会いたい気持ちが溢れて仕方がない。
でも、俺の周りにも、彼女の周りにも人がいて、抜けられるような状況ではなかった。
何より俺と彼女の物理的距離がある。
それぞれのグループで笑って、はしゃいでいた。
彼女に視線を送ると、キラキラした瞳でみんなの会話に相づちを打ち、時々楽しそうな彼女の声が響く。
みんなは気にならないだろう声。
俺の耳にハッキリ聞こえる。
胸の高鳴りと共に、手を伸ばして引き寄せたくなる甘やかな彼女の声。
会いたい。
話したい。
そばにいたい。
違う。
君の声を聞いていると、どうしようもないほど胸を締め付けられる。
俺は、君にそばにいて欲しいんだ。
おわり
二七五、君の声がする
「ちょこぉ〜」
俺は家に帰るなり、恋人にダル絡みする。
今日はバレンタインなのだ。以前からきっと用意してくれていると思うけれど、今朝彼女から反応がなかったので帰ってきてすぐに絡んでしまっていた。
「もう、仕方がないですねー」
彼女は苦笑いしながらキッチンに向かう。俺は鎮座して待った。
しばらくすると、カシャカシャと金属音が響くと、甘い香りが漂ってくる。
ちゃんと用意してくれていたのは分かっていても、それがとても嬉しいんだ。
少し時間を置いてから、トレーを持って俺の目の前にシンプルなマグカップが置かれた。
マグカップにはドンと生クリームが乗っかって飲み物が見えない。
「まずはこちらをどうぞ」
どことなく含みのある彼女の言葉に、首をかしげながら生クリームからその飲み物を口に含むと甘さと苦さが広がった。
「? ココア?」
その瞬間、フグのように一気に頬か膨らんだ。
「違いますぅ! ホットチョコレートです! 私結構頑張ったのにー!!」
「え!? チョコレートなの!?」
「きちんと砕いて頑張ったのにー!!」
全然伝わっていない俺に悔しさが溢れたのか、俺の両頬を掴んで引っ張った。
「ひひゃいよー」
両手を目の前に縦に重ねて拝み倒す。砕いたってことはチョコレートを砕いた上でこれ作ったの?
「甘いの好きだと思ったから生クリームも沢山入れたんですよ!?」
「本当にごめん。でも、美味しいし……めちゃくちゃ嬉しいよ」
そう。
凄く嬉しいんだ。
彼女は恨めしそうな視線を俺にぶつけながら、もう一度立ち上がって冷凍庫から何かを取りだして俺の目の前に置いた。
「これって……」
ちょんと置かれたのはチョコレートアイス。
どこか不格好なのは、きっとこれも手作りだからだ。
それが分かるのは、俺は昔これを食べたことがあったから。
出会って間もない頃に、彼女から作ったからとお裾分けで貰ったことがある。手間がかかるものだと分かったからよく覚えていた。
「これも作ってくれたの?」
そう聞くと頬は膨らんでいないけれど、とても唇が尖っていた。
「作りました」
本当に……手作りにこだわるんだよな。
それは彼女が普段からプレゼントにどうするかと悩むと、お金でどうこうするんじゃなくて、手作りして心を込めることを選択する。
クリスマスも俺に合わせた好きな飲み物を手作りしてくれた。
心を込めてくれた。
「ごめんね。本当に、ありがとう。俺、ホットチョコレートって飲んだことなかったからココアとの差が分からなくて酷いこと言っちゃった。ごめんね」
そう伝えて彼女の頬を撫でると、何か驚いた顔をしていた。そして俺の手の上に手を重ねて俺の手に頬を擦り寄せる。
「いいえ。私こそごめんなさい。確かにココアとホットチョコレートの差って分からないかもです」
「一生懸命作ってくれたんでしょ」
「はい」
「愛も込めてくれた?」
「それはいっぱい!!」
ぱあっと明るい笑顔を向けてくれた。
俺への気持ちを込めた! と言う時に、こんな可愛い笑顔を見せてくれるのだから、沢山愛をこめてくれたんだと分かって自然と頬が緩んだ。
「本当にありがとう」
「アイスもホットチョコレートもゆっくり楽しんでくださいね」
「うん」
自然と唇を重ねると、彼女がまた笑う。
「ふふ。チョコレートの味がします」
おわり
二七四、ありがとう
そろそろ近づいたバレンタインの季節。
週末にくるイベントに、男女問わずソワソワしてしまっていた。
俺の務めている病院にいるみんなも、どことなく浮ついている。
友達や、仲のいい仲間には「チョコちょーだい!」と伝えていた。
