シシー

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5/7/2026, 12:23:55 AM

 「ニレ」

 すっかりこの呼び名にも慣れて、跪いて小さく口を開く。決して目を合わせないように固く閉じたまま、甘い香りが近づき唇に触れるまでじっと待つ。

 完熟した桃の一欠片

 それが私の食事で飲み物でおやつ。果汁の一滴すら惜しい、そう思うようになってからは何も感じなくなった。

 基本、相部屋なのだが2週間もしないうちに相手が変わる。最初は怯えていたのに段々と私にだけ笑いかけるようになる。桃ばかりで飽きたと愚痴をこぼし出したと思ったら狂ったように水や食料を要求し暴れる。体力が尽きて眠るを繰り返しているうちに衰弱して起き上がれなくなった次の日にはいなくなっているのだ。

 小舟に乗って睡蓮揺らめく水面を眺める。そっと指先を浸して、花弁の縁をなぞり、葉を撫でて、また水に浸す。ゆっくりとした舟の動きに合わせてその感触を楽しんだ。
 暑いだろうと傾けられた日傘の縁をガラス玉が彩ってそれが光を反射して広げる。重ねた領巾の上を、よく櫛った髪の上を、光が踊って流れていく。手で押さえても逃げられてしまうのを勿体ないと呟けば、フッと空気が抜けるような笑い声が聞こえた。

 この国の偉い人、私の、主人

 桃よりもずっと甘美な世界をみせてくれる人。狭い部屋から連れ出して、綺麗な服と飾りをくれた人。言葉を吐けば返してくれる人、目を合わせてくれる人、頭を撫でてくれる人。
 この人がいなければきっと、いなくなったあの子たちと同じように私もいなくなっていたかもしれない。でももう手遅れかな、それでもいいけどもう少しだけここにいたい。

 桃以外、受け付けなくなったこの身体

 「いつまで、保つのでしょう」

 また来年も咲く、とただそれだけの言葉に私は微笑む。
指先に触れる花に永遠の別れを告げることも、きっと期待していない。それが分かっただけで幸せだと思えた。
 この穏やかな時間がずっと続けばいいのに。

 この喜びを伝えてから、旅立ちたいです



        【題:明日世界が終わるなら………】

4/29/2026, 2:48:24 PM

 得られるものは特にない、だからよかった

 お酒が好きで、でも一人で飲むと全く酔えないから雰囲気だけでも味わおうとたまに居酒屋にいく。ガヤガヤとした喧騒の中で色んな悩みや苦労を酒で誤魔化す人の話は、なぜかよく聞こえる。

 「一人で飲んでて寂しくないのかい」

 大将は意地悪そうな笑みを浮かべて失礼なことを言ってくるが、実は女の一人飲みを配慮してくれているだけだ。店員の目があるぞというさりげないアピールである。酔っぱらいに効果はあるか謎だけどね。

 「味玉いるか?好きだろ?」

 特製の醤油ダレが染み込んだ茶色い卵を2つ、返事をする前に差し出された。卵料理ばかり注文しているからかしっかり好みを把握されて、今では余りそうな卵料理を勧めてくるようになったのだ。美味しいので文句はないが強引だなと思いながら味玉を頬張る。塩気を含んだ黄身がとろけるのが最高だ。

 「酒は?麦ね、はいどーぞ」

 炭酸が苦手なので飲めるものはだいぶ絞られている。ほぼ水割りしか頼まないのだが、烏龍や緑茶で出てくることもあって今回はどうかと楽しみにしていた。出てきたのは適当に砕かれた大粒の氷が入ったグラスで、ストップ言えよと冗談めかして酒を注いでいく。案の定、規定の量で勝手に止まるのだから聞く意味あるのかと思う。
ロックも美味しいからいいけどね。

 「それで最後だ」

 すっかり常連扱いされてしまって、店に入ってすぐに予算を聞かれてその分の支払いをするようになっていた。今日の予算は8000円、つまりこのロックで晩酌は終わりということだ。
もったいなくてちびちびと舐めて味わった。

 「気いつけて帰れよ」

 店を出る前に眦を下げて手を振る大将に、軽く頭を下げてごちそうさまと伝えて帰路につく。
あれは普通の対応じゃないことは分かってる。でもその優しさが嬉しくて、情けなくて、ただ歩くことにすら集中できない。
 風に乗って聞こえる喧騒が、内容は一つも聞き取れやしないくせに妙に同情的で侮蔑を含んだものに聞こえて困る。ただ生きることすらままならないのに生きている。
その意味のない優しさがゆっくりと首を締め上げてきて苦しいよ。せめて、せめてさ、

 ―――お前なんか消えてしまえ

 そうやって責めてくれたならよかったのに。

 

              【題:風に乗って】

4/27/2026, 3:04:55 PM

 「ただ、」

 言ってほしい言葉があるんだ。耳障りのいい慰めや励ましよりずっとマシなものだよ。
SNSで嘘か本当か分からないような専門知識や当事者の愚痴なんかが流れてくることもあるでしょ。それを少しくらい活用して言葉を選んでくれてもいいんじゃないかって思うんだ。
 ああ、SNSは見ないんだっけ。じゃあその手に持ってるスマホで検索してみたらどうなの。ほらよくお店とか調べるのに使ってるでしょ。
そんな手間をかけたくないか、そうかそうか。

