車両関係の仕事をしている彼女が、店先に並んでいる自転車を見て止まった。
「どうしたの?」
「いえ……」
なんでもなさそうな回答をしているが、視線は目の前の自転車に釘付けだった。
青年もその自転車に視線を送る。
折りたたみ自転車で、車輪は普通の自転車より小さい。ボディは白で、色素の薄い恋人にはとても似合いそうな自転車だった。
「気になるの?」
「はい……なんか、可愛いなって……」
視線を反らせない彼女の方が可愛いと思えて、青年はくすりと笑う。
「なんででしょう、凄く惹かれます」
「色やフォルムが好みなんじゃない?」
青年は店員を見つけて、声をかけると試乗を勧めてくれた。
彼女は首を縦に頷き、店員さんはその準備を始める。
「楽しみだね」
「はい!!」
店員さんが準備を完了させて、彼女の目の前には白い折りたたみ自転車があらわれた。
「どうぞ」
彼女は自転車にまたがって、ペダルを漕ぐ。
「ふあっ!!」
その瞬間、彼女の瞳が輝く。
「どうしたの?」
「思った以上に軽いんです、びっくりです」
「へー!」
ある程度の距離を走って来た彼女は、満面の笑みで青年に視線を送った。
「凄いんですよ!!」
青年の隣にいた店員が、この折りたたみ自転車は他の自転車より軽く、走力も高いのでお奨めだと説明してくれた。
そして、店員は普通のシティサイクル。一般的にはママチャリを持ち上げるように言われる。
恋人たちは順番に持ち上げた。
「おもっ!!」
「え!? これ重いの!?」
青年は先程のママチャリの重さは普通だと感じていたのだ。すると彼女は首を横に振った。
「とても重いですよ! さっき乗った自転車を持ち上げてみてください!」
彼女も店員も、全力で薦めるので持ち上げると、ママチャリとは比較にならないくらい軽かった。
「え!? こんなに違うの!?」
「そうなんです!」
今度は青年が感心する番で、青年が店員に許可を貰い試乗させてもらう。
車輪が小さいから小回りがきく分、少しの震えで曲がってしまう。それは車体が軽いから尚更だ。だが乗り心地の良さと軽さは、青年が記憶していた自転車のそれとは明確に違った。
それを早く伝えたくて、彼女と店員がいる場所に戻る。
「びっくりした! こんなに違うんだね!!」
「そうなんですよ!」
自転車は重さで変わること、この折りたたみ自転車は折りたたみ自転車では考えられないくらい軽く、また走力もあるのだと説明してくれる。
「ねえ……この自転車、それぞれで買わない?」
「え?」
青年の提案に彼女の方が驚いた。
「いや、うちにはバイクと車、両方あるけれどさ、天気のいい日に近場をこれでサイクリングするのも良さそうって思わない?」
「いいです!!」
彼女が満面の笑みで喜ぶと、ふたりで店員に購入の相談を始めた。
それぞれで色違いの自転車……だけではなく、ヘルメットなど最低限のものも買うことになった。
「思ったより高い買い物になったけれど、サイクリング、楽しみだね」
「はい!!」
おわり
お題:自転車に乗って
青年は全力で疲弊していた。
彼の仕事は救急隊員。今日は人が少ないのに事件も事故も多くて、文字通りに休む暇も無い。
本当なら、代わりに休憩を入れてから帰ることも可能なのだが、青年は休むより早く帰りたかった。
青年は憔悴した身体を引きずるように、バイクに跨り自宅に向かって走らせた。
「ただいまぁ〜……」
家に着くと、ほのかにいい匂いが鼻をくすぐる。そして、奥から恋人が出迎えに来てくれた。
「おかえりなさい。声がめちゃくちゃ疲れていましたけれど、大丈夫……じゃないですね」
「大丈夫じゃない〜」
彼女は青年を見ると、その疲弊した姿に苦笑いして別れの荷物を代わりに持って行った。
「ちかれたぁ〜!!」
