—スタートライン—
クラスの中心には、いつも彼がいる。
彼は、ボクシングをやっているせいか、がっしりとした体つきだ。
だけど、不思議と恐怖は感じない。彼の話し方のおかげだろう。むしろ、柔らかい。
体が丸い僕には、あんな風に人の中心に立つ姿が眩しかった。
太りやすい体質の僕は、彼に憧れていた。
ある日の放課後——。
「おい。金出せ」
僕はカツアゲにあった。
髪を明るく染めあげた、ヤンキーたちのターゲットになってしまった。
「い、いや、お金なんて、持ってない……」
「あぁ? ジャンプしてみろよ」
「え……?」
逆らえず、僕はジャンプした。
ポケットからチャリン、と小銭の音がした。
「持ってんじゃねぇか。早く出せよ」
逃げ場はない。震える手で、ポケットから財布を取り出そうとした時だった。
「山田くん、その人たちは友達?」
クラスの中心にいる彼は、颯爽と現れた。
「なんだ? お前」とヤンキーはねめつける。彼は臆することなく、僕をみた。
「友達、じゃなさそうだね。山田くんから離れてくれないか」
その一言で空気が張り詰めた。
ヤンキーたちは彼に飛びかかる。
けれど、彼は相手の攻撃を華麗に交わし、ストレートを決め込んだ。
あんなに怖かったヤンキーたちが、尻尾を巻いて逃げていった。
「す、すごい……」
僕は思わず感嘆の声を上げた。
「怪我はないかい?」
その時の彼は、正義のヒーローだった。
「羨ましいよ。どう生きたら、君みたいになれるんだい?」
気づけば、本音が溢れていた。
羨ましくて悔しくて、自分が惨めで、涙が溢れてきた。
「俺だって、昔からこんな強かったんじゃないよ」
彼はスマホをいじった。
「ほら、みろよ。これ、俺の中学の時の写真なんだけど」
涙を拭い、顔をあげると、そこにはまるで僕のように丸い顔があった。
「ボクシングを始めてから、俺は変わったんだ」
「本当に? これが君なのかい?」
「あぁ、そうだよ」
彼はゴツゴツとした手を差し出した。
「そうだ。山田くん、俺と一緒にボクシングを始めないか」
僕は一瞬ためらって、ゆっくりとその手を握った。
彼のようになりたい、と僕は思った。
ないものだけを羨むだけの自分は、もう終わりにしたい——。
これは、僕の新しい人生の始まりだった。
お題:ないものねだり
—影の救い—
好きな人にフラれた。
学生時代から、ずっと想っていた人だった。
最近偶然再会できたから、もしかしたらこれは『運命』なのかな、なんて期待したけれど、舞い上がっていたのは私だけだった。
「なんでよ……」
彼の元から逃げるようにしてここまできた。
ここは、私のお気に入りの場所。
何か辛いことがあった時は、いつもここで気を落ち着かせる。
「失恋したのか」
男が近づいてきた。私の幼馴染だった。
「うるさい……!」
「だからあいつはやめとけって言ったんだ」
彼はどんどん近づいてくる。
「来ないで……」
私はそう言っているのに、彼は止まらない。
「姉上が昔に言っていたんだ。女性は弱った時が攻めどきだって」
彼は、私の目の前でしゃがみこんだ。
「この時をずっと待ってた。俺は性格が悪いんだ。君は知らなかっただろうけど」
ハンカチをすっと差し出してきた。
「俺は、十年以上も隠してたんだ。今だけは許してくれ」
私はぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
彼の穏やかな笑みが、涙で滲んでみえる。
私はそれを受け取って、溢れ出てくる涙を拭った。
彼のことなんて好きじゃないのに、安心してしまう自分がいた。
お題:好きじゃないのに
—雨の場所—
『今日は会社に泊まる』
『わかりました。無理しないでくださいね』
夫からのメッセージ。
最近、夫が家に帰ってくることが少なくなった。理由は大体想像がつく。
でも、あまり考えたくはない。
スマホが震える。電話がかかってきた。
『もしもし。今晩はどうですか?』
「……はい。空いてます」
『すぐに向かいます』
ツーツーと電話が切れる音がした。
もう私たちは、戻れない。
昔は愛し合っていたはずだったのに、いつの間にか距離が離れすぎてしまった。
