愛くるしいきゅるきゅるとした瞳が
こちらを見つめている
「この子に名前を付けるとしたらレベッカだね」
「えっ飼うの?」
平日のペットコーナーはガラガラで、
私と彼女以外には檻に入れられた小動物が
退屈そうにこちらを見ているだけ
「うん。この子可愛くない?2人きりだと寂しいじゃん、ペットがいたら彩になるかなあって」
「ならないならない、何言ってんの」
人目がないことを良い事に
恋人らしくベッタリ私に張り付いた彼女が
ぶすくれた声を出す
「あなたには私がいるでしょ?犬なんかを可愛がるならその愛情も私に頂戴よ」
軽く頬をふくらませて、
上目遣いで腕にすりつく彼女のいじらしい事
まるで母の愛を独り占めしたい幼児のよう、
心の中でそう思い、
私は笑った
子供のままでいて頂戴
誰彼構わず嫉妬してぶすくれて
私の愛情を一心に欲しがって
そのままずっと隣にいてね
澄み渡る青空の下、
朝から干していた洗濯物はすっかり乾き切り
部屋いっぱいに日の匂いが溢れている
洗濯物を一つ一つまとめ、
少女らしさと色気を兼ね備えた
白いレースのショーツを2つにたたんだところで
その持ち主がまぶたを擦りながら姿を現した
「洗濯物まで、ありがとう」
「いいえ、居候の身分なんだからそれくらいやるよ」
「あなたってなんでも出来るのね、料理も掃除も」
彼女の視線がキッチンへと向く
良い匂いに誘われてきたのだろう
遅めのお昼はオムレツ、サラダ、フレンチトースト、デザートにはプリンを作ってみた
「逆できないことってあるの?」
私が食卓に食事を並べている横で問いかけられる
ライラックのテーブルに深緑色のイスは
彼女の白いシルクのパジャマによく似合う
デザイナーのこの人の日常は
私の拙い語彙では表しきれないほど鮮やかな色取りに満ちているのだ
「恋人ができない」
あはは、と乾いた笑いが響いた
「笑い事じゃないよ、私は真剣に悩んでるんだ
昔から刹那の恋人にはなれるけど、長い間を共にはしてくれない」
「綺麗すぎるのかも、あなたが横にいると遠慮しちゃう」
「それってどうすればいいのかな?」
「どうだろう、私も高嶺の花だけど貴方ほどじゃあない」
そう言うと
いきなり胸が寄せられ
唇が触れ合う
紅茶の香りが体の中に充満する
「あなたが立ってるだけでこういうことしたくなる、それくらい魅力的」
「それは光栄だな」
唇と唇の距離は僅か数ミリ、
口を動かすと何度か触れ合いその度に華やかな香りが弾ける
「でもずっとこうだったら大変。みんなわかるのよ、毎日毎日心を奪われていたら自分の手持ちがなくなっちゃう」
「じゃあ私が奪ったぶんの心をあげればいいんじゃないの」
そう呟くと
彼女は残酷にも首を振る
そんなことあなたには出来ないでしょ、
と諭されているようだった
私はあと何回この質の良いシルクの
パジャマに手を掛けられるのだろう
刹那の恋人へ、たった一時
何より熱く心を注ぐため
私は再度紅茶の香りを胸いっぱいに吸い込んだ
「ルール違反だよ」
この発言は
私らしくなかった
相手もそう思ったようで目をまあるくして
こちらを見ている
「こういうこと、しないって決めたでしょう」
咄嗟に放った私の言葉は震えていた
訴えると相手の澄んだ目が瞬く
私が動揺しているように
相手もまた動揺しているのかもしれない
こういう時平静を取り持ち、
リードするのが私の性であったのに
なぜか今それが出来ず
言葉にならない感情が私の喉につかえ、
窒息しそうになり本能的に短く息を吸った
浅い呼吸を続ける私に反し
彼女はみるみる冷静を取り戻していくが、
相手から握りしめられた手は離れることは無い
「こういうこと」をしない
それは私と彼女が定期的に会うにあたって
取り決めたルールだったはず
思えば、ルールなんて私らしくもない
隠し事は暴かれるためにあり
ルールはくぐり抜けるためにあるのだ
