馬鹿なやつだと笑って、笑い話のまま終わってほしい
一口呑んで、舌を甘く痺れさせたあと飲み込む。カッと焼けるような痛みは一瞬で流れ落ちて、じわじわと食道から胃を熱くさせる。痛みのある甘さだけ口内に残ってその香りの余韻を楽しむのだ。
美味しくても、不味くても、呑み交わせたらいい
おつまみは好きだが、お酒と一緒に食べるのは好きじゃない。アルコールのあの香りと余韻が好きなのに塩辛い味はそれを上書きするし、甘い味はねっとりと残り続けて味覚を狂わせる。余程相性のいいもの同士でもなければ口にしたくもない、そういうこだわりなんだよ。
嫌いなくせに合わせようなんて失礼じゃないか
嫌いな人に勧めたりなんかはしない。嫌そうな顔して嘘つかれたらそれが好きな自分まで否定された気分になって興冷めだからだ。
ただ食わず嫌いはもっと嫌いだ。何か呑めない事情がないならば舐めるくらいはした方がいい。自分では見つけられなかった味を知れるチャンスを捨てるのは勿体ないからだ。まあ信頼できる相手の勧めにだけ乗ることは徹底しないと痛い目を見る、というか遭う。
…なんだ、こんな話を真に受けたのか
好きなときに呑んで、気が向いたときに誘いに乗ればいいんだ。酒は楽しくなければただの毒なんだから飲まないのが正解だ。
断れない誘い?そんなものは相手おだてて酔わせて前後不覚になったら捨て置けばいい。そんな酒の楽しみ方も分からない屑に付き合うだけ無駄だ。刺されても文句をいう立場じゃない。毒を呑んで相手にも強要する奴は自殺志願者だとでも思えばいい。そんな奴のために命かける理由あるのか?
ああ、これは独り言だからな
これっぽっちも楽しくない世の中を呪うくらいなら酒に溺れて知らないうちにポックリ逝きたいね。自分から毒を煽る理由なんてそんなもんだろ。
ちなみに無色透明の度数の高いやつは美味しい。好みはそれぞれだが辛口でさっぱりしてるやつなんかは最高だ。
そう、教えてくれた人がいたんだよ、昔の話だ
【題:無色の世界】
「もっと、好きになっちゃってもいいかな」
頬を紅く染めて、いつも以上に下がった眦にため息をついた。顔にかかった髪を払ってやるも、くふくふと笑いながら机に突っ伏してしまって意味がない。
ここで寝るなと声をかけても返事はなく、肩を揺すると吐くからやめてと文句が飛んでくる。机の上には缶チューハイやビールの空き缶、ガラスのコップには水が入っているかと思いきや甘いアルコールの香りがしたのでたぶん日本酒だ。それらを飲み散らかして本人は楽しそうにしているのだから怒るに怒れない。
どうにかベッドまで運んで布団をかけてやる。まあ予想はしていたが暑いと言って剥いでしまうので腹の上にだけかかるよう調節してあげた。
すぐに寝息が聞こえてきて何度目かの溜息が零れる。
酒に強いわけでもなく好きでもないが、酩酊感とかつて酒を通じて得た幸福な記憶が心地よくて忘れられないらしい。酔って酔って、吐いても記憶をなくしても、また酔えるようにと酒をあおる。やめられないのだと涙する姿に何も言えないまま同じことを繰り返すのだ。
「救世主ってことは、神様だね」
初めて出会って成り行きで介抱していたときそういわれた。危機感もなければ頭のネジもどこかに捨ててきたのかと思うほど無防備で頼りない人だ。
ただ気まぐれに、最後くらい人の役に立ってからでもいいかな、と肩を貸しただけなのにね。言い過ぎなんだ。
本物の幸せを見つけられたらいいね、
あなたも、
わたしも、
【題:神様へ】
運命なんてほんの一瞬で変わってしまう
春咲きの椿が落ちたとき、両手で掬って私に手向けた人がいた。正確には人ではなかったけれど、落ちた花の色に呑まれてしまいそうなほど淡く儚げな美人だった。
言葉は通じないから気楽だった。旅行誌の写真を眺めては指をさして知っている見たことがあると主張するのを頷いて返す。歌をうたって聴かせれば目を細めて笑い、お返しにと知らない歌を聴かせてくれる。
若葉の木漏れ日に揺れ、夏の暑さに項垂れた。
落葉を流し、秋色に染まりながら歌う。
薄氷の向こうを見つめ、冬の隔たりを砕いた。
次の春、私はもうここにはいない。
好きでもない人と結婚した。それなりに楽しく過ごしたけれど、この人とじゃなくてもきっと楽しめた。
同じ時を過ごしても、身体を重ねても、小さな命を宿しても、同じ気持ちを重ねることができなかった。それでも情はあるから大切にはできていたの。
よく晴れた春の日。懐かしい場所に花見に行った。
屋台が建ち並び、祭囃子に合わせて踊り子が舞う。賑やかで美しい景色に胸が少し苦しくなった。
