もうだめ、1回でも人間扱いされたらもうだめなの
氷で涼を取る時代、華やかな氷中花が流行った。
まあ簡単に氷を手に入れることはできなかったから、デパートとか人が集まるところに飾られることがほとんどではあった。子どもたちがはしゃいで氷に触れ、大人たちは微笑ましく見守りながら目で楽しんだ。
それが正しい姿なの。
所変われば、『花』の意味も変化する。ただ美しく咲くだけではない、欲の中に咲くものもまた花なのだ。
一等透明度の高い氷は硝子のように向こう側をよく映す。溶けにくく、溶けても曇らない様は金持ちに好まれた。
彫り物をされた中が空洞の氷柱はまるで棺桶のようだ。その中に静かに入り込んで、藤飾りがついた豪華な扇を広げる。狭い氷の中でゆっくりと舞う。ほとんど動けないから扇を持って回るだけなのだが、お客はそれで満足らしい。
薄い浴衣に溶けた水が染みる。その冷たさに体の芯から熱が奪われていくのを感じつつ舞う。注がれる視線、くぐもった声、たまに氷を小突く者もいた。
そうして一人、藤飾りのついた小槌を持って氷の前に立った人がいた。随分溶けたけれど、まだ厚い氷をカンカンと叩いた。私は舞うのをやめてその人をみる。
またカンカンと叩いたから、私は扇を閉じて一つお辞儀をして氷から出してもらった。
本来なら色を売る合図なのだが、この方はどうにもその気がないらしい。酒を煽るばかりでどれだけ誘ってものってこない。ポツポツと仕事の愚痴を吐いては私をみて、行きつけの洋食屋の話をしてまた私をみて。どうやら私自身を気に入ってくれたようだと気づく。
やんわりとそういうことはできない決まりだと伝えて、次もまた来てほしいとねだってみる。少し考える素振りをして、照れたようにそっぽを向きながら明日もくると約束してくれた。そして荷物をまとめておいてくれとだけ言って一人で布団に入ってしまった。
次の日、約束通り来たら開口一番に私を身請けしたいと言った。近くこの国を出るからすぐに連れて行きたいと倍の金額を提示して、目の色が変わった店主をさっさと言いくるめてしまった。
こんなことになるとは思っていなかったから、元から少なかった荷物はほとんど残したまま。なんとなく目にとまった藤の扇と小槌だけを持って店を出た。
「きみは美しい、よく似合っている」
咲き誇る藤棚の下、透明な水晶の簪を私の髪にさして旦那様は蕩けるような笑みを浮かべた。
私はもうだめなの、この方しかだめなのよ。
【題:クリスタル】
みんなを救いたい、それもまた呪いなんだね
昔、有名な人形屋敷があった。
とある資産家が建てた広大な敷地を誇る屋敷は、人形好きな当主が人形のためだけに建てたそうだ。当主亡きあと一族全員が気味悪がって放置され、経営が傾いたとき真っ先に売られた。跡地には大学が建設され、たくさんの優秀な人材を世に輩出した。
ただ一つ、特に優秀だった生徒は学校内で一時的に行方不明になる。期間は人それぞれだが、帰ってきた直後は酷く錯乱しているが落ち着くと誰よりも真面目で勤勉な生徒になっているらしい。
呪われていると噂されるも、得しかない結末に祝福だという噂の方が圧倒的だ。
そんな呪いだか祝福だかに巻き込まれた私。
綺麗なお屋敷で目覚めてから、電気はつかず真っ暗な廊下を駆け抜け、しつこく追いかけてくる人形から逃げ回っていた。何度か捕まって変な部屋に引きずり込まれたが、レポート資料用に持っていた読経全集を読み上げて対処した。
大声で音読しながら走っていたら大量の人形が明かりのついた部屋に群がっているのを見つけた。ボロボロな割にかなり頑丈なようで人形の顔が恐ろしく歪んでいる。
私の読経に気づいた瞬間、今度は皺くちゃな顔をして逃げていった。苦手なピーマンをみつけた子供みたいな顔だった。