が。
まあ、俺も少しだけ……そう、少しだけ落ち着かない。
俺には好意を寄せている彼女がいる。去年はバレンタインに誰にも渡して居ないみたいで、ホワイトデーに交換することになった。
あの時、誰かにバレンタインチョコを渡していないと知ってホッとしたんだ。
彼女も客商売だから、お客さんにあげるとは思っているし……今年はどうなんだろう……。
正直……彼女からバレンタインチョコが欲しい。
叶うなら、俺だけのチョコが欲しい。
ま、まあ……俺だけのチョコはハードルが高過ぎるんだけれどね。
俺はスマホを取り出してメッセージ欄を表示させる。
「……」
彼女に……チョコが欲しいと伝えたい……。
どうしようかな。
お店に行って、直接伝えようかな。
それとも、このままメッセージで伝えようかな。
俺はスマホをにらめっこしているうちに、休憩時間が終わってしまった。
おわり
そっと伝えたい
「さて、どうする?」
なんとも怪しい店。
帽子で顔や表情が見えにくい店員。
俺は迷い込んだ見慣れない道に入り込んで、お店に入ってしまった。
そこでのやり取りで、商品を見せてもらった。その商品は「未来の記憶」。
「これがあれば、あなたの都合の良い未来が手に入りますよ」
帽子のつばの下に、うっすら見える口元の端が上がる。どう見たって悪い笑みだ。
俺が見た未来は……こう願っていると思えるもの。
代金は当然法外な値段だ。その代金を払わないで店を出たら消えるらしい。
自分の欲しい未来が願った通りにできる未来が今の脳裏にある。
まあ、そんなことを言われても俺の答えは決まっていた。
「いらない」
今、俺には好きな人がいる。彼女との未来もこの記憶に頼ればどうとでもなってしまう。
「俺は……彼女に振られても、未来が思い通りにならなくてもいい」
その言葉に店員は口を開けて驚愕していた。うっすらと汗が落ちるほどに。
「思いのままの未来だぞ!?」
「うん、いらない」
「何故!?」
俺は店の出口に足を向ける。
「この店に二度と来られないかもしれないんだぞ!?」
「かまわない」
足を止めて、軽く首だけ後ろに向けた。
「彼女との未来も、俺自身の未来も、俺自身が積上げていくものだから、都合のいい記憶なんていらない」
それに俺は腹も立てていた。内側になんとも言えないむしゃくしゃした気持ちが湧き上がる。
そんな都合のいい未来?
そんな都合のいい彼女?
バカにするな。
俺が好きになった彼女も、俺が欲しい未来も、難しいから自分の手で掴みたいんじゃないか。
店員が、まだ何かを言おうと口を開くが俺はもう振り返らずに胸を張って店の扉から外へ出た。
――
「……」
振り返ると見知らぬ裏路地の行き止まりにいた。
俺はなんでここにいるんだろう?
そんなことを思いながら、表通りに向かって足を進める。
それと同時に、どうしようもないほど気になる彼女に会いたくて仕方がない。
病院の車両、どれが壊れてないかな……。
それを見つけたら、理由をつけて自動車の修理屋で働いている彼女に会いに行ける。
「……いや」
会いたいから、会いに行く。
それを理由にすればいい。
そう結論づけた瞬間、何故か心がスッキリして自然と笑みがこぼれた。
おわり
二七二、未来の記憶
彼へ生まれた気持ちは確かにホンモノで。
でも私の気持ちを押し付けるのも、私が彼に片思いしているのも、彼に迷惑をかけてしまいそうで……。
誰にでも優しい人だし、人を助けることが仕事だから、色々な異性から好意を向けられていることも……なんとなく知ってる。
その中で、一番関係性が低いのは私だ。
彼が前を向いて仕事をしている、そのお手伝いができればいい。
私の気持ちで彼を迷わせてしまうのは……嫌だった。
だから、私は自分の心に蓋をする。大好きな想いに鍵をかけて、忘れよう……。
そう思ったのに。
屈託のない笑顔で私に手を差し伸べてくれる彼に、気持ちを抑えられなくなりそう。
ダメ。
ダメだと思うほど、迷惑をかけてしまいそうな気持ちが溢れてしまう。
ようやく落ち着いたのに、彼が当たり前に手を差し伸べてくれるから、また心を抑えるのが大変になる。
自分のココロなのに、全然思い通りにならないよ。
可愛くて、格好よくて、優しくて。
全部大好き。
おわり
二七一、ココロ