シシー

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4/29/2026, 2:48:24 PM

 得られるものは特にない、だからよかった

 お酒が好きで、でも一人で飲むと全く酔えないから雰囲気だけでも味わおうとたまに居酒屋にいく。ガヤガヤとした喧騒の中で色んな悩みや苦労を酒で誤魔化す人の話は、なぜかよく聞こえる。

 「一人で飲んでて寂しくないのかい」

 大将は意地悪そうな笑みを浮かべて失礼なことを言ってくるが、実は女の一人飲みを配慮してくれているだけだ。店員の目があるぞというさりげないアピールである。酔っぱらいに効果はあるか謎だけどね。

 「味玉いるか?好きだろ?」

 特製の醤油ダレが染み込んだ茶色い卵を2つ、返事をする前に差し出された。卵料理ばかり注文しているからかしっかり好みを把握されて、今では余りそうな卵料理を勧めてくるようになったのだ。美味しいので文句はないが強引だなと思いながら味玉を頬張る。塩気を含んだ黄身がとろけるのが最高だ。

 「酒は?麦ね、はいどーぞ」

 炭酸が苦手なので飲めるものはだいぶ絞られている。ほぼ水割りしか頼まないのだが、烏龍や緑茶で出てくることもあって今回はどうかと楽しみにしていた。出てきたのは適当に砕かれた大粒の氷が入ったグラスで、ストップ言えよと冗談めかして酒を注いでいく。案の定、規定の量で勝手に止まるのだから聞く意味あるのかと思う。
ロックも美味しいからいいけどね。

 「それで最後だ」

 すっかり常連扱いされてしまって、店に入ってすぐに予算を聞かれてその分の支払いをするようになっていた。今日の予算は8000円、つまりこのロックで晩酌は終わりということだ。
もったいなくてちびちびと舐めて味わった。

 「気いつけて帰れよ」

 店を出る前に眦を下げて手を振る大将に、軽く頭を下げてごちそうさまと伝えて帰路につく。
あれは普通の対応じゃないことは分かってる。でもその優しさが嬉しくて、情けなくて、ただ歩くことにすら集中できない。
 風に乗って聞こえる喧騒が、内容は一つも聞き取れやしないくせに妙に同情的で侮蔑を含んだものに聞こえて困る。ただ生きることすらままならないのに生きている。
その意味のない優しさがゆっくりと首を締め上げてきて苦しいよ。せめて、せめてさ、

 ―――お前なんか消えてしまえ

 そうやって責めてくれたならよかったのに。

 

              【題:風に乗って】

4/27/2026, 3:04:55 PM

 「ただ、」

 言ってほしい言葉があるんだ。耳障りのいい慰めや励ましよりずっとマシなものだよ。
SNSで嘘か本当か分からないような専門知識や当事者の愚痴なんかが流れてくることもあるでしょ。それを少しくらい活用して言葉を選んでくれてもいいんじゃないかって思うんだ。
 ああ、SNSは見ないんだっけ。じゃあその手に持ってるスマホで検索してみたらどうなの。ほらよくお店とか調べるのに使ってるでしょ。
そんな手間をかけたくないか、そうかそうか。

 
 「病んでるっていうより怒ってるんだよ」

 あなたの希望に沿ってアレコレ調べて提案しても、不機嫌になって全く別の案を自分で決めるじゃない。そして私がそれに従うのを前提に予定の確認もせずに実行する。
無理だといえばまた不機嫌になって予定をずらせと喚き散らすし、行きたくないといえば陰キャだのダメなやつだの好き勝手なことを言う。
 ねえ、これでもまだ私が病んでいると言いたいのかな。

 落ち込んでなんかいないよ、期待してないからね
 悲しくはないよ、思い返せば初めからそうだったから
 つらくはないよ、変わらないことは理解してるから

「まあ、でも、痛かったかな」

 もう何の凹凸もない腹を撫でる。たった数ヶ月のことなのに人生の大半を過ごしたかのような心地なんだ。
ずっと盲信してきた自分自身が許せない。そっと肩を抱いたその手でお前がしたことをもう忘れたのか、と怒りと吐き気が止まらない。

 でもね、ふとした瞬間にみせる後悔の滲んだ表情に安堵することもあったんだよ。そんなものは一瞬で消え去って、どす黒い感情だけ私の内に降り積もっているの。

 「ほら、私が欲しい言葉わかるでしょ」



 謝罪とかいらないから償えよ、殺人犯め



              【題:ふとした瞬間】

4/18/2026, 2:56:14 PM

 馬鹿なやつだと笑って、笑い話のまま終わってほしい

 一口呑んで、舌を甘く痺れさせたあと飲み込む。カッと焼けるような痛みは一瞬で流れ落ちて、じわじわと食道から胃を熱くさせる。痛みのある甘さだけ口内に残ってその香りの余韻を楽しむのだ。

 美味しくても、不味くても、呑み交わせたらいい

 おつまみは好きだが、お酒と一緒に食べるのは好きじゃない。アルコールのあの香りと余韻が好きなのに塩辛い味はそれを上書きするし、甘い味はねっとりと残り続けて味覚を狂わせる。余程相性のいいもの同士でもなければ口にしたくもない、そういうこだわりなんだよ。

