私の軌跡の浅いこと。
これを惨めだ、情けない、と思えばいいのか。
それとも可哀想にと嘆けばいいのか。
もしも過去に戻れるのならどうしたい、と聞かれた。
私は1年と少し前に戻りたい。
そうしたら今の私は生きていないから。
惜しまれるような命ではないと生き恥を晒さずに。
私の軌跡を消すことができるの。
【題:軌跡】
距離なんて関係ない。
忘れることもない。
この気持ちは消えない。
許せない。
許せないの。
【題:どんなに離れていても】
――差し出された手の違いはなんだろう
どちらも自分を求めていることは分かるが、何かが違う。真っすぐに伸ばされた力強い手と柔らかく包み込むように開かれた腕。鋼と真綿が並んでいるようだ。
右手で手に、左手で腕に、そっと触れてみる。
グッと引かれて半身は右へ引き上げられ、優しく包みこまれた半身は左へと沈んでいく。痛みはない。ただどちらも望んだ自分が2つに別れただけだ。
離れていく半身をみた。幸せに満ちた笑みを浮かべる一方でほんの少し寂寥感を漂わせていた。
何かとんでもない間違いを犯してしまった心地だ。だけどこんなにも満たされている。
「…バカな娘だ」
ただ一人残されるのを知っていて、本当にバカだ。
【題:「こっちに恋」「愛にきて」】
くだらない、というきみのために俺は。
何度も踏み潰されてきたのだというきみの好きを拾い集める。一言ずつ言葉を添えて、それが届いているのか分からないが見たという証明を残していく。
折れた筆の柄を握ってきみはぼんやりとしている。
白い画用紙は傷だらけで所々穴も開いている。とても絵とは言えないものを満足そうに見つめて、床に落とした。
立ち上がり、軽い足取りで部屋の中を歩き回る。使った道具を片付けているだけなのにとても楽しそうだった。
「おつかれさま」
俺に気づいてそう声をかけた。出入り口の前に立つ俺の横を通り過ぎてそのままきみは出ていった。
完全に姿が見えなくなったのを確認してから、床に落ちた画用紙を覗き込んだ。じっと目を凝らし傷跡を辿っていくと鳥を描いていただろうことが予想できた。尾の長い、孔雀のような、オウムのような、たぶん創作した鳥だ。
色がのっていたらどんなだろう、なんて思いながら跡しか残らない透明な鳥を拾う。浅い凹凸の影に生きる鳥は空を飛ばずとも美しい。
くだらない、というきみには才能がある
俺はどうしたって追いつけないきみを追い続ける。筆を失ってもなお描くことをやめられないきみには追いつけないのに。その才能が羨ましくも、憎らしい。
【題:影絵】
――個人の能力によって桜は美しくなる
本当にその通りだった。
何年もかけてようやく花をつけた小ぶりの桜を前にはしゃいでいたのが馬鹿らしくなった。
枯れ木同然だった古い木に彼女が触れた途端、ただ力なく垂れ下がっていた枝が花を降らせるかのように柔らかく垂れた。濃淡様々な花弁が品よく並ぶ枝の微かな揺れは側へと手招きしているようで自然と足が向き、枝を仰げば息を呑むほど美しい景色が広がっていた。らしい。
興奮気味に語った彼女はもういない
ある日、彼女が何日も帰ってこないとルームメイトが訴えた。最初は他の子のところにお泊りしているのだろうと放っておいた。だが、一度も部屋に戻ってこないことを疑問に思い、翌日彼女のクラスまで訪ねたらここ最近ずっと欠席していると言われた。同じ寮生に聞き込みをしても誰も彼女を泊めていないと言う。
そこから話は広がって学園中を探し回ったが彼女の姿はどこにもなかった。
私も彼女を探すのを手伝ったが何の手がかりも掴めなかった。もう5月も半ばで夏の気配がちらつきはじめたせいかかなり暑い。木陰を求めて一時期話題になった桜の園に入った。すっかり葉桜になってしまった青々とした木々を見回して、ある1本の木の下に腰掛けた。美しいと言われた景色はもう広がっていない、彼女が咲かせたあの桜だ。
ぼんやりと枝を仰いで、花が咲いていたらどんな感じだったか考えた。涼しい風が吹いて枝が揺れる。手招きのようだ。招かれている。側に。
「能力とか、関係ないんだ」
単に望んだときに近くにあったから呼んだだけ。
そうやって彼女も消えた。
でも、なんだか悔しい。
「どうせなら花のときに招いてよ」
私はいつまで経っても彼女には及ばないらしい。
ずるいな。
【題:静かな情熱】
・ちょっと補足・
桜の下には死体が埋まっている、というのを思い浮かべてほしい。器量がいいとか、飛び抜けて頭がいいとか、何かしら人より優れたものを持つ人ほどいい肥料になるとする。