まさに太陽のような人だ
まさかこの私が、
太陽のようだという比喩を
異性に使うことになるとは夢にも思わなかった
異性は私にとって脅威であり、
暴力的で、だらしなく、
救いようのないものの象徴だった
つまり太陽から最もかけ離れていた存在、
どろどろの暗闇
でもお前は、
お前だけはそのイメージにまるで当てはまらなかった
頼れる父のような背中で周囲を率いたかと思えば
母のような寛容さで人の心を優しく包み込む
いつだって子供のように無邪気な愛想を振りまいて
兄弟のような距離で多くのことを語り合おうとする
暖かく、明るく、周囲を照らす大きな太陽
そんなふうに全てを兼ね備えたお前が
私を好きだと言った時
これほど神を恨んだことはない
もっとはやく、
私がひねくれる前にお前に出会っていたら
お前が私の父だったら、母だったら、兄だったら
しかしどうしたって
お前は私が忌み嫌う異性であった
そう伝えた時ですら、かの光は健在で
むしろ眩しいくらいに笑って見せた
困らせてしまってごめんと、
私は熱さと悔しさで
目を細める他どうしようも無かった
この私の、中途半端でどうしようもない性根まで
その光で焼き切って欲しいと願って止まないのだ
雨の日に買い物なんて行くものではない
食料品と生活必需品を買いに行っただけなのに
ウザったい雨のせいでほとほと疲れてしまった
田舎らしいマナーが欠けた人混みと雨にうんざりした私と母は、早々に戦を切り上げて帰宅し、
戦利品らを机に並べ、
片っ端から収納している最中である
ー
「これ、安かったよね」
母が指さしたのは
コンビニにもスーパーにも
どこにでも置いてある相場100円の菓子パン
それが今日は90円で売り出されていた、
まあ確かに安いが、
私はもっと安く売り出されている所を知っているから共感できなかった
都内の競争が激しいところだと、
最安50円の時だってある
そう言おうとして口を噤んだ
母は知らないのだ、
その景色を、その世界を
ー
私は久しぶりに実家がある田舎へと帰省していて
母の顔を見たのは数年ぶりだった
私の頭の中では若いままの母親だったが、
実際会ってみると、
体は一回り小さくなっていて、
幼い頃から変わらない香水とタバコの匂いに紛れて
少しだけ湿布の匂いがした
たまに出る空咳が私の不安を煽る
別に、
私が都内の方が安いよ、と言ったところで
母はああ、そうなんだ、いいね東京は、
と何の気ない返事をして、特段何も思わないだろう
それでもその言葉が出ず、
スムーズな会話の流れを止めてしまったのは
こちらの問題だ
母はこの地を出たことの無い人だった
生まれてからずっとこの地に根を張り、
この地が好きでもあり嫌いでもあるようで、
ときたま遠くを羨みはするけども、
行動には移さない人だった
そんな母とは正反対に
私は成人を迎える前にこの地を出た
外の世界の広さに孤独と感動を覚えた私は
真っ先にそれを母に伝えたいと思った
こんな田舎よりももっと広い世界があるのだと
楽しいけれど危なくて、
でもそれは自分が気をつければいい話で
スーパーもコンビニも近く、
より住みやすい土地があるのだと
でも言えなかった
そう伝えたところで
半世紀に渡り、
ビクともしなかった母の足腰はブレないだろうし、
なにより
認めたくなかったし知りたくなかったからだ
私が、
母の腹から生まれた私の方が
この世界を広さを知ってしまっていること
私がもう完全に大人であること
そして母はもう
この世界の広さを知るには遅すぎるということ
私は買ってきた絹豆腐を冷蔵庫の3段目に入れた
冷蔵庫の2段目には初めて見る薬が
私を品定めするように見つめていた
返事をしない私を不思議に思ったのか、
母が私の名をよぶ
私はゆっくりと冷蔵庫の扉を閉め、
母の顔を見ずに大きく頷いた
カメラを向けられて、
スマイルスマイル!などと呼びかけられても
微笑んだことなど1度もなかった
それどころか、
無理に作った笑顔を残したところでなにになる、
このカメラマンだって、さして見たくもない他人のスマイルを要求させられて可哀想に、と
心の中で一蹴して
むしろ口をへの字に曲げるのが私の得意技だったはず
「ほら、スマイルだよ!」
そう呼びかけるあなたの声が
あまりにも楽しそうで
思わず笑みがこぼれる
私と目が合うとあなたは大きな目を三日月型に歪めて
私以上にとびきりのスマイルを作って見せた
「すっごくいい笑顔、見て見て!」
なるほど悪くない、
彼女が撮った私の笑顔は、確かに良かった。
私はこういう風に笑う人間だったのだと感心すると共に、昔あのカメラマンが求めていたものをこの歳になってようやく表現することになるとはという複雑な気持ちに浸っていると、
「ねえ、次は私のこと撮ってよ!」
彼女は押し付けるように私の手にカメラを預け、
背を向けて、
私が先程まで居たフォトスポットへと走って行く
私が名前を呼ぶと、
彼女がくるっとこちらを振り向いた
その時、私の瞳は
世界で1番美しいスマイルを記憶したのであった
時計の針みたいだねと言われたことがある
決してブレずに、
同じ動きのまま
一定の幅を保って歩み続ける
でもふと目をやると
止まっているように見えて不安になるし、
その歩みが止まる時は
あまりにも唐突で
しかも絶望的な停滞なのだと
だから目が離せない、と
真面目だけが取り柄であった私の人生の中で
そんな口説き方をする人間は後にも先にも
あの人、1人だけだろう
そして肩身離すことのない腕時計のように
私のことを安定なる愛で包んでくれたのも
あの人だけだった
若い私はそのことに気づかなかった
完全に失ってから、
全てに気づいてしまった
今や
私の時計の針は、
動かないどころか
その指針を無くし、
ただ寂れた文字盤だけが
絶望的な静けさをまとっている
溢れる気持ちとはこういうことか、と
あなたの驚愕した表情を眺めて私は思った
もう何年も前のことなのに
あの時のあなたの瞳の潤みを、
未だ手の届く距離に思い出すことが出来る
もう二度と
そんな距離にあなたがいることは無いのに
無意識に私の口からこぼれた言葉は
あなたと私の間に
一生涯消えない隔たりを作ってしまった
あなたに対する沢山の想いの中で
どうしてあの気持ちだけが溢れてしまったのか
私は未だに分からない
幾度の後悔を重ねて、
私は全てを諦めることにした
自分の背丈より高い向日葵に見下ろされて
この世の全てを愛していた幼少期を遠く見つめるような気持ちで、
あなたとの煌めくような日々を
大切に内にしまって
墓場まで持っていくと決めたのに
あなたはあの時の姿のまま、
また私の前に現れた
私は
あなたの目が三日月のように歪むのを見ながら
溢れる気持ちとはこういうことか、と思った