紅を差して、今日もまたステージにあがる。
トンッ、と弾みをつけて光の真ん中へ飛び込む。
手首につけた鈴をシャンシャンと鳴らし、鮮やかに染められたシルクを泳がせる。
ほう、と嘆息を漏らす客の姿を確認して自然と口角が上がる。曲と曲の間で動きを止めると焦れた様子の客がコールする。
「舞ってくれ」
ただその一言に従順であること。それが私の仕事だ。
客を楽しませてチップを上乗せしてもらえるように愛嬌を振りまくのも忘れずに。特に熱心に観ている客にはサービスしておく。
「待って」
ステージから降りた途端に呼び止められる。振り返ると真っ赤な顔をした酔っぱらいが金貨をひらつかせ、いやらしく笑っていた。定番の誘い文句を言おうとするから手近な見習いを呼び寄せて花飾りのついた籠を酔っぱらいに向けさせる。
こういう店では舞手や見習いに手を出すのはタブーである。見習いに気をつけるよう耳打ちして、ウエイターに告げ口しておいた。これからあの客は出禁になるだろう。
「夢をみるのは勝手だけれど、ルールは守らないとね」
【題:まって】
身体の芯から火照る感じがして目が覚めた。
グラグラと不安定な視界とほんの少しの息苦しさが気持ち悪い。熱でもあるのかと計ってみたが平熱だった。
起き上がるのも億劫だ。枕元に置いたボトルに手を伸ばして、でも飲む気力もなくてチャプチャプと音をたてて揺らす。ボトルの中で激しく揺れる水面はまるで荒れ狂う海のようだ。ここに船を浮かべたら一瞬で波にのまれて沈むだろう、なんて。
ぼんやりと眺めていたら、つい先日やっていた映画を思い出した。あれは流氷にぶつかったのが原因だったか。
冷たい海に放り出されて凍えたり、水の力に飲み込まれ溺れたり、さまざまな最期をみた。
ラストに投げ入れたハート・オブ・ジ・オーシャンは誰に届いたのだろうか。
「…私には縁のない話か」
身を挺して助けてくれるような愛ってどんなものだろう
【題:まだ知らない世界】
バカには可能性がある。
よく、勉強ができなくてもいい、とか言う人いるけどどのレベルの話なんだと聞きたい。言葉を理解して話せればいいのか、文字が書ければいいのか。お釣りの計算ができるだけの知識、テレビや新聞の情報を精査できるだけの知識、物事を効率的に回せる頭脳や器用さ。
バカの基準はどこにある?
忙しいという理由でゲームを与えられた。一人遊びできるように、手間を減らすために、時間を金で買う。
小さい頃はそれでよかった。親も周りも目の届く範囲で大人しくしている子どもは賢いと褒めた。
成長すると大人しいだけの子どもに不安を覚え無理やり外に放り出した。人間関係や勉強、社会経験を積んで大人になっても困らない準備をしろと叱りつける。なのに門限だの家族サービスだの金銭面などで子ども扱いをしてあらゆる活動に制限をかける。
ゲームなんて、と与えて得をした人がそれを言うのだ。
息を吸う。息を吐く。
当たり前のように褒められた生活をいきなり奪って怒鳴りときには手を上げる。
そりゃあ反抗したくなる。するに決まってる。今まで認められていたのに環境が変わるのを境に悪だと怒鳴られるのだから。
息を吸う。息を吐く。
画面の向こうの友人は遥か海の向こうで笑っている。人間に生まれた宿命だと言った。納得できなくて不満をつらつらと並べた。
ドアが開く。荒々しく、ノックという礼儀も欠いて、非常識だと怒鳴りつけてくる非常識な人が来た。
俺が英語で話しているのを目の当たりにして、目を輝かせた。学校の勉強にはついていけなくてバカだと罵った俺を天才だと評した。
その日からまたゲームを与えられた。
息苦しい。友人と話していただけだ。誰も教えてくれなかった優しさも喜怒哀楽もゲームを通じて友人が教えてくれた。それだけなのに、それだけを強制するのか。
本当はさ、他の言語だって話すだけならできるんだ。
ゲームの中ならあらゆる言語や知識が飛び交ってる。
間違えてもやり直せる。
失敗を重ねて経験値を貯めて知識も技術も増えていく。
何より、大切な友人ができるんだ。
「…もう壊さないでくれよ」
【題:酸素】
私は、自分の非を認められない。
ある日を境に私は狂った、らしい。病気だと腫れ物扱いされて、治らなければ呪いだ祟りだと騒いで神社に担ぎ込まれた。
神主さんが出てきて禊とか色々してから小さな舞台に乗せられた。背面、きっと壁があるはずの所を正面にして座り、残りの三方を外から和紙と鮮やかな色々の布を掛けられた。その疑似的な壁の向こうで炎が揺らめき、きつい香の匂いが立ち込める。
