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3/25/2024, 3:58:38 PM


夜中の1時の沈黙を破ったのは不躾な電子音だった




表示を見て一瞬躊躇いつつも
次の瞬間に私の口は断りの言葉を言い放っていた

「嫌だ」

我ながら迷いのない良い声
さて、要件は済んだと耳からスマートフォンを離そうとすると
小さな端末が割れんばかりの悲鳴が画面の向こうから聞こえる

「ちょっと、なに?!」

反射で聞いて後悔した

「おねがいっ!!!
お願いお願い、お願いしますよ先生!!!」

「嫌だ」

「私が土下座してるのが見えない?鬼!」

「無駄に頭を下げるのはやめなさい、
日頃から頭を大事にしないからそう馬鹿なんだよ」

「馬鹿でもなんでもいいよ、
お願いだよ、もう一度私に文を書いてよ」

「やだ、アイドルのゴーストライターなんか二度としない。」

この女と話すと私は私の人生を後悔することになるから嫌なのだ、

私は趣味で小話を書いているただの会社員
この電話の相手は幼なじみ、
今や国民的アイドルとなった訳だが

「おねがい…あんたの書いた文をみんな待ってるんだよ…」

アイドルにも暗い時期はある
その人気に影がさした時、
今思えばなんの気の迷いか
私は彼女を題材にした小説を書いて送った
彼女を元気づける、ただそれだけのつもりだった
するとそれは今やベストセラー本になり、
数年たった今も本屋に並んでいる

そしてそれを皮切りに
彼女はただのアイドルから
国民的アイドルへと変貌した

しかしその1作のみで、
新たな作品が出ないことに世間は疑いの目を向け始めていたのだ

もともと人を題材に書くなんて好きじゃないのに
ひと時の気まぐれがこんなに後に引ずることになるとは

「お願い、私このままだとまた売れなくなるんだ。お金なら渡すよ、いくらがいいとかある?」

かつて一緒に泥団子を作り、
公園の草をむしりあった幼なじみが
どんどん遠くなる

私は目を細めて、
いつこの電話を切ろうか見定めていた

「ねえ、何でもする……本当に、だからもう一度、世間じゃなくて、私があんたの言葉が欲しいの」

声が湿度を帯びてくる

ああ、尊き縁よ
もう更新されることはないようだ
若き頃の宝物として奥底で眠っていておくれ

「じゃあ私と寝てくれるんならいいよ」

縁を腐らせて切るつもりだった一言のはずが

数ヶ月後、
彼女の熱愛報道が週刊誌にのった

「ゴーストライターとアイドル、
性別と身分を超えた純愛か!?」

下世話な見出しで始まる週刊誌の添削をする私の横で彼女が笑うのはまた別の話で……

3/24/2024, 1:54:53 PM


ところにより雨、という言葉を聞いて
こんな気持ちになるなんて思いもしませんでした

ニュースキャスターが言った一言でさえ
あなたの面影を感じるなんて


私のところは雨が降っていますが
あなたの「ところ」は雨が降っていますか?

もうあなたと同じところにいないということを
まざまざと分からされて苦しいです



ここまで書いてペンを止め
未練がましい呪いが綴られた紙を
ビリビリに破いて床に散らした


どうかあの人の「ところ」は土砂降りの雨に見舞われていますように
と心の中で思ったが、
貴方には傘を持ってきてくれる人がいるんだ、と
思い直し、
ひたすらに自分の愚かさに辟易した