今までそう横暴に生きてきた罰があたったのか
ルールなしでは会えない相手を
好きになってしまった
彼女を無条件に愛してしまったから
私は彼女と共に不得意なルールも愛し、
この取り決めを頑なに守り続けて数年
ささやかに守り続けていた清らかな泉は
底なし沼だったのか
白魚のように滑らかに泳ぎ、
恋焦がれ続けてきた手は
暖かく泥のように私の手に吸い付いて離れようとしなかった
たとえ間違いだったとしても
私はあの夜を忘れない
細長くて陶器のような指が
グルーヴ感をもって蠢き
それに合わせて私の気持ちも高みへ登る
女の人でもなく
男の人でもない
ただ唯一のあの人の声は
流れるように蕩けるように甘く脳髄に響いて
退屈な私の人生に生きる喜びを実感させた
翌朝、
私は初めて
あの人が同性愛者であること、
そして形の良い頭にツムジがふたつある事を知ることになったが
正直そんな事は私にはどうでも良い事だった
しかしあの夜以来、
彼女は私を避けるようになった
すれ違う度に横目を使い
少し青みがかった白目を見ると
ああこの人にとって
私は間違いだったのかもしれないと思わされる
たとえ、
彼女にとっては一夜の間違いだったとしても
私の思いは一夜ならず、
干からびていた私の心を再燃させたことは
紛うことなき真実そのものであった
島の朝は早い
遠くから聞こえるエンジンの音で目が覚めると
冷たくて固い畳の上の置時計は早朝5時を示していた
ー
寝ぼけ眼をこすり台所へ向かうと
なぜか無性にコンビニの冷たいコーヒーが飲みたくなり
寝癖もそのまま
色の悪い素足につっかけをひっかけて
徒歩20分の島唯一のコンビニに向かう
手を伸ばせば触れられそうな位置にある青空
太陽は優しく私を照らす
鳥は近くで高らかに歌い
遠くからは波の音と潮の香りが漂っている
一歩そとに出ただけで自然に迎え入れられているようだ
眠気はすっかり吹き飛び
爽やかな気持ちでコーヒーへの道のりを歩む
ここに住み始めて早2年
都会から逃げてきたこの島だが住めば都で
この不便さも今や愛すべき日常の一つだ
一つだけ言うとすれば部屋の底冷えだけが未だに慣れないのだが
「いらっしゃあい、おはようさん」
夜勤明けのお婆さんの穏やかな声を聞きながら
私はアイスコーヒーのカップを手に取った
都会も、都会で遭った出来事からも逃げ
全てを捨ててここに来たが
どうしてもコンビニのアイスコーヒーの味だけは捨てられない
いつも通り
コーヒーマシンのボタンに指をかざした途端
「……先生」
東京からはるか遠く離れた楽園のような離島の
まもなく朝6時を迎えるコンビニエンスストア、
私の耳に聞こえたのは
かつて捨てたはずの全てだった
「先生、先生だ……やっぱり」
「どうして……」
私の頭の整理が着く前に
その子は小さな体をふるわせて私に突進してきた
思わず受け止め抱きしめる形になると
ふわり、と彼女の香りに
過去の記憶が呼び起こされる
次の瞬間
「やめなさい!」
私は彼女を咄嗟に突き放して一喝していた
ショックか驚きか彼女の
大きな目がさらに大きく見開かれる
幾度となく見つめ合い
食べてしまいたいくらいに愛おしく思えたその瞳
しかし私には許されない存在だった
「私はわざと貴方から離れたのに!
どうしてここにいるの!」
寝起きとは思えないほど
喉が開き、よく通る良い声がでた
以前、生徒に怖がられてた記憶が呼び起こされ
私は思わず首を振った
「幸せにしてよ!」
今度は私が目を見開く番だった
彼女は小さい体から声を振り絞って叫んでいた
「先生と2人で幸せになるために私も全部捨ててきたの!もう邪魔は何も無い、私だけ!私だけ幸せにしてよ!」
大きな目なら宝石のような涙がぼろぼろ流れる
かつて私の腕の中にあった懐かしい温もり
「……ごめん」
その日から私は部屋の底冷えをあまり感じなくなり、日常の全てを愛せるようになった