チャイムが鳴った。私は玄関を開けた。
「会いたかった」
彼は私を抱きしめた。
その温もりがあたたかい。
「……どうぞ」
「はい」
夫に対して罪悪感を感じながら、同時に感謝もしていた。
目の前にいる彼との関係は、もう切れない。
いや、切りたくない。
「愛してる」
「私もよ」
私たちは寝室へ向かった。
私の乾いた心に、彼は愛を注いでくれる。
それはまるで恵の雨のように、私の奥深くを優しく潤してくれる。
窓の外では、静かに雨が降り始めていた。
『ところにより雨』——その『ところ』に、私はいるのだ。
お題:ところにより雨
—嘘しか話せない王子様—
ある国の王子様は、魔王に呪いをかけられてしまった。
「先代の王への復讐だ。お前に真実を話せなくなる呪いをかけてやろう」
魔王は、魔法をかけると不気味に微笑んでその場を去っていった。
その時、王子様はベビーベッドの中で、きゃっきゃと嬉しそうに笑っていた。
——
それから五年が経った。
「飯がまずい。なぜ、こんなものが作れる」
「すみません! すぐに作り直して参ります!」
油断するといつもこうなる。
本当の気持ちを伝えられないことに、王子様は困っていた。
「お待たせしました!」
「……」
王子様は黙って食事をした。
「本当にえらそうで嫌い」「傲慢すぎるわ」などと陰口を言われる始末。
この呪いのせいで、家族からも敬遠されていた。王子様はひとりぼっちだった。
「ねぇ、王子様。何をしてるの?」
川辺で魚を眺めていると、少女が話しかけてきた。
「……」
「一緒に遊ぼうよ!」
「嫌だ!」
王子様の本音が、ぽろっと漏れた。
「……王子様って、いつも嘘つきだよね。だって、全然嫌そうじゃないもん」
「本当に嫌なんだ。はやくどこかにいってしまえ」
「うん。わかったよ」
少女は、王子様の唯一の理解者だった。
「じゃあ、あっちでおままごとしようよ」
「いいよ」
「えっ……、じゃあ、虫探しは?」
「……したくない」
少女はにっこり微笑んだ。
王子様の手をとり、駆け出した。
「はやくしないと日が暮れちゃうよ!」
「いいよ、もうはやく帰りたい!」
王子様は心から笑っていた。
少女は振り返って言った。
「うん! いっぱい遊ぼうね!」
お題:特別な存在
—誕生日サプライズ—
今日は、彼女の誕生日だ。
だから、俺はサプライズをすることにした。
準備は、彼女が仕事から帰ってくる十九時までに終わらせなくてはならない。
職場を早く抜けてきたつもりだったが、あと三十分しかない。
「よしっ! 飾り付けはオッケーだ」
壁に風船や、折り紙で作った輪飾をテープで貼りつけた。
「次は料理を並べないとな」
帰りにスーパーで買った少しお高めなサラダやローストビーフ、寿司等を皿に盛り付ける。
残り十分。
プレゼントは用意できている。ラッピングしたそれをそばに置いている。
ケーキは冷蔵庫だ。
俺は彼女が帰ってくるまで、大きな段ボールの中にクラッカーを持って身を潜めた。
ここから出て、彼女をびっくりさせてやるのだ。
——
今日は私の誕生日。
腕時計をみた。午後七時。
実は、彼が私にサプライズを仕掛けてくれることには事前に気づいている。
ベッドの下にたくさんの飾り付けがみえたから。それに朝から彼の様子がいつもと違っていたからだ。
鍵を回す。
「ただいまー」
私は何も知らないふりをして家に入った。
リビングにつながる透明なドアから、中の様子がみえた。中央に明らかに大きな段ボールが置いてある。
(バレバレだよ!)
大人一人が入れる大きさだった。
小さく咳払いをして、表情を固めた。
「ただいま」ともう一度言った。
「誕生日おめでとう!」
彼が勢いよく飛び出してきて、クラッカーを鳴らした。私は驚いたふりをしておく。
「うわっ、びっくりした!」
「えへへ、でしょ。誕生日おめでとう」
彼は、頭の後ろを掻いて笑った。
「はい、いつもありがとう」
彼はそう言ってプレゼントをくれた。
私がずっと前から欲しいと言っていた、ヘアブラシだった。
「嬉しい。ありがとう!」
今夜の誕生日パーティーは、とても素敵な会になった。
バカみたいに笑い合って、最高の思い出になった。
お題:バカみたい