3/8/2024, 11:45:26 AM


「お金より大事なものなんてないわよ、って
言ってやったの」


目の前の女は明後日の方向を
見つめながらそう言った

結婚2年目のハイスペックな夫からのプレゼントは
慰謝料付きの不倫からの離婚だったそうだ


「言葉に重みがありますね」

「あんなに愛してるって言ったくせに……
人の想いなんてペラッペラ
結局お金が1番信用できるわよね、
たんまり貰ってやったわ

あ、ここは私が持つから
もっとたくさん食べて頂戴」

目の前に運ばれてきたのは
プリンアラモード
ガトーショコラ
レアチーズケーキ
あんみつ
わらび餅

統一感のなく並べられたスイーツたちは
まるで彼女の心模様のようだ

「さすがに、こんなに食べられないです」

「だよね、ごめんなさい
ちょっと最近ヤケになってて」

目線が落ちたせいか目尻のシワが深くなる
ファミレスでヤケになるなんて
余程参ってるのだろう

私がどれから手をつけようか戸惑っていると
彼女はふとフォークでプリンをすくい、
私の口元へ運んできた

黙って口を開け、それを受け入れると
彼女はどこか寂しさが滲むほほ笑みを浮かべた

「ほんと、馬鹿な男と一緒にいたもんだわ」


「……あの、すごく言いにくいのですが
あと3分でお時間になります」

「あら、もうそんな時間?延長してもいい?」

「もちろんですが……どのくらいでしょうか?」

「このテーブルの上が綺麗になるまで」

彼女は悪戯そうににっこりと笑い、
そこから手際よく
フォークを私の口元へと運び続けた

私は黙って受け入れることしかできなかった

今、目の前にいる人を慰めるには
私の人生経験は未熟だったから
下手なことを言って傷をえぐりたくなかった


「本当にお金が1番大事だったら、
こんな気持ちになってないのにね」

ポツリ
と雨が降り始め、
女の目元が窓の外の街灯に反射して煌めく


こういう人の心にどうやって寄り添えばいいのか
今夜、マニュアルを見て
先輩に確認しておこうと思いながら
私はひたすら甘味を味わうことに徹した

3/5/2024, 1:45:45 PM


「ハルさんってすごく頼りになりますよね」

「この前私のクレーム引き受けてくれて」

「優しいし美人だし仕事もできる」



うちの課にはハルさんというスターがいる

才色兼備という言葉を人型にしたようだ
手足はスラリと長くて
腰の位置は高く スタイルは2次元みたい
小さい顔にマニッシュショートが
とびきり似合っているし、
声は鋭いのに柔らかくてよく通る
話しかけるとバラの花のように
気丈に穏やかに美麗に微笑んで
仕事だって普通の人の5倍はできるんじゃないか

きっと私とは住んでいる世界が違う
ずっとそう思ってた



のに、
そんなハルさんは
今、私の腕の中にいる



「……あれっ!?えっ!?ハルさん!!!?」

ぼんやりした熱っぽい意識の中
手元にある暖かな人肌を確かめるように
手を動かしたら
短い髪の毛がサラサラと指を滑って我に返る

うーん、と呻く音すら綺麗で人魚の囁きみたい

一方
雲の上の人が腕の中にいる事実に
私はひたすら言葉を失い、
汚い池に住まう鯉さながらパクパクしていた


「は、ハルさん!ハルさん?
なんで?私どうしたんだっけ……」

気がつくとここは自室だった
一人暮らしの私の部屋、
もともとの性格もあってそれなりに
整理整頓はしているが、
それよりなにより
美しい存在が若干1名
私、そして私の膝を枕にしてハルさんが寝ている


