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2/3/2024, 6:05:22 AM

「どうしたの、この花」

見慣れた部屋の中
部屋の隅っこから新鮮な気配を感じたと思えば、
そこには春らしい小さなブーケが飾ってあった

「特に何も無いけれどお花屋さんの前を通って、
素敵だなと思ったから」

「確かに素敵だね。どうもありがとう」

切り花は好きだ
人工的に摘み取られて
もう時期途絶える命だからこそ
咲いている間の美しさは他に類を見ないと思う

近づいてその春の空気を観察すると、
ガーベラ、すずらん、フリージア、
色とりどりの花々の中にひっそりと息づいた
懐かしい気配に気がついてしまった

「この水色の、小ぶりな花、可愛いよね
名前なんて言うんだろう」

「……なんだっけ、忘れちゃった」

「お花屋さんが教えてくれたはずなんだけど、
なんだっけ、花言葉がちょっとロマンチックなやつ」

私は黙ってその花を見つめていた
今を見つめながら同時に自分の過去も見つめていた

そして記憶の中の彼女に
こんな事をしなくてもあなたを忘れることは無いよと優しく告げてみたが、
その後の数週間ずっと
勿忘草だけが枯れることを忘れたように咲き乱れていた

1/16/2024, 1:50:28 PM

「1人ですか?」

女の瞳が私を映したが、
どうも目が合っている気がせず
居心地の悪さを覚えた

「1人ですよォ」
返ってきた予想通りの甘ったるい声に
思わず微笑むと
「お姉さんもひとりィ?」

独りだよ
そう答えると、
彼女の不自然な色の瞳が悪戯に輝き始めた気がした







「帰っちゃうのォ?」

「すごく可愛かった、どうもありがとうね」

ベッドの上で一糸まとわぬ姿の彼女の
寂しげな視線をくぐり抜けて
玄関を出ると
いつもの日常の上に
青々とした空が広がっていた

眩しくて一瞬目がくらむ
思わずUターンしたくなったが
もう不自然極まりないグレーのカラコンと
目を合わせたくなかったから
諦めて
光の下を歩くことにした

しかし
こういう真っ当な美しさを魅せられると
私はいつも思い出したくないことを
思い出してしまう

私が喉から手が出るほど欲してやまなかった
あの人のこと
毎秒毎秒、この世でいちばん尊くて清らかな
あの雰囲気は今どこにあるのだろう

混じり気のない
あの美しい瞳は私を選んではくれなかった

清々しい空に反し、
鬱々たる気持ちを抱えながら
沈み込みそうなほどに重く暗い1歩を踏みしめた

11/28/2023, 2:44:53 PM

「終わりにしようか」

私が放った言葉は彼女の耳に届いただろうか
おそらく、届いていないが
それで良い

奏でられているような波の音が響く海岸
水平線は幻のように美しく揺らめき
波は光を反射し宝石のように輝く

我が愛しき人は
その絵画のような景色の中、
女神のごとく佇んでいた

ふと彼女が振り向くと
その横顔から後光がさす
不意に目がくらみ私は顔をおおった

その時、私の耳に届いた言葉は
おそらく私の勝手な願望、白昼夢だろう

少しだけ俯いたあと、
手をおろすと、
彼女が駆け寄ってくる

形の良い唇が勢いよく
私の耳元によったかと思えば
「さっきの聞こえた?」

「ううん、なんの話しだった?夜ご飯の話?」
「違うよ、ちゃんと聞いていて」

彼女が小さく息を吸う

ああ、本当にずるい女だ
私の最愛の人、唯一の女神
この人の最愛は私では無いのに
私を離そうとしてくれない傲慢さよ

「終わらせないで、そばにいて」

彼女の目は澄んで煌めいている
私からの愛情と、
他からの愛情をたっぷり受け取って

「あなたが、
私だけのものになってくれるなら」
そう言うと彼女は目を大きく見開き、
私を黙って見つめた
永遠かのように思われるほどに
長く、尊いその時間は、
機械的なコール音により断ち切られた