私はぼんやりと正面にある障子をみた。声を出さぬようにと酒を染み込ませた布を噛んだまま、外で動き回る人の影をみていた。そのうちに祝詞か何かが聴こえてきた。学のない私には何を言っているのかさっぱりわからない。ただゆらりゆらりと震える影を眺めていた。
悲鳴が聞こえた。いや、悲鳴のような叫びか。怒りや憎しみを音に乗せて不満を相手にぶつけるだけの意味のない叫びだ。言葉にもなっていないそれは、代わりに影を集めて形を作っていく。障子の向こうから映し出されているのにきっと外にも中にもいない、存在すらしていないものが存在していない場所にいる。そして私に向かって叫ぶ。
謝ろうとした。私は悪くないのに、そうさせた周りが悪い。怖かったから同じように振る舞った、好きも嫌いもない、相手が誰であろうと関係ない、次が私でなければいいと思った。結局、私一人が周りの分まで罪を背負って袋叩きにあったのに、それだけじゃ足りなかったのか。
だったら、だったらさ、
―――アイツらを連れて行け
原因も元凶もわからないくせに私にあたるな。
心からの謝罪などされても受ける気はないだろう。私も同じだ。ただ恨めしい、憎らしい、許すことなどない。
同じにはなりたくないが、考えつくことは同じだ。皮肉なら聞き飽きた。嫌味も陰口も悪口も否定も罵倒も何もかも全てが壊した。私もこの影も同じ、同じ。
影は大きな口を開けて、障子を捻じ曲げて私を喰らおうとする。ヤケになった子どもの癇癪のように、泣き喚きながら私を喰う、はずだ。私を殺せばこの呪いは終わり、次の人へ移る。自業自得だ。私も皆も死ねばいい。
バキン、と音がした。何かが割れた音。
障子が勢いよく開いて、立派な神棚が現れた。目を合わせてはいけないと直感して無意識に目を伏せる。ピンと張った糸のような張り詰めた空気が息苦しく、指一本動かせないほど身体が緊張する。シャン、と鈴の音がして伏せた視界に短刀を握る自分の手が映る。ひたりと首筋に添えられた冷たさに自分の状況を嫌でも理解する。
こんなにも慈悲深く、容赦のない罰を私は受けるのだ。私のことをよく知っているのだ。非を認められないのに罰を受けることには積極的。償う気はあるのに相応の罰を受けようとしない。矛盾、結局は他責。
刀を抜く。透明な穢れを知らぬ美しい刃だ。
きっと汚れた私を断ち、その罪も穢れも呪いじみた子どもの癇癪も全て晴らしてくれるだろう。
穢してしまうこと、お詫び申し上げます。
目を覚ますと舞台の上だった。
短刀を握ったまま、首筋に刀を突きつけられたまま。
私は座している。
私は、まだ。
私は、また。
自分の非を認められないのだ。
そういう夢をみた。
過去の記憶がフラッシュバックして苦しかった。
私はいつまでも身勝手だ。
罪の一つ認められず、償えない。
はやく私を殺してくれと、それしか言えないのだ。
【題:記憶の海】
静かな水面を滑るように進んでいく。
他に船はなく、風もないため、鏡の上にいるかのような気分だ。点々と見たことのない大輪の花が浮かんでいて、その下を派手な色をした鯉のような魚が悠々と泳いでいる。花の周りをガラス細工のように美しく繊細な模様の蝶が舞い、小さく頭をのぞかせる岩の上で極彩色の尾の長い鳥がゆったりと羽を休めでいる。
船が近づくと、自然と離れて距離をとる。嫌な感じはなくてただ進路を譲るような優しさがある。間違ってはいないのだと少し背を押された気がした。
しばらく進むと、西の空から大きな月が昇ってきた。太陽のように明るく、太陽よりも柔らかい光だ。ほんの少しの違和感もすぐに溶けて、月に見惚れた。
月が半分ほど出てきたところで船が止まった。
他の花よりずっと弱々しい小さな蕾が船の前で揺れる。
そっと手を伸ばせば、何の抵抗もなくすり抜けて触れすらしない。
「…まだ、だめなの」
こんなにもずっと何年も焦がれているのにあんまりだ。
今の生を閉じて次にいきたいのに、きっと許されない。
ずっと、ずっと、焦がれてきたのに今更なんなんだ。
船は元来た進路を戻っていく。
月はいつの間にか西に沈んでいた。さざ波立ち色を失っていく水面と姿を消した美しい生き物たち。
喧騒が戻ってくる。私の地獄に帰ってきた。
――私はまだ、生きている
瞼を開けた先に待つ絶望を、再びこの目に映すのだ。
未来などくだらない。私にはもう時間がないから。
【題:未来への船】