手を繋いで歩いていたのに、パッといきなり振り切って走り出した小さな子を追いかける。あっという間に人波にのまれて見失ってしまって、どうしたものかと思案しながら桟橋を渡ったときだった。人々が見つめる先に探していた小さな子がもがきながら沈んでいくのがみえた。
静止を振り切って飛び込むと、そこにはかつての美しい人がいた。指先一つで流れを操り小さな子は岸に辿り着こうとしていた。
不意に振り返った美しい人は、大きな目をさらに大きく開いた後に花が綻ぶような笑顔で私に抱きついた。知らない言葉を囁きながら、そんなに深くはなかったはずの水底に光が届かなくなるまで沈んでいった。
私はたまらなく幸せで、息苦しさがいつの間にか消え去っていたことにも気づかずにきつく抱きしめ返す。
あの日、この美しい人にあったときから誰よりも、ずっと大好きな人。私のたった一人の理解者にまた会えた。
私の本当の運命はきっと、この人なの、かも
知れないね
【題:誰よりも、ずっと】
いつかは流れ着くのだから
何度、自分に言い聞かせたか分からない。何度も何度も心の内で叫んで小声で呟いてを繰り返してきた。
光が差し込む水面からそっと見つめてもあなたは気づかない。幸せそうな顔で笑い、愛おしそうに語りかけ、時には荒らげた声も知らぬ間に元の優しい声音に戻っている。
女性と寄り添い、小さな命を育んで、私の知らないあなたになっていく。
いずれ、流れ着くの
春がきた。水面を覆う花筏で何もみえないけれど人々の感嘆の声や喧騒が聴こえる。笛や太鼓の囃子も聴こえるからきっと祭りでもやっているのだろう。
突然、ドブン、と鈍い音がして振動が伝わる。そちらをみれば少し成長した小さな命がこちら側にいた。泡を吐いてもがく姿に触れることはできなくて、穏やかな流れを岸に向かわせた。
流れ着くかしら
遅れて、ドブン、と先程より大きな音と振動が伝わる。
これにはもう歓喜するしかなくて、待ちわびた瞬間にひどく心を震わせた。ようやくようやっと来てくれた。はやくこちらに、この手が届くところに。
ついに流れ着いた
今の流行りに合わせた明るい髪色も、以前より大人びた顔立ちも、すっかり落ち着いた色の衣を着こなせるようになったあなたは、とても素敵。
ああ、でも。一目で心奪われたあなたの若かりし頃の姿からもう一度私の側でやり直して頂戴。無垢な笑顔でまた私を虜にさせてほしいの。もう虜なのだけど。
悲しげに歪む顔に安心させるように囁く。あなたが腹を痛めて産んだ小さな命は助けたのよ、もうこちら側にはいないの、だから私をみて。
思い出の花を歪むほど強く握りしめて、この時を待っていた。零れ落ちる花弁に気づいてくれないかと何度願ったことか。あなたには花弁よりずっと惹かれるものがあったのね、そうだったね。だから今度は私にだけ寄越して。
初めてあったときと同じ色の日が沈む
その光が水底に向かう私たちを祝福するの
人間のあなたが沈み、新たなあなたが隣に並ぶ
幸せでしょう、ね
【題:沈む夕日】
黙っていて
後にも先にもこれ以外に私を縛るものはない。唯一の行動指針で遵守すべきルール、ただそれだけ。
私の言葉はみんなを不幸にするらしい。他の人と同じように何が好きで何が嫌いで、楽しいとか悲しいとかを伝えるだけで睨まれて疎ましがられる。
犯罪につながるような発言なんてないし、不快にさせるようなワードもない。まるで聞かれたことに返事をすること自体が間違いだと責められているような沈黙のあと、私の言葉はなかったことにされて時間が動き出すのだ。
本を読んだ。話し方や口調、なんらかの話題にでもできたらと期待した。失敗した。
ノートに思ったことや飲み込んだ言葉を書き出した。読み返してみて不快になるような言葉選びがないか確認した。何も分からなかった。
ネットや専門書で勉強した。聴くことだけは上手くなって話すことはからっきし。これも失敗した。
ある時、酷い風邪をひいてしばらく声が出なくなった。
不便かと思ったら、全くそんなことはなくてむしろ快適だった。身ぶり手ぶりだけの簡単なやりとりで終わることに感動さえした。
言葉を選ばずとも発さずとも伝わるならいっか。
あれから毎夜、星が浮かぶ空に祈り続けている。
この声がなくなりますように、声帯を壊してほしい、と。
周りを不幸にし、不快にさせ、誰にも届かない私の言葉をどうか永遠に消し去ってください。
「あなたは何も言わないから、」
違うよ、そう望んだのはそっちでしょ。
…まあ言わないけど。
【題:星空の下で】