食卓へ向かう前に、青年は居間のソファにダイブする。
「もうヤダ、動きたくないー」
ソファに飛び込んだ青年は顔を埋めたまま叫んだ。
「お疲れ様です。隣に座っていいですか?」
そう優しく言われてしまった青年は、重い身体を起こして彼女の座るスペースを空ける。
彼女は青年の隣に腰を下ろした。
「少し休んでから夕飯食べますか?」
「うん……と言うか、ごめん。ぎゅーしてもいい?」
青年自身、このような言い方をるのに抵抗はあるが、精神的にも肉体的にも疲労しており、そんな気持ちはどこかへ飛ばしていた。
彼女からの返答に不安を覚え、視線を送る。ふわりと微笑んで両手を広げて青年を優しく包んでくれたかと思うと、背中をぽんぽんとたたく。
「本当に、お疲れ様でした」
「ありがとう〜。心も身体も癒される〜……」
実際に、肉体的疲労が消化される訳では無い。だが、心が軽くなっていくのを感じ、彼女の首元に顔を埋めて強く抱き締めた。
おわり
お題:心の健康
今日は恋人が食事当番。機嫌が良いのか、鼻唄を歌いながら色々と準備をしている。
青年は彼女が楽しそうに台所に立っている姿を見て、くすりと微笑んだ。
仕事で疲労感がある中、彼女の声がとても心地良い。優しい声に身を任せながらまぶたを落とすと、うっかり意識を手放してしまった。
意識の海から浮かぼうとしている中、温かい手が優しく額を撫でてくれる。それと同時に彼女の歌声が聴こえてくる。
目を覚ますと、青年は恋人の膝の上に頭を乗せていた。
ぼんやりとした意識の中で、彼女の歌声が気持ち良くて、もう一度瞳を閉じた。
おわり
お題:君の奏でる音楽
電車が終点に到着して、旅行中の恋人たちがゆっくりとホームに降りる。そこに広がるのは青い空。漂う潮の香りが鼻をくすぐった。
「うわぁ!!」
「いいところでしょ?」
「はいっ!」
愛らしい恋人の満面の笑みを見る青年は口角が上がる。以前、職場の仲間たちと来た時、とても楽しかったこの場所に、彼女を連れてきたかったのだ。
「日差しが眩しいですね」
「そうだね。でも、晴れてよかった」
朝から電車に揺られて陽も天に昇りきった頃合で、その陽射しは強く痛みを覚える。
青年は自分の鞄から折りたたみができる麦わら帽子を取り出して、彼女の頭に被せた。
「わ!?」
「被って、日焼けしちゃう」
彼女は驚きつつも、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
この麦わら帽子は、彼女へのプレゼントに用意したものだった。頭の調節しやすい太めの紐はリボンに見える。その紐はふたりが好きな夏の時によく見る爽やかな空の色。
色素の薄い肌の彼女が、日焼けしないようにと青年が選んだ。
照れつつ嬉しそうに微笑む彼女を見ていると、青年は嬉しさが込み上げてくる。
絶対、君に似合うと思ったんだ。
おわり
お題:麦わら帽子
いつもは車やバイクで移動をする恋人たちは、電車で遊びに出掛けている。
だからこそなのか、彼女の瞳からわくわくしている期待感が青年には見えて、口角が上がった。
彼女の仕事上、車両に関わっているので普段の移動手段も車が多いから、青年はこの旅行の移動手段を電車を選んだ。
「どこまで行くんですか!?」
彼女には行き先を伝えていない。
だから、青年は人差し指を口元に寄せて、悪い笑みを彼女に送る。
「なーいしょ」
行先は終点。
彼女はワーカホリックなので会社から中々出ることがない。だから、この都市で知らないことが多い。
仕事のメンバーで行って楽しかった記憶のある場所に、どうしても彼女を連れていきたかった。
「楽しい旅行にしようね」
青年の言葉に振り返った彼女は満面の笑みで笑う。
「はい! たくさん思い出作りましょう!!」
おわり
お題:終点