シシー

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10/12/2025, 10:50:18 AM

 網戸越しに目が合った黄色の双眼にゾッとした。

 昔から人と関わるのが苦手だった。話も続かないし何を話せばいいのかも分からなくて、ひたすら従順に言われるがまま都合のいい人間にしかなれない。
もっとも酷い記憶、というか決定的な出来事が起こったのは小学生の頃だろうか。特に親しくもなければ話すこともほとんどなかった担任に連日呼び出され怒鳴られ脅されたことがあった。原因はいじめだった。私が首謀者で単独犯として責任を負わされ住所まで勝手にばらまかれて知らない車に追い回されたり待ち伏せされたり恐怖でしかなかった。それを被害者だと宣うクラスメイトとカースト上位の数人が嘲笑っているのをみて完全に人間不信となった。
つまりはトラウマ第一号だ。

「お前なんて消えてしまえばいいのに」

 今、その言葉通りにしなかったことを後悔している。
私の対人関係から、計画性や頭の出来、身体能力、容姿、言動や考え方、ちょっとした癖に至る全てをクラスメイトの前で晒された挙句否定された。劣等生のモデルとして私以上の適任はいないのだと言われて、プツン、と何かが切れる音がした。
 涙なんてでないし、言葉どころか声も出ない。俯くこともなく、ただ視線を教室中に巡らせてその全てが敵だと認識したときようやく教師の顔をみた。汚い人間特有の汚い顔と言葉で全員の思考を絡め取っていく。こんなものがカリスマ性と呼ばれるなら、大昔の独裁者の名でも名乗ればいい。この教室において教師とは独裁者以外の何者でもないのだから間違ってはいないだろう。

 ずっと近所を歩き回っていた猫をみて可愛いと思った。
首輪もつけず自由気ままに己の生を全うする姿が心底羨ましく哀れだと思った。黄色の双眼が私をみて、すぐに興味を失って去っていく。

 別に方法なんてどうでもよかった。報復だの復讐だの、そんな大層なことは望んでいない。ただの一度も聞かれなかった発することも許されなかった私の意見を、今なら言えると確信した。
 廊下側の一番前の席、最も出入り口に近い場所、最高学年にあてがわれた高層階の教室。条件は整っている。
 スルリスルリと流れ出る言葉は非難がましく言い訳のような自己保身のための身勝手なものでしかない。意見とはそういうものだけれど、私が言うともっと酷いものに感じる。
 椅子を引っ張って廊下に出る。誰も止めはしない。窓際に沿わせて椅子を配置し、細く開いた窓を全開にする。
上履きを揃えて椅子に立つ。最早誰もみていないことを示すようにドアが閉められる。外は風が強く吹いている。下を向けば枯れ葉だらけの地面があるだけ。

 振り返って、小さく頭を下げて、窓枠に足をかける。

 バンッと大きな音がしたけどもう遅い。遠ざかっていく現実に安堵を覚えて小さく息を吐いた。大きな衝撃のあと身体中に亀裂が入ったような苦しさで覆われて意識が朦朧とする。




 思い出したのか、私の妄想なのか、単なる悪夢か。
どうでもいいけれど、私の人生とはどこまでもそれと同じような景色が続いている。
 あの黄色の目をした猫はどこかで生きているだろうか。

…そういう感想しか出てこないの




              【題:どこまでも】

9/28/2025, 4:01:20 PM

 意外と笑い物にされてしまうような、関係だよね。

 ただ力を分けてもらっただけだった。気まぐれに与えられたほんの少しの寵愛に溺れてそこから抜け出せない。
どれだけ取り繕っても、口を塞いでも、

『人を寄せ付けない雰囲気出してるよね』

という一言で私の気持ちも考えも打ち砕かれる。
愛されたい、私だけを見てほしい。ずっとべったりとかじゃなくて、話しているときに視線を合わせるとかそういうレベルのことなんだ。スマホばかりみて生返事ばかりで何も聞いていないのに同じ言葉に賛成したり反対したり鬱陶しい。そんな人たちに近づいてほしくないと思うのは自分勝手なのだろうか。



 珍しい、という理由だけで引っ張り出された舞台で私は正論を説いた。危険なのだと、これだけは守ってほしいと、私は公正を守る役目の審判に何度も伝えた。なのに鼻で笑うばかりで周知もせず立ち位置を雑に指し示すだけの人に、私はどれだけ自分の言葉と時間を費やせばいいのだろう。
 考えるのも嫌になって強制的に約束を守る約束をして、試合に臨んだ。何をするでもなく、私を愛してくれる最強の存在に任せて場を掌握する。何人かの首は飛んだけれど約束を破ったのだから仕方がない。私に責任はない、守ってほしいと約束したのに破った方が悪い。

「言葉も分からないのにどうしてここにいるの?」

 名門校だと自慢気にしていたくせに、この国の言語も公用語も分からない人がなぜここにいるの。レベルが低いのはどちらかな。私を馬鹿にする語彙力はあるのにおかしいね。まあ、それは私も同じだけれど。

 私は私を愛してくれる存在の言葉を理解できない。そもそも声すら聞こえない。姿は見えても影のように、音のないテレビのように動き回るだけで何も分からない。
同じ種族同士ですら分かり合えないのに、自意識過剰というやつだろうか。

