—初キス—
家族でドラマや映画を見ている時、キスシーンが出てくると、少し恥ずかしい気持ちになった。
たとえそれが感動するシーンであったとしても、なんとなく目を逸らしてしまっていた。
「今日はいっぱいおいしいもの食べたね」
夕焼けの砂浜。隣で彼女が言う。
今日はデートにきていた。
彼女と付き合ってから、二回目のデート。
「そうだね。特にあの店のソフトクリーム、おいしかったなぁ」
波の音が聞こえてくる。
ひいてはおしてを繰り返し、ザザァと気持ちの良い音を奏でている。
「夕日、きれいだね……」
「うん……」
二人で腰を下ろし、手を繋いで見ていた。
そのはずなのに、気づけば自然とお互いに顔を見合わせていた。
彼女が微笑む。
僕の心臓は、波の音が聞こえなくなるくらいに、激しく音を立てていた。
瞼を閉じ、ゆっくりと顔を近づける。
彼女の甘い香りを、すぐそばで感じた。
僅かな沈黙の後、僕らは唇を離した。
「暑くなっちゃった」と彼女は言った。手をうちわ代わりにパタパタとあおいでいる。
「僕も」
まだ、心臓の音が鳴り止まない。
あんなに目を逸らしていた自分が、今はこの時間を、ずっと覚えていたいと思っている。
それが『恋』なのだと思った。
お題:Kiss
—千年の時を超えて語り継がれる物語—
「君が待っているなら、帰ってくる」
彼は、こちらに背を向けて言った。
ここから遠く離れた『いなば』で働くことになった彼を、今とめなければ、離れ離れになってしまう。
だが、私は何も言えなかった。
いや、何も言えるはずがなかった。
戸を引き、彼は出ていった。
『いなば』は、思っているよりも、ずっと遠い。
もう二度と会えないかもしれない。
それでも私は、止めなかった。
私が彼の人生を縛ることはできないのだ。
数日経ち、風を便りに彼の歌が耳に届いた。
『たち別れ
いなばの山の
峰に生ふる
まつとし聞かば
今帰り来む』
外に生えている松の木を見た。
あの木のように、私は同じ場所にとどまり続けるのみ。
それが『待つ』ということだ。
だから、私はここにいる。
彼が帰ってくる、その日を信じて。
お題:1000年先も
—名のない記憶—
外の景色をぼんやり眺めていると、誰かがノックした。白い戸を引いて、女性が入ってきた。
色白の肌に、体の線が細い人だ。今日は珍しく、長い黒髪を後ろで一つに束ねている。
「こんにちは」と女性は言った。
「こんにちは」と俺も返した。
彼女は、ほぼ毎日この病室にやってくる。だが、この女性が何者なのかはほとんど知らない。
彼女は、ベッドの隣にある、丸椅子に腰を下ろした。
「今日は、学校はないんですか?」
毎回色々と話していくうちに、彼女は近くの高校に通っているということを知った。
「今日からテスト期間に入ったから、早く学校が終わるんだ」
彼女は穏やかに微笑んだ。
「それなら、ここにいる場合じゃないんじゃないですか?」
「別にいいの。——そうだ。今日はりんごを持ってきたんだ。剥いてあげる」
そう言って立ち上がると、長い髪が舞った。
俺は、髪を留めているゴムに目がいった。
「その花……」
「え?」
青い花弁に、黄色い瞳がこちらを見ているような花。
「昔、家の近くにその花がたくさん咲いている場所があったんです」
「……」
「友達と一緒に何回も、その花を摘みに行ったのを思い出しました」
「……仲の良い友達だったのね」
「さぁ……。もしかしたら、そうだったかもしれません」
「それも、思い出せると良いね」
彼女は最後にそう言うと、包丁で黙々とリンゴを剥き始めた。
あの花の名前は何だったっけ——。
思い出そうとしても、それすらも、俺は思い出せなかった。
お題:勿忘草(わすれなぐさ)
—晴れの方角—
「『靴飛ばし』しようよ」と彼女が言った。
「いいよ」
それは、ブランコに乗ってどちらが遠くまで靴を飛ばせるか、というゲームだ。
昔、俺たちが大好きな遊びだった。
「じゃあ、まずは私からね」
彼女は大きく勢いをつけて、ブランコを漕ぎ始める。あっという間に、それが描く弧は大きくなった。
「えいっ」
オレンジ色のサンダルが遠くまで飛んでいった。彼女は片足でそれを追いかけた。
「次、あなたの番よ」
彼女は振り返り、こっちを見て言った。
「うん」
俺も負けないように、力を入れて漕いだ。
風を正面から強く浴びて気持ちいい。
この公園まで足を運んできた『嫌な理由』も忘れられるようだった。
「とりゃあ」
「すごっ!」
黒い革靴が宙を舞った。
彼女のよりも、自分が子供の時よりも、ずっと遠い場所に着地した。
「私の負けかぁ。やっぱり強いなぁ」
俺はしばらくブランコに揺れていた。
懐かしい思い出に、胸が温かくなっていた。
「俺さ……」と呟いた。
「うん」
「『新しい場所』で頑張ってみようかな」
「それがいいよ」彼女は静かな声で言った。
俺は片足で立ち上がり、よれたスーツを着直した。靴の方までジャンプしながら進んだ。
「でも、また辛くなったら戻ってきなよ」
「わかった」
革靴の向きは『晴れ』だった。
俺は、足を入れて靴紐をきつく結んだ。
お題:ブランコ
—山頂の証明—
今日は山登りに来ていた。
頑健な登山服に身を包み、妻と二人で。
そして、長い旅路の果てに、私たちは山頂に辿りついた。
「わぁ……」
彼女は目を輝かせた。隣で私も息を呑んだ。
私たちは、雲の上にいた。
やや赤み掛かった靄の上には、幾つか輝く星が見える。
何よりも、肌で感じる空気が澄んでいて、心地いい。
「子供たちに自慢できるね」
彼女はにっこりとして言った。
私は高校で数学の教師をしている。妻はそのことを言っているのだ。
「あぁ」
私たちは手を握り合った。
「もう少し、ここにいたいな」妻が言った。
険しい道のりを歩き切ったこと。痛みや疲労に耐えてきたこと。二人で切磋琢磨しながらここまで来れたこと。
様々な要因が密接に絡め合い、ここからの景色は、より輝いてみえる。
それは、答えに至る過程の全てが意味を持つ、証明問題のようだった。
お題:旅路の果てに