 
 「病んでるっていうより怒ってるんだよ」

 あなたの希望に沿ってアレコレ調べて提案しても、不機嫌になって全く別の案を自分で決めるじゃない。そして私がそれに従うのを前提に予定の確認もせずに実行する。
無理だといえばまた不機嫌になって予定をずらせと喚き散らすし、行きたくないといえば陰キャだのダメなやつだの好き勝手なことを言う。
 ねえ、これでもまだ私が病んでいると言いたいのかな。

 落ち込んでなんかいないよ、期待してないからね
 悲しくはないよ、思い返せば初めからそうだったから
 つらくはないよ、変わらないことは理解してるから

「まあ、でも、痛かったかな」

 もう何の凹凸もない腹を撫でる。たった数ヶ月のことなのに人生の大半を過ごしたかのような心地なんだ。
ずっと盲信してきた自分自身が許せない。そっと肩を抱いたその手でお前がしたことをもう忘れたのか、と怒りと吐き気が止まらない。

 でもね、ふとした瞬間にみせる後悔の滲んだ表情に安堵することもあったんだよ。そんなものは一瞬で消え去って、どす黒い感情だけ私の内に降り積もっているの。

 「ほら、私が欲しい言葉わかるでしょ」



 謝罪とかいらないから償えよ、殺人犯め



              【題:ふとした瞬間】

4/18/2026, 2:56:14 PM

 馬鹿なやつだと笑って、笑い話のまま終わってほしい

 一口呑んで、舌を甘く痺れさせたあと飲み込む。カッと焼けるような痛みは一瞬で流れ落ちて、じわじわと食道から胃を熱くさせる。痛みのある甘さだけ口内に残ってその香りの余韻を楽しむのだ。

 美味しくても、不味くても、呑み交わせたらいい

 おつまみは好きだが、お酒と一緒に食べるのは好きじゃない。アルコールのあの香りと余韻が好きなのに塩辛い味はそれを上書きするし、甘い味はねっとりと残り続けて味覚を狂わせる。余程相性のいいもの同士でもなければ口にしたくもない、そういうこだわりなんだよ。

 嫌いなくせに合わせようなんて失礼じゃないか

 嫌いな人に勧めたりなんかはしない。嫌そうな顔して嘘つかれたらそれが好きな自分まで否定された気分になって興冷めだからだ。
ただ食わず嫌いはもっと嫌いだ。何か呑めない事情がないならば舐めるくらいはした方がいい。自分では見つけられなかった味を知れるチャンスを捨てるのは勿体ないからだ。まあ信頼できる相手の勧めにだけ乗ることは徹底しないと痛い目を見る、というか遭う。

 …なんだ、こんな話を真に受けたのか

 好きなときに呑んで、気が向いたときに誘いに乗ればいいんだ。酒は楽しくなければただの毒なんだから飲まないのが正解だ。
断れない誘い?そんなものは相手おだてて酔わせて前後不覚になったら捨て置けばいい。そんな酒の楽しみ方も分からない屑に付き合うだけ無駄だ。刺されても文句をいう立場じゃない。毒を呑んで相手にも強要する奴は自殺志願者だとでも思えばいい。そんな奴のために命かける理由あるのか?

 ああ、これは独り言だからな

 これっぽっちも楽しくない世の中を呪うくらいなら酒に溺れて知らないうちにポックリ逝きたいね。自分から毒を煽る理由なんてそんなもんだろ。
ちなみに無色透明の度数の高いやつは美味しい。好みはそれぞれだが辛口でさっぱりしてるやつなんかは最高だ。

そう、教えてくれた人がいたんだよ、昔の話だ



               【題:無色の世界】

4/14/2026, 2:16:44 PM

 「もっと、好きになっちゃってもいいかな」

 頬を紅く染めて、いつも以上に下がった眦にため息をついた。顔にかかった髪を払ってやるも、くふくふと笑いながら机に突っ伏してしまって意味がない。
 ここで寝るなと声をかけても返事はなく、肩を揺すると吐くからやめてと文句が飛んでくる。机の上には缶チューハイやビールの空き缶、ガラスのコップには水が入っているかと思いきや甘いアルコールの香りがしたのでたぶん日本酒だ。それらを飲み散らかして本人は楽しそうにしているのだから怒るに怒れない。

 どうにかベッドまで運んで布団をかけてやる。まあ予想はしていたが暑いと言って剥いでしまうので腹の上にだけかかるよう調節してあげた。
すぐに寝息が聞こえてきて何度目かの溜息が零れる。

 酒に強いわけでもなく好きでもないが、酩酊感とかつて酒を通じて得た幸福な記憶が心地よくて忘れられないらしい。酔って酔って、吐いても記憶をなくしても、また酔えるようにと酒をあおる。やめられないのだと涙する姿に何も言えないまま同じことを繰り返すのだ。

 「救世主ってことは、神様だね」

 初めて出会って成り行きで介抱していたときそういわれた。危機感もなければ頭のネジもどこかに捨ててきたのかと思うほど無防備で頼りない人だ。
 ただ気まぐれに、最後くらい人の役に立ってからでもいいかな、と肩を貸しただけなのにね。言い過ぎなんだ。

 本物の幸せを見つけられたらいいね、

 あなたも、

 わたしも、



                 【題:神様へ】

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