 薬指にはめられた生花の指輪をなでる。1枚花弁が散るのを見届けて、またすぐに新たな蕾に姿を変える様を眺めた。永遠なんてないのに、これはもう永遠になろうとしている。

「私の言葉、どこまで理解できる?」





           【題:永遠なんて、ないけれど】

9/27/2025, 2:52:53 PM

「どうして泣いているの」

 その声を、もう一度聞きたかった。
 その優しさを、もう一度。


 その辺を歩いているだけのただの人間で、場をつくるための脇役にすらなれない背景。それが俺だ。
迷惑なお節介で舞い込んできたお見合いももう何度目だろうか。親兄弟が有能だったばかりにこうして何の取り柄もない俺まで舞台に引き摺り出される。名家のお嬢様ですらこの時代では最低限の拒否権は持ち合わせているのに、そんなもの俺には与えられない。かわりにトントン拍子に進む昇進と上がり続ける給料が与えられ、能力に見合わないものだけを背負ってゾンビのようにビル群を練り歩いた。

 指定されたホテルに到着する。建前上食事会ではあるが、高級ディナーが終われば笑顔を張り付けた美女がつまらなそうに俺の肩書きにすり寄ってくるのだろう。美味しい食事を台無しにするシナリオが大嫌いだ。
 でも、彼女は違った。よく手入れされた容姿とは異なり暗く濁った眼は俺と同じだった。親や周囲の人間のためだけに作られた都合のいい駒、それが俺たちの共通点で繋がりだったんだ。

 あっという間に1年が過ぎて、同棲をはじめた。家事を完璧にこなすキミは決して幸せそうには見えなかった。常に穏やかな笑顔を浮かべ、従順に振る舞うその仕草の一つ一つがよく仕込まれた動作のようで嫌いだった。最近はふとした瞬間、視界から外れる僅かな瞬間にみせる翳った表情をよく見かける。気づかないフリをするが内心とても嬉しかった。ようやく本来の姿をみることができた、と嬉しくて胸が高鳴る。まあ、そういうことなのだろう。

 ある時、帰ってきたらキミは怪我をしていた。
いつも通りの笑みを浮かべているつもりなのだろうが、俺には泣くのを我慢しているようにしか見えなかった。血が沸騰するという感覚を初めて味わった。もう2度と御免だと思う。親の用意したマンションを売り払って、あれこれ手を回して無断で転勤し、眺めのいい静かな場所へ2人だけで逃げ出した。

 認めよう、俺はキミが好きだ。
 どうしようもなく夢中になっている。

 そう自覚した日、キミを失った。
最期の瞬間にすら共にいてあげられない俺は、キミにとってどんな存在だったのだろう。たった1枚の紙で繋がったつもりになった俺を笑っているのだろうか、お揃いのリングに浮かれる俺に愛想を尽かしたのだろうか。
 なんで、どうして、キミが、キミだけが。

 裁判は終わっても、どれだけ賠償金や罰が下されても、キミの存在を埋めることなんてできやしない。謝罪なんて受け取らない、いつまでもその罪を背負って苦しめばいい。俺のように、ずっと、苦しめばいい、それが相応しい。

 戸を開ける、ただいまという、静かな暗闇が横たわる。


 もう一度、「おかえりなさい」を聞きたい。
 もう、だめなのか?




                【題:涙の理由】

8/31/2025, 1:20:21 PM

 終わりの日

 今日に何かこだわりがあるわけではないです
でも区切りがいいので終わりには丁度いいと思いました
苦しいことも辛いこともたくさんありました
嬉しいことも楽しいこともあったのかもしれません
私はそれを思い出すことができませんがそれでいいと思います
何一つ未練を残すことなくパッと消えることができるからです
幽霊や死後の世界があったとしても私はなりたくないし行きたくもありません
この世にもあの世にもどこにも私という存在がなくなってほしいからです
みんな私を邪魔だと言います
消えてしまえ、死んでしまえ、と言われます
だからその通りにするために私は消えたいです
私はバカだからみんなの言う通りにしておけば全てが上手くいくのです
みんなの幸せのために私は消えるのが正解です
楽しい世の中になるために必要なことです

 誰も悲しまない世界になりますように


―――こういっておけば少しはそれらしくなるのかな


 夏の夕方に生まれた私は沈む運命なんだよ
 そうだよね
 そうだよね
 ねえ
 嬉しいでしょう



           【題:8月31日 午後5時】

8/24/2025, 1:24:21 PM

「あんなののどこがいいんだ」

 別に意地悪を言っているわけではない。
あいつは口も性格も悪いし、こいつには殊更辛く当たる。
何も言い返さないのをいいことに、いつまでもグチグチと嫌味やら悪口やら言うものだから心配しただけだ。

 なのに、こいつときたらキョトンとした顔で首を傾げたかと思うと心底不思議そうにこういった。

「あいつのどこが悪いんだ」

 優しいやつも厳しいやつもたくさんいるここで、こいつにとっての一番は決まっているのだ。何を言われても平気なのではなく、それが自分にだけ与えられる情だと信じて疑わない。
 感じ方も価値観も人それぞれだと分かってはいるが、こればかりは理解できない。雛のように自分を拾ったあいつを親のように慕う姿には呆れる。
見知らぬ街で心細くとも、あいつに懐くのだけは、全く理解できない。その純粋な目から光が失われることがないように俺だけでもしっかり見といてやらないといけないな。
 厄介なガキがまた増えた。あいつもこいつも勝手で生意気で勘弁してほしいものだ。



               【題:見知らぬ街】

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