「えっ、これは一体
何がどうなって……ええ……!?」

RPGだったら住民Cくらいのモブ度合いの
私はとことん言葉が出ない

住民Cの膝の上に
勇者御一行の見目麗しいパラディンがいるなんて
これはバグに違いないはず


「もう、なに…じっとしててよ…」

もぞりと少し不機嫌そうに呻かれ、
びくりとしたのもつかの間
宝石みたいな目が私を捉えた

「たまには甘えたいの、ねえはやく撫でて」

紅色の唇が艷めく
いつものハルさんから香ったことのない
壮絶な色香に頭がクラクラして
私は無心で手を動かし
彼女の小さな頭を全身全霊で撫でた





気がつくと朝になっていて、
私の部屋にハルさんの姿はなく
重だるい住民Cの肉体と思考だけがあった


ただの夢か、と私は吐き気と共に
安堵の気持ちを持ちながら
いつもの様に会社の長い廊下を歩いていると



「おはよう」

「わあああっ!!!!」

「そんなに驚かないで、昨日はありがとう」


ハルさんがいつもと同じように
神様みたいな存在感でそこに立っていた

笑んだ時の目なんか月みたいに優雅で

一方、飽きずにまた鯉と化した私の耳に
華のような唇をよせ

「すごく幸せだった、また甘えさせて」




私はその日中、
この転生物のライトノベルの
タイトルはなんだろうと考え続けていたが
二日酔いの頭ではよいタイトルが思いつかなかった

とりあえずもう記憶が飛ぶまで
酒を飲むのはやめようと誓った

3/5/2024, 6:40:49 AM


「結婚おめでとう」

耳元から暖かい香りが漂ってくるようだった

いつもの彼女の匂い
ホワイトリリー、ジャスミン、ピーチ
切ったばかりのイチゴの匂い
卵を炒めた時の新鮮な空気
温もり溢れる夕ご飯の香り


今や最愛の人にだけ捧げられる彼女の尊い全てを思い、気づくと私は目を閉じていた

「どうもありがとう」

幸せに満ちた軽やかで豊かで弾むような声
私が1番聞きたくて、

一生聞きたくなかった声


「それで、住所って今も変わってない?」

「…ごめん、変わっちゃった」


「そうなの?今どこに住んでるの?数年会ってないものね、式じゃなくて時間あったら今度ご飯食べに行かない?」

「そんなのいいよ、
新婚なんだから旦那さんとの時間を大事にしな」

「なあにそれ、
私はいつでも空いてるから、好きな時に連絡して」


そう言われて私の心臓はズキリと傷む
待ち望んでいたはずの優しい言葉のはずが
あまりにも来るのが遅すぎた
時を得て今、私を突き刺す釘と化してしまった


「いいよ、本当に、忙しいから」

「また?あなたはいつも生き急いでる、そんなに焦らなくたっていいのよ」


グサグサグサグサ
あまりの痛さに思わず心臓を抑えた

最も喜ばしくて最も望ましくない幸福を目にして
正気でいられる自信がない私の脳は、
暗闇の目の奥で ある情景を映し出した



「あ……そう、私さ海外に行くんだ、だから会えないよ、式にも多分、ごめん」

「海外?そんなに遠く?どのくらいの期間?」


口からでまかせを言うのは慣れっこだった
考えるより早く口が滑るように動く
「ん〜北欧の方に、
期間は決めてない、居られるだけいようと思って」

「またそんな無鉄砲に……」

「私の得意技、だからごめんね」

「じゃあ手紙を書いて」

「は?」


「だって、なんだか不安なんだもの、
昔からそうだったけど、こうして話している間もあなた、なんだかこの世にいないみたい」

「だからって、手紙を?」

「うん、北欧、あなたは何回も行ってるでしょうけど、私は行ったことがないのよ」



しまった、嘘も百回言えば真実となる、
これが百回目だったろうか




「あ、ごめんなさい、あの人が呼んでる、
じゃあ、待ってるね。あなたの手紙を」


私を辛い現実に呼び戻したのは
遠くから響く聞きなれない太い声


ブツリ、
ツーツー…ツーツー………
無情に響く定期的な音に合わせて
私の心臓は動いていた

「大好きな君へ」

手紙のタイトルはそうしよう


そう心に決めたはずなのに
北欧の大地に1歩踏み入れた途端に
その度胸は消え失せてしまい、

洒落た雑貨屋で見つけた
ノルディックモチーフの便箋に
世間並みの祝いの言葉と
くだらない土産話を書き連ねて
異国の凍えるポストに手放した


この世界にとっても
貴方にとっても
私はただの小さい小さい女、
ただそれだけの存在に過ぎないのだ

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