ノックしたら壊れそうだったから、思い切りよく元気に扉を開けた。人間がいた、同年代くらいの男女が数人。近くにいた男性が私を引き込んですぐに扉を閉めた。外からみたらボロボロだったのに内側は傷一つない綺麗な状態だ。不思議だな。
軽く自己紹介とここまでの経緯を聞いた。私だけハブられてた。脱出せよとかふざけんな、玄関スルーしてきちゃっただろ。
道はある程度覚えているから全員に読経本渡して案内することにした。人形に驚いて読経をやめた人から襲われた。助けにいって読経を読むのを忘れて叫んだ人も襲われた。ズルズルと芋づる式に人が減って、残ったのは私と同じ年の女性だけ。私たちも助けようとはした。だけど引きずり込まれた部屋に入ったらもう人も人形もいなかった。
念の為屋敷内を一周してみたけど誰も見つからない。しかたないから2人だけで脱出することになった。
1体だけ玄関に佇む和装の人形がいた。静かに微笑んで、
「あの人にそっくりね」
慣れた手つきで玄関を開けて見送りしてくれた。和装なのに明るい髪色と瞳で、背の高い美しい女性。入学したときにみた人と、よく似ている。
戻ってきた。
教員と理事長におかえりと歓迎され、母親には心配させんなとビンタされ、たった一夜とのはずがひと月経っていたことに驚愕した。
隣りにいたはずの同じ年の女性はいなかった。長い黒髪の清楚な人。一見気の強そうなつり目だが他の人をずっと心配していた優しい人。
私以外はみんな何かを察して黙ってしまった。
「ようやく1人目ですね、奥さま」
人形のように美しい容姿の女が嗤う。明るい髪色と瞳が気に入られただけの汚らわしい売女め。
この屋敷ごと、みんな燃えてしまえ。
誰も助けてくれないのに、救う必要ないのよ
【題:夏の匂い】
雨が降るとみんな消えてしまう。なのに誰も傘を持っていない。軒下やテントに駆け込んで苦々しい顔で空を覗くのだ。
水たまりになることなく、地面に吸い込まれていく水滴を見届ける。踏むと硬いのに水を含んだ柔らかさを感じる不思議な質感だ。青く茂る芝も、新緑の木々も、自然に似せた人工物だから雨の匂いだけが本物としての存在感でこの場に満ちる。厄介だといわれるものだけが生きている。
雨に当たって消えてしまった人の痕跡が残っている。
ふやけた紙のような媒介を残して、今頃コクーン内の本体が目を覚ましているはずだ。明日にはまたこの場所に集まり笑いのネタにでもするのだろう。よくある話だ。
退屈で、退屈で、一歩外に踏み出してみる。
じわじわと染み込む雨が身体を溶かして、五感も何もないのをいいことに、自分の全てを消してしまった。
勢いよく開かれたカーテンの音に反射で身体を起こす。
案の定、疲れた顔をした職員に怒られてしまった。もっと身体を大事にしなさい、と締めくくって出ていった。
コクーンはもうほぼ完成しているのだからうるさく言われる筋合いはない。よく知らない『人』のために提供してやってるのだから少しくらい自由にしてもいいはずだ。
頭側のボタンを押して、今寝ていた箱と新しい箱を取り替える。今度は夏仕様のシンプルなレース柄だった。
そこにまた横たわって眠気がくるのを待つ。ゆるく波打つ天井に映された本物の外の海を観ながら呼吸をする。
いつまでも、ずっと、生きている間は、ずっとこう。
鍵のない部屋で飼い殺されるのを受け入れるだけ。
【題:カーテン】
――この想いが報われる日は、きっと、
童話の中で美談として語られる人魚姫って、そんなに健気で優しい性格をしていただろうか。
健気というより好きなものにひたむきな印象がある。人間の世界に憧れてたくさんアイテムを集めて喜んでいる。推し活よりも研究者のような熱意を感じるのだ。
海の仲間に対してみせる優しさと人間に対する優しさは違う。分かり合える仲間に対する信頼があるから同じ目線で助け合える優しさがあるが、生き方も何もかもが未知の人間には恐る恐る指先で触れて過保護なまでの優しさで命まで投げ出している。
