百、やるせない気持ち
彼女はベッドの上でうさぎのぬいぐるみを抱きしめて横になっていた。
同棲している恋人とは、もう一週間も会えていない。
「あと一週間か……」
愛しい青年は仕事の関係で二週間、出張に行っている。そして、今日で折り返しだ。
一日目は、これから頑張ろうと思えた。
二日目も、まだ大丈夫だと思えた。でも心が乾いているような気がしたけれど、それを見ないようにした。
三日目は、気がついたらため息をしていると、社長から指摘された。
四日目は、ご飯を食べても美味しいと思えなくなっていると気がついてしまった。
五日目は、寂しくて向けが締め付けられ、風呂場で頭からシャワーを浴びながら涙を零した。
昨日は……どうだったか彼女は覚えていない。ひとりでいる事実が嫌で、早く寝てしまったのだ。
彼女はベッドにうつ伏せになって、うさぎのぬいぐるみに顔を埋める。すると目が熱くなった。
「寂しいよ……」
おわり
百、やるせない気持ち
恋人たちが終着駅に辿り着いて電車を降りると、青空が広がっていた。そして潮の香りが鼻をくすぐる。
目映い日差しに目を細めた。
「暑いですね」
「そうだね。じゃあ、まずは宿に向かおうか」
青年は自分の荷物と持ち、立ち上がるついでに彼女の荷物を持って歩みを進める。
「あ、カバン……」
「これくらい持つよ。じゃあ、俺についてきて」
恋人たちが向かう場所は、以前、青年が職場の人たちと訪れたことのあるところだった。
道なりに歩いていくと、少しずつ聞こえる波の音。道をぬけると、そこには海岸が広がっていた。
「わ、きれい……」
彼女の瞳に映るのは透明度の高い青い水。その海の光が反射して、彼女の瞳はいつもよりキラキラ輝いているように見えた。
そして、その光景は彼女の視線を釘付けにする。
青年はそんな彼女を見つめて、嬉しそうに微笑む。この後に待っていることも楽しんでもらえるといい。そんなふうに思った。
「宿に着いたら荷物を置いて、ここにまた来よう」
「はい!!」
旅行は始まったばかりだ。
おわり
九十九、海へ
俺は救助を終えて、病院に戻る。俺はこの後の時間は病院待機の予定だったのでロッカーて着替えていた。
するとロッカーに入ってきた先輩が俺を見て驚いた顔をする。
「あれ、ここに居たんだ?」
「はい?」
いつものタートルネックに頭を通しながら、首を傾げると、先輩はとんでもないことを言った。
「いや……彼女が運ばれていたから。戻ってきたし、居なかったからてっきり……」
その言葉を聞いて、俺は背筋が凍った気がしてロッカーから白衣を掴んでそれを羽織りながら、駆け出していた。
途中で走っていたのに気がついて、早歩きで診察室を探す。
すると、明るく聞きなれた声が耳に入った。
「ありがとうございましたー!」
「あ、待って……ん、なにしてんの?」
腕を吊って出てくる恋人と、後ろから追いかける俺の師匠の先生が出てきた。
「あ、いや……」
すると師匠は悪い笑みを浮かべた。
「ははーん、心配して来たな?」
医者としてあるまじき行動だと思い出して、冷や汗が止まらない。
すると、俺に近づいて頬を膨らました彼女が顔を覗き込む。
「ダメですよ、先生」
「うん、そうだね。ごめん。心配したら飛び出しちゃった……」
だけど、俺の手を取って優しく、そして俺だけにしか聞こえないくらいの小さい声で微笑んで言ってくれた。
「でも、凄く嬉しいです」
すると彼女の後ろから、冷ややかな声がかかった。
「まったく、白衣も裏返しだし格好つかないね」
「え!? 先輩から聞いて慌てて飛び出して来ちゃったから……」
俺は慌てて白衣を着直した。
「ん? ロッカーから駆け出した?」
「え!? あ!!」
俺の師匠である先生の後ろに、暗雲が立ち込めているのを感じた。
「恋人が心配なのは分かるけど、お前が廊下を走るな!」
ハイ、コモットモデス。
俺は許可を貰い、恋人を家に送った後、師匠から懇切丁寧なお説教を頂戴しました。
おわり
九十八、裏返し
恋人たちの好きな色は鮮やかな水色で、その中でも空色が特に好きなのだ。
青年は仕事柄ヘリに乗ることもある。その空を見ていると鳥になったような錯覚を覚える瞬間があった。
その話を恋人にすると、彼女は目をきらきら輝かせる
「羨ましいです! 鳥になってその空を見てみたいです!」
そう告げる彼女に青年は苦笑いをした。
「鳥になったら、俺が一人になっちゃうからダメ」
青年は彼女の手を取り、その細い指を絡め取る。それは彼女に〝離さない〟と言うようだった。
おわり
お題:鳥になって
恋人になる前は普通に〝さよなら〟と挨拶をして別れていた……と思う。
でも恋人になってからは、その言葉を紡げないでいた。
初めて好きになった人。
俺を大切にしてくれる人。
そんな恋人に向かって、どうにも〝分かれの言葉〟は言いにくかった。
―――――
相変わらず怪我の多い職場と怪我のしやすい恋人は、青年ではない別の先生の診察を受けていた。
ちょうど休憩をしていた青年と玄関ですれ違い、とても驚いた。
話しながら彼女を駐車場まで送る。そして彼女はヘルメットを被ってからバイクにまたがった。
「そろそろ行きますね」
「あ、うん。また……ね」
家に帰ればまた会えると言うのに、どうしても名残惜しくなってしまう。
彼女はそれを飲み込んだようで、ぎこちない笑顔を青年に向けた。
「はい、また」
出発しようとバイクのグリップを回そうとしたが、少し考えてから青年に振り返る。
「……〝さよなら〟を言う前に、〝またね〟って言いたいんです」
「ん?」
どことなく不安を覚えたのか、青年からは視線を逸らしつつ、彼女は小さく自分の言葉を紡ぐ。
ただ、彼女が言いたいことは、青年にも理解できた。
青年は微笑んで、彼女の視界に無理矢理入る。
「俺もだよ! やっぱり考えることは同じだね!」
「え?」
「俺も、〝またね〟って言いたい。ただの挨拶って分かっていても、別れの挨拶は寂しいよね!」
青年の言葉に、彼女はゆっくりと微笑んでくれた。
「はい、だから……また、帰ったら……」
「うん。また、ね!」
先程の不安の影が全く見えない程に、晴れやかな笑顔をふたりは見せあった。
おわり
お題:さよならを言う前に