 嫌いなくせに合わせようなんて失礼じゃないか

 嫌いな人に勧めたりなんかはしない。嫌そうな顔して嘘つかれたらそれが好きな自分まで否定された気分になって興冷めだからだ。
ただ食わず嫌いはもっと嫌いだ。何か呑めない事情がないならば舐めるくらいはした方がいい。自分では見つけられなかった味を知れるチャンスを捨てるのは勿体ないからだ。まあ信頼できる相手の勧めにだけ乗ることは徹底しないと痛い目を見る、というか遭う。

 …なんだ、こんな話を真に受けたのか

 好きなときに呑んで、気が向いたときに誘いに乗ればいいんだ。酒は楽しくなければただの毒なんだから飲まないのが正解だ。
断れない誘い?そんなものは相手おだてて酔わせて前後不覚になったら捨て置けばいい。そんな酒の楽しみ方も分からない屑に付き合うだけ無駄だ。刺されても文句をいう立場じゃない。毒を呑んで相手にも強要する奴は自殺志願者だとでも思えばいい。そんな奴のために命かける理由あるのか?

 ああ、これは独り言だからな

 これっぽっちも楽しくない世の中を呪うくらいなら酒に溺れて知らないうちにポックリ逝きたいね。自分から毒を煽る理由なんてそんなもんだろ。
ちなみに無色透明の度数の高いやつは美味しい。好みはそれぞれだが辛口でさっぱりしてるやつなんかは最高だ。

そう、教えてくれた人がいたんだよ、昔の話だ



               【題:無色の世界】

4/14/2026, 2:16:44 PM

 「もっと、好きになっちゃってもいいかな」

 頬を紅く染めて、いつも以上に下がった眦にため息をついた。顔にかかった髪を払ってやるも、くふくふと笑いながら机に突っ伏してしまって意味がない。
 ここで寝るなと声をかけても返事はなく、肩を揺すると吐くからやめてと文句が飛んでくる。机の上には缶チューハイやビールの空き缶、ガラスのコップには水が入っているかと思いきや甘いアルコールの香りがしたのでたぶん日本酒だ。それらを飲み散らかして本人は楽しそうにしているのだから怒るに怒れない。

 どうにかベッドまで運んで布団をかけてやる。まあ予想はしていたが暑いと言って剥いでしまうので腹の上にだけかかるよう調節してあげた。
すぐに寝息が聞こえてきて何度目かの溜息が零れる。

 酒に強いわけでもなく好きでもないが、酩酊感とかつて酒を通じて得た幸福な記憶が心地よくて忘れられないらしい。酔って酔って、吐いても記憶をなくしても、また酔えるようにと酒をあおる。やめられないのだと涙する姿に何も言えないまま同じことを繰り返すのだ。

 「救世主ってことは、神様だね」

 初めて出会って成り行きで介抱していたときそういわれた。危機感もなければ頭のネジもどこかに捨ててきたのかと思うほど無防備で頼りない人だ。
 ただ気まぐれに、最後くらい人の役に立ってからでもいいかな、と肩を貸しただけなのにね。言い過ぎなんだ。

 本物の幸せを見つけられたらいいね、

 あなたも、

 わたしも、



                 【題:神様へ】

4/9/2026, 3:38:53 PM

 運命なんてほんの一瞬で変わってしまう


 春咲きの椿が落ちたとき、両手で掬って私に手向けた人がいた。正確には人ではなかったけれど、落ちた花の色に呑まれてしまいそうなほど淡く儚げな美人だった。

 言葉は通じないから気楽だった。旅行誌の写真を眺めては指をさして知っている見たことがあると主張するのを頷いて返す。歌をうたって聴かせれば目を細めて笑い、お返しにと知らない歌を聴かせてくれる。
 若葉の木漏れ日に揺れ、夏の暑さに項垂れた。
 落葉を流し、秋色に染まりながら歌う。
 薄氷の向こうを見つめ、冬の隔たりを砕いた。

 次の春、私はもうここにはいない。


 好きでもない人と結婚した。それなりに楽しく過ごしたけれど、この人とじゃなくてもきっと楽しめた。
同じ時を過ごしても、身体を重ねても、小さな命を宿しても、同じ気持ちを重ねることができなかった。それでも情はあるから大切にはできていたの。

 よく晴れた春の日。懐かしい場所に花見に行った。
屋台が建ち並び、祭囃子に合わせて踊り子が舞う。賑やかで美しい景色に胸が少し苦しくなった。
 手を繋いで歩いていたのに、パッといきなり振り切って走り出した小さな子を追いかける。あっという間に人波にのまれて見失ってしまって、どうしたものかと思案しながら桟橋を渡ったときだった。人々が見つめる先に探していた小さな子がもがきながら沈んでいくのがみえた。
 静止を振り切って飛び込むと、そこにはかつての美しい人がいた。指先一つで流れを操り小さな子は岸に辿り着こうとしていた。
不意に振り返った美しい人は、大きな目をさらに大きく開いた後に花が綻ぶような笑顔で私に抱きついた。知らない言葉を囁きながら、そんなに深くはなかったはずの水底に光が届かなくなるまで沈んでいった。

 私はたまらなく幸せで、息苦しさがいつの間にか消え去っていたことにも気づかずにきつく抱きしめ返す。
あの日、この美しい人にあったときから誰よりも、ずっと大好きな人。私のたった一人の理解者にまた会えた。

 私の本当の運命はきっと、この人なの、かも

 知れないね


            【題:誰よりも、ずっと】

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