その日の夜、
私はあんなに綺麗だった波の音も
夢のような空気感も全て思い出せないまま
不愉快なあのコール音だけを
耳の奥に響かせながら布団を被った

11/4/2023, 11:11:22 PM

哀愁をそそる背中

失礼だが、
ふと
そう思ってしまった

まだ30になって間もない
彼女の後ろ姿を見て
哀愁を感じたのは
既に軽く丸まった小さな背中が
この先さらに丸まっていくのだろうと感じたからだ

しかしどうしてそんな未来のことを察するのか

彼女が振り向いて私を映す
その目が三日月のように弧を描くと
訳を理解する

私がこの先も彼女の隣にいる未来を見据えているから

今夜帰宅したら肩甲骨はがしでもしてあげよう
私とあなたの将来が、
末永く
背骨のように緩やかに優しく伸びゆくことを祈り

私はその笑顔に応えるようにして近づき
その背中に手を添えた

10/7/2023, 1:37:06 AM

ガラスのような色をした目の玉から
涙がはらはらとこぼれ落ちている
いつも卵の殻のように不自然に白かった肌は
一皮むけたかのように
紅色に染まっていた



「運が悪かったね
あなたみたいな可愛くて若い子が気に入らない意地の悪いババアはどこにでもいる、あなたは悪くないよ」

私が差し出したホットココアを
ありがとうございます、と
潰れたハムスターのような声で受け取ると
両手で包み込んで、すすり始める

新卒で入社してきた
この一際若いギャル風の女の子は、
初日髪色で怒られるわ
ネイルで注意されるわ、
カラコンの色はすごいわで
職場でかなり悪目立ちしていた
そのせいもあってか
御局様に目をつけられ、
随分こっぴどく、
自尊心を傷つけるようなことを
言われたらしくこの様だ

下手に歳をとると、
人を傷つけることばかり得意になるんだな、と
会社の年増たちを見ていつも思う



「でも職場のルールはある程度守らないとね
お客さんも、一緒に働く私たちも、
気持ちよく働くためのものなんだから」

「でも可愛くないと嫌で」

「ん?」

「先輩、なんで髪の色は派手じゃダメなんですか?なんでネイルも短くなきゃダメなの?カラコンだってブルーでもいいじゃん、誰に迷惑かけてるの?」

瞬間、わっと小さな火山が噴火したかのように声を荒らげると、
すぐにすみません…と自ら萎んでいった

「わたし、可愛くないとやる気出ないんです、だから可愛くしたいのに……なんでダメなの、先輩は思ったことないんですか?」

まだまだ大人になりたての幼い視線が私を刺す
黒髪、薄化粧、短いネイル、平凡なオフィスカジュアル
この若い娘の目には
私は相当退屈な大人に写っているだろう


私の口角は懐かしさ故か少し上がっていた

「あったよ、私も昔、可愛くなりたくて可愛くなりたくて髪をピンクにして付け爪をつけて、紫のカラコンをつけてフリフリのお洋服を着てた」
あなたなんかよりよっぽど凄かったんだから、と
付け足すと少女の眼が輝いた
写真を見せると
彼女から小さな悲鳴が上がる

「すごーぃすごい!!可愛い!先輩ですかこれ!?」

「あはは、我ながらねえ」

「でも、なんで辞めちゃったんですか……?」

「……なんでだろうね、気づいたからかな。もちろん見た目は大事、それはそう。でもそれと同じくらい中身も大事、ほら星の王子さまだって大切なものはなんとやら〜言ってるじゃない?あと1番は歳だな!似合わなくなった!この歳であれは着れないでしょ!」

かっこいいことを言おうとして言えなかったので年で誤魔化すと、彼女は食いかかるようにかぶせてきた

「そんなことないです、人はいつだって自分の好きなように生きていい」

ふいに目の奥がツンとした
ああ若人よ、
どうか挫けず折れず
周りにどう言われようが
この先思うように生き、
存分に限りある人生を楽しんで欲しい
心の底から思った

私にも全く同じことを思っていた
若い頃があったはずなのに
気づけば、
色んなものに揉まれてつまらない大人になってしまった
板ずりされたオクラみたいだ

後を引く涙を止めてやろうと私は
もう一本ホットコーヒーを奢ってやった

私は、つまらないなりに若い人を応援しよう、
それは私が置いてきた若い頃の私の意思を救うことにもきっと繋がる
午後休憩を2分オーバーして過ぎた日を想うのであった

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