とある恋人たちの日常。

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 恋人になる前は普通に〝さよなら〟と挨拶をして別れていた……と思う。
 でも恋人になってからは、その言葉を紡げないでいた。
 
 初めて好きになった人。
 俺を大切にしてくれる人。
 
 そんな恋人に向かって、どうにも〝分かれの言葉〟は言いにくかった。
 
―――――
 
 相変わらず怪我の多い職場と怪我のしやすい恋人は、青年ではない別の先生の診察を受けていた。
 ちょうど休憩をしていた青年と玄関ですれ違い、とても驚いた。
 
 話しながら彼女を駐車場まで送る。そして彼女はヘルメットを被ってからバイクにまたがった。
 
「そろそろ行きますね」
「あ、うん。また……ね」
 
 家に帰ればまた会えると言うのに、どうしても名残惜しくなってしまう。
 彼女はそれを飲み込んだようで、ぎこちない笑顔を青年に向けた。
 
「はい、また」
 
 出発しようとバイクのグリップを回そうとしたが、少し考えてから青年に振り返る。
 
「……〝さよなら〟を言う前に、〝またね〟って言いたいんです」
「ん?」
 
 どことなく不安を覚えたのか、青年からは視線を逸らしつつ、彼女は小さく自分の言葉を紡ぐ。
 ただ、彼女が言いたいことは、青年にも理解できた。
 
 青年は微笑んで、彼女の視界に無理矢理入る。
 
「俺もだよ! やっぱり考えることは同じだね!」
「え?」
「俺も、〝またね〟って言いたい。ただの挨拶って分かっていても、別れの挨拶は寂しいよね!」
 
 青年の言葉に、彼女はゆっくりと微笑んでくれた。
 
「はい、だから……また、帰ったら……」
「うん。また、ね!」
 
 先程の不安の影が全く見えない程に、晴れやかな笑顔をふたりは見せあった。

 
 
おわり
 
 
 
お題:さよならを言う前に

8/20/2024, 1:41:48 PM