は必要ない
今まで自分の意見というものは誰かに聞かれない限り話さないようにしていた。というより言えなかった、言わなかった、必要性がなかったが正しいのかもしれない。
長子だからとか、面倒事を避ける処世術だとか、我慢という優しさのためとか、理由はいろいろある。プライドはかなり高いのだろうけど、必要なら捨てられるくらいには軽いものだ。しがみつくものではない。
自制してそれを優しさだと勘違いしたりされたりしていつも違和感だらけだ。嫌いなものなら答えられるのに好きなものは答えられない。無難に食べ物を羅列して本当に気に入っているものは誰にも言ったりしない。気づいて指摘されても曖昧に濁して言及しない。
ただ、ずっと、今も昔も怖がりなのだ
声高に自分の意見や好みを主張する人たちが眩しい。
羨望や嫉妬で狂いそうになる自分が心底嫌いで、誰かの眩しさにあやかれないか期待している。夢をみるだけなら無料だから1人のときはいつも夢をみる。
戸や窓を閉め切って、用法通りの茶葉と湯を用意し、ほんのりと香るそれに空間ごと浸る。硬い床張りに薄い絨毯をひいただけの場所に座り込んで茶色の水面をみつめ、白紙の紙束に夢の一端を残せるようペンを握る。
最後には切り刻まれて屑になってしまうそれを、僕はやめられないんだ。
【題:紅茶の香り】
幼い頃、両親からのプレゼントでぬいぐるみをもらった。今日からあなたのお友達よ、なんてよくある言葉ごとを素直に受け取り常に一緒に過ごした。
どこに行くにも一緒、風呂やトイレは扉の前で待っててもらった。一緒にいたい、いるべきだ、いなければいけない。誰に何を言われようと決して離れない。友達なのだから当然でしょう。
でも歳をとるにつれてみんな変わってしまった。
母親のヒステリックな叫びと父親の躾、クラスメイトの勝手な言い分から友達を守り続けた。何度引き裂かれても捨てられても直して探し出してずっと一緒にいる。
もう何日もごはんを食べていない。腫れ上がった頬と躾された身体が痛い。担任に引きずられて知らない人たちと病院にいってそのまま閉じ込められた。だけど友達が一緒だから怖くない。殴られるのも女の子の躾もつらくない。
だから、だから、友達を連れて行かないで。私だけの友達なの、何もおかしくない。
――友達はずっと一緒でしょう?
【題:友達】
甘ったるい金木犀のにおいがする。
沈みかけていた意識がすくい上げられていく。強引に引っ張られ、利き手に何か大切なものを握らされ、ぼやけた輪郭を薄紅色の花弁が攫っていく。
――願わくば、
そう言って穏やかに微笑んでいる、ように感じた。それぞれに繋がれた手が離れていってそれが寂しく、とても情けない。私のせいだ、全部私が悪いのに、どうして。
目が覚めたら自室の畳の上に転がっていた。開け放された障子の外、何かの染みで汚れた縁側の向こうに曇天の庭があった。見える限りすべての植物は朽ち、白かったであろう玉砂利は土埃か何かでくすんでいる。だけど、わずかに湿気を含んだ風がよく知るにおいを運んでくるからまだどこかで生きているのだろう。
もう、そんな季節なのか。知らない内に随分と時が進んでしまった。そうだ、着物。みんなが贈ってくれたあの着物はどこにあるのだろうか。今なら丁度いい。凝った意匠の私には豪華すぎるそれを今なら着れるはずなんだ。
「はやく、みつけないと」
この季節が終わってしまう前に替えてしまわないと、きっとまた怒られてしまうから。
【題:衣替え】