おぎゃあ……おぎゃあ。
その日、一つの生命が生まれ。
一つの生命が尽きてしまった。
ぼくの最愛だった彼女は生まれつき身体が弱かった。なのに、身篭った際は絶対に産むと頑なになった。
医者共々最善の準備を尽くしたが、彼女は出産と同時、力果てるように安らかに、生命を引き取ったのだ。
産声を上げて、元気よく泣く赤ちゃん。
この子はぼくと彼女の愛の結晶なのだ。
ようやく落ち着いた頃、改めてその子とぼくは対面した。あまりにも小さなその手を優しく握った。
彼女と……いや、母さんと交わした約束なのだ。ぼくは立派な父さんとなって、この子を必ず幸せにすると。
「I love you」
文字通り命懸けで託したこの子に、
誰よりも深い愛を込めて。
極めて優しく、その言葉を囁いた。
太陽のような笑顔の眩しい女の子だった。
成績はダントツに良く、スポーツの才にも秀で、クラスの人気を博する美少女。度重なる告白を受け、しかしその想いを受け入れる事は無い。
正に難攻不落。高嶺の花とはこういう事だと理解した。
そして、今日。ぼくも放課後彼女を呼び出した。
「それで……伝えたい事って何かな?」
周りに人が居ないことを確認して。
開口一番───率直な感想を告げた。
「努力して得た地位や才能を天からの贈り物だと片付けられちゃうのは癪に障るよね」
「……!」
彼女は僅かに目を剥いた。
「だってそうでしょ。勉強しなきゃ成績は上がらない、練習しなきゃスポーツも上手くならない。生徒指導の先生にバレないようにメイクするのも大変だ。だからぼくは───」
そういう、隠れて努力する人を見ると。
「一人の人間として尊敬してる」
肩透かしにあったように、呆然とぼくの顔を見て、次の瞬間「ぷっ」と笑いを噴き出した。
「面白いね、君。そんな事言われたの初めて。うん、確かに天才とか可愛いとか安い感想の割に凄く努力してる。なんでか分かる?」
あまり考えた事無かったな。なんでだろう。
「私中学の頃虐められてたんだ。だから、そんな反抗心が抱かれないように努力して努力してやっと築いた地位なんだよ」
そうか……彼女にとってこの努力は生命線なんだ。
「そうだ。この後一緒にカフェでも行く?」
「遠慮しておく。クラスの男子に後ろから刺されそうだ」
「ありゃ、残念。私から誘うなんて滅多にないのに」
手をヒラヒラと振って彼女は去って行く。
あの太陽の輝きは、訳アリのようだ。
ぼくの彼女は、嫉妬深い。彼女の交際経験は0に対し、ぼくは一人だけ元カノがいた。
この時点で彼女との交際は0からのスタートではなく、元カノの面影を重ね、無意識のうちに比較し、ある時は思い出に浸ったりする。それをどうにかしたくて、彼女は嫉妬するのだ。
「元カノと連絡は絶対禁止だから。名前を出すのも禁止!」
人生において、0からというのは実は相当難しいのではなかろうか。以前の経験が必ず印象の邪魔をする。
子供の頃は全てが初めてに包まれて、世界が輝いて見えた。人生の半分が20代で終わるという所以もその辺りにあるのだろう。
きっと彼女の目には、ぼくとのお付き合いはぼくより一層輝いているに違いない。デートに行く時も、キスをする時もドキドキと、ずっと心を高鳴らせて。
この一生に一度しかない体験を大切にしてあげよう。
「分かったよ」と彼女のちょっぴり面倒で可愛らしい願いを聞き入れた。
好きだった女の子に振られた。
ぼくの恋は、呆気なく散ったのだ。
「あーあ、残念。アタシも頑張って協力したのに」
そう言って幼馴染はずかずかとぼくの家に入ってくる。ここ最近、ぼくが片思いしていた相手と付き合えるよう色々画策してくれていたのだ。かといって、いざ振られてショックで立ち直れない日にわざわざ会いに来る必要なんてないのに。
その辺は、ちょっと意地悪というか、彼女らしかった。
「残念会だ残念会~っ」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ」
「え、そうかな」
そうだよ。何なら最近で一番笑顔だよ。
そんなにぼくの不幸が嬉しいのか。
「でも、まぁあんたと色々作戦立てたりするの、楽しかったよ」
「玉砕しちゃったけどな。本当に助かったよ、ありがとう」
「……あのさ、女の子が善意で人の恋を手助けしたりすると思う?」
その瞬間、彼女の目が妖しく光った。気が付くとぼくはベッドに押し倒されていた。天井の光を遮るように、彼女はぼくの上へと乗っかって、片手がぼくの頬を優しく撫でる。
「女の子はね。同情すると見せかけて、人の獲物を横取りする狼なんだよ」
「ちょ……」
「相談に乗ってあげてたのも、あんたと一緒にいられるから。結局のところ、自分の利益優先で、計算高く行動してるってこと。覚えときなさい?」
男って単純だ。異性に好意を寄せられただけで、相手を凄く意識してしまう。
目の前の彼女は、既に幼馴染ではなくなった。
「今度はあんたを惚れさせる番よ」
耳元で囁く艶やかな声に、ぼくは既に夢中になっていた。
「枯葉はただ朽ちるだけではない。土に落ち、それが微生物に分解され養分と化し、新たな生命を生む。一見不要に見えて無くてはならぬ存在なのだ」
それは、と確固たる口調でぼくに言った。
「君も一緒だよ───少年」
先輩はそろそろ卒業だ。あの時、ぼくを救うあの言葉がなければ今頃こうして先輩を見送る事すら出来なかっただろう。いじめによって、不登校となり自室に引きこもるだけだったぼくを連れ出してくれた。
彼女が生徒会長だからでは無い。きっと彼女の本質が、ぼくを再び歩き出させてくれたのだ。
すっかり葉が落ちた寂しい木々。でも春になれば、秋に落とした枯葉のおかげで桜が満開に咲く。去り行く先輩の背中に、ぼくは"決意"を口にした。
「後は任せて下さい、先輩」
「ふっ……そうだな。頼んだよ、"次期生徒会長"」