いつかは流れ着くのだから
何度、自分に言い聞かせたか分からない。何度も何度も心の内で叫んで小声で呟いてを繰り返してきた。
光が差し込む水面からそっと見つめてもあなたは気づかない。幸せそうな顔で笑い、愛おしそうに語りかけ、時には荒らげた声も知らぬ間に元の優しい声音に戻っている。
女性と寄り添い、小さな命を育んで、私の知らないあなたになっていく。
いずれ、流れ着くの
春がきた。水面を覆う花筏で何もみえないけれど人々の感嘆の声や喧騒が聴こえる。笛や太鼓の囃子も聴こえるからきっと祭りでもやっているのだろう。
突然、ドブン、と鈍い音がして振動が伝わる。そちらをみれば少し成長した小さな命がこちら側にいた。泡を吐いてもがく姿に触れることはできなくて、穏やかな流れを岸に向かわせた。
流れ着くかしら
遅れて、ドブン、と先程より大きな音と振動が伝わる。
これにはもう歓喜するしかなくて、待ちわびた瞬間にひどく心を震わせた。ようやくようやっと来てくれた。はやくこちらに、この手が届くところに。
ついに流れ着いた
今の流行りに合わせた明るい髪色も、以前より大人びた顔立ちも、すっかり落ち着いた色の衣を着こなせるようになったあなたは、とても素敵。
ああ、でも。一目で心奪われたあなたの若かりし頃の姿からもう一度私の側でやり直して頂戴。無垢な笑顔でまた私を虜にさせてほしいの。もう虜なのだけど。
悲しげに歪む顔に安心させるように囁く。あなたが腹を痛めて産んだ小さな命は助けたのよ、もうこちら側にはいないの、だから私をみて。
思い出の花を歪むほど強く握りしめて、この時を待っていた。零れ落ちる花弁に気づいてくれないかと何度願ったことか。あなたには花弁よりずっと惹かれるものがあったのね、そうだったね。だから今度は私にだけ寄越して。
初めてあったときと同じ色の日が沈む
その光が水底に向かう私たちを祝福するの
人間のあなたが沈み、新たなあなたが隣に並ぶ
幸せでしょう、ね
【題:沈む夕日】
黙っていて
後にも先にもこれ以外に私を縛るものはない。唯一の行動指針で遵守すべきルール、ただそれだけ。
私の言葉はみんなを不幸にするらしい。他の人と同じように何が好きで何が嫌いで、楽しいとか悲しいとかを伝えるだけで睨まれて疎ましがられる。
犯罪につながるような発言なんてないし、不快にさせるようなワードもない。まるで聞かれたことに返事をすること自体が間違いだと責められているような沈黙のあと、私の言葉はなかったことにされて時間が動き出すのだ。
本を読んだ。話し方や口調、なんらかの話題にでもできたらと期待した。失敗した。
ノートに思ったことや飲み込んだ言葉を書き出した。読み返してみて不快になるような言葉選びがないか確認した。何も分からなかった。
ネットや専門書で勉強した。聴くことだけは上手くなって話すことはからっきし。これも失敗した。
ある時、酷い風邪をひいてしばらく声が出なくなった。
不便かと思ったら、全くそんなことはなくてむしろ快適だった。身ぶり手ぶりだけの簡単なやりとりで終わることに感動さえした。
言葉を選ばずとも発さずとも伝わるならいっか。
あれから毎夜、星が浮かぶ空に祈り続けている。
この声がなくなりますように、声帯を壊してほしい、と。
周りを不幸にし、不快にさせ、誰にも届かない私の言葉をどうか永遠に消し去ってください。
「あなたは何も言わないから、」
違うよ、そう望んだのはそっちでしょ。
…まあ言わないけど。
【題:星空の下で】
雨が降って、花が咲いて、催花雨と呼び
雨が降って、花が散って、桜流しと呼び
季節が移り変わるその間を歩いていく
それでいいの
【題:それでいい】
これも私のエゴだから許さないでね
昔、羽の生えた男の子と遊んだことがあった。