好きと愛してるの違いだよ、と言われたが僕にはそれが分からない。
水難事故だと説明された。
水難というのは間違ってはいないだろう。でもアレは事故ではなくて作為的なものだった。
今でも誰一人として亡骸一つ見つかっていない。船の残骸だけが岸壁に打ち上げられて、乗客も船員もその人らの所持品も存在を示す全ての物がなくなっていた。
あれから数年経って、花束を持って岸壁の上にきた。船に乗っていた人たちの関係者ではないが、あの日みた光景が忘れられなくて毎年ここにくる。
穏やかな水面が荒れ狂う大海の波のように変貌する、その瞬間をみた。怒りと悲しみに満ちた悲鳴のような歌声が船を岸壁へと誘った。大破した船に這い上がり亡骸を一つ一つ検分して海に投げ捨てていた。鞄を漁り、航海の道具を漁り、アクセサリーを身体中につけて海の中に消えた。波が器用に船と船以外のものをわけて、気がつけばそこには船しか残っていなかった。
たぶんアレは人魚だ。美談として語られるものではなく、命を奪う怪物としての本来の姿をした人魚。
たぶん僕も死ぬはずだった、あの目は僕を逃さないと言わんばかりに僕を見ていた。魅入られた。招かれた。いつまでも忘れられないようにした。その印はなくならない。
青く、深い、深海の色
光のない、闇が拡がる、海底の色
存在しない面影を探す愚かさ
――僕は、僕だけは、付き合ってあげるよ
【題:青く深く】
これが過ちの代償…?
魔法の髪をもって生まれたお姫様を誘拐した。
この世界には万能薬が存在した。正当な手順を踏んで魔法の花から万能の効果を得て作る、特別な薬だ。
それを、王族が根こそぎ奪いこの世界から永遠に消し去った。魔法の花はアレが最後の一輪で、手順を守らなかったことでもう二度とどこにも咲かない。
だから魔法の髪をもった姫は何がなんでも守らなければいけなかった。
姫は王族らしからぬ品位のない女になった。教養も礼儀もマナーも、幼い頃から教えてきたのに、だ。
仕事から戻ってきて目にしたのは何人もの男とベッドで寝る姿だった。こんな爛れた環境では守れない。森の深くにある隠された塔に姫を閉じ込めた。
それなのに姫は勝手に抜け出して、今度は指名手配犯に心酔しだした。ようやく連れ戻せたと思ったら、大事な髪を切り落としてしまった。なんてこと、なんてことっ。
一度は捕らえられたが、姫は醜悪な顔で笑いながらもっと楽しませろと城の牢から追い出された。国中の民や衛兵に追いかけ回され、暴言を浴びせられ、暴力を振るわれ、やっとの思いで地下の塔、万能薬を作るアトリエに逃げ込んだ。
道中ずっと守ってくれた婚約者と今後のことを話し合っていたとき、衛兵たちが雪崩込んできた。奥へ身を隠そうと走り出したのに、婚約者は衛兵に向かってへらへらと頭を下げて自分だけでも助けてほしいと懇願しはじめた。
もうこの人もだめだ、そう思って一人で奥へ逃げた。何かを切り裂く鈍い音が背後で聞こえ、涙が溢れた。
分厚いシェルターの扉を開けて急いで中に入る。どんなに頑丈でもこの人数差では時間の問題だ。
これまでの人生を振り返る。
薬屋として長い時を生きてきた。いつしか魔女と呼ばれるようになり、尊敬から恐怖の対象へと変わっていった。
それでも患者はいた、だから助け続けた。生きる手段も方法も知っていたから助けた。
壁一面に並ぶカルテを見上げる。ずっと昔のものからつい最近のものまで、ありがとうと言いながら元気に去っていく人たちの顔は今でも覚えている。
扉が壊された。
冷たい刃が身体を貫く。
全て患者のためだった。
身勝手な王族への怒りだった。
みんな、みんな、何も分かってない。
「命を、なんだと思ってるの」
姫のために、一体何人の人が死ぬのでしょうね
【題:最後の声】