一度きりだったし、もう顔も名前も覚えていないけど真っ白で汚れ一つない綺麗な羽はずっと忘れられずにいる。
引っ込み思案で人が怖くて上手く話せないから一人遊びばかり上手くなった。そのまま大人になったせいで孤独でも寂しいと感じることはない。楽しそうにしている人の輪が眩しくても羨ましいよりあの場に自分がいなくてよかったと安堵してしまう。どうしようもない日陰者なのだ。
何かの本の付録でついてきたフェイクブックの小物入れを本棚から取り出す。隠しておきたい宝物を入れるのに最適で今でも手放せずにいるものだ。中身はその時々で変わるけど、一つだけ変わらないものがある。
おもちゃのアクセサリーや着せ替え人形の靴、押し花のカードなどの下、底に同化するように折り紙で包んで一等大事に隠したもの。
「相変わらず、だね」
インスタントカメラを買い与えられたとき、何か撮ろうとはしゃいで公園に行った。誰もいない夕方過ぎの夜の入りに真っ白な羽を広げた男の子がいた。あんまりにも綺麗だったから思わず写真を撮ってしまったのだ。
男の子は困ったように笑いながら、私の身勝手な撮影に付き合ってくれた。一緒にポーズをとったり、遊具のてっぺんから星空を撮ったり。フィルムがいっぱいになるまで撮って、あっさりバイバイして帰宅した。
後日、現像した写真には男の子は写っていなかった。
「まあ、実物があればいいもんね」
薄明るい公園がぼやけて写る写真をひらひらと揺らす。
シャリンシャリン、と音が鳴ったからそちらをみると、真っ白な髪の男性が、いや私の夫が、おかえりと言いながら部屋に入ってきた。
「まだ鎖は解けないの?」
あのときと同じように困った顔をしながら、それとは裏腹に嬉しそうに声を弾ませて、まだだよ、と言う。
私にはみえない背中の何かを気にしながら言うから、私は黙って頷くしかない。もう私にはみえない羽を、どこにもいけない彼を、私はどうすることもできないから。
「いつになったら幸せになれるかな」
あのとき交わした約束が私と彼を繋いで離してくれない。だからもう、これは私の罪で罰なのだろう。
分不相応な願い事なんてするものじゃない。
【題:幸せに】
雨は降り続ける、だから嬉しい
いつか伝えようと決めていたことがあるの。
でも口に出す勇気を私は持ち合わせていなかったから、遠ざかっていく列車をただ見送ることしかできなかった。
寂しいのは私だけではないと願いながらあなたの成功も祈っていたの。ずっと憧れていた夢に近づいていくあなたがとても誇らしい。
あなたの負担にはなりたくないと思っていて黙っていたのだけど、やっぱり私はだめみたい。
昔、あなたと話したことがあるでしょ。いつか素敵な恋をして桜の木の下で愛を誓い合うのが憧れだって。
大きく枝垂れた枝から薄紅色の雨が降って恋人たちをそっと閉じ込めて隠すの。誰にも聴こえないように二人だけで囁き合う場面は何度読み返しても胸が熱くなる。本を閉じて何度ため息をついたことか、本当に素晴らしかった。
あのときからずっと私の憧れだった。
この前贈ってくれたもの、本当に嬉しかった。1日で読みきってしまったのだけが難点でね、それ以外は完璧だった。さすが私の一番自慢の親友ね、次も楽しみにしてる。
ああ、そうだ。前置きが長くなってしまったけれど伝えたいことがあるの。こんなのは邪道だと嫌がられてしまうでしょうし、あなたに嫌われてしまうかもしれない。
でも後悔するのはもう十分。あのとき言えなかったことが悔しくて堪らなかったの。
同封したものを上に掲げてから続きを読んで頂戴。
いい?ちゃんと掲げた?
―――
「涙の雨くらい晴らしてほしかったのに」
こんな薄っぺらい栞一つではあなたの憧れには辿り着けないでしょう。囁き合う口も隠す姿も、何も残してはくれないのね。せっかちで残酷な私の親友め。
「さようなら、愛しい人」
【題:My Heart】