初心者太郎

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11/21/2025, 7:40:00 AM

—なりたい自分に—

私は「世の中に真実を伝えたい」という想いを持って、記者になった。悪事を暴き、弱い人の味方になる。そんな記者になれると信じていた。

だが、現実はそううまくはいかない。
朝から晩まで、ひたすら足で情報を稼ぐので体力との戦いだし、運が悪ければ何も手に入らず一日が終わることもある。休日、いきなり電話で呼び出されることもある。

兎にも角にも、大変な仕事なのだ。
この仕事に五年勤めて、私はスポーツ部に配属された。

「大変苦しい時期があったと伺いました」

相槌を打ちながら、プロサッカー選手の山中は聞いている。
彼にはブランクがあった。ケガの影響だったらしい。

「どうやって乗り切ったのでしょうか」
「ええ、確かに苦しい時期が長く続きました」

彼は淡々と語る。

「でもやっぱり、諦めない気持ちがあったから、乗り越えられたんだと思います。根性論になってしまうんですが」

彼は笑って言った。

「最後に、未来のサッカー選手達に、一言お願いします」
「いつも応援ありがとうございます。これまで試合に出れなかった期間を取り戻し、結果で見せます。これからも楽しみに見ていてください」

カメラはないが、山中はぺこりと一礼した。
その後、簡単に挨拶して解散となった。

私はインタビューを反芻しながら、次の取材場所に向かった。

先程のインタビュイーのように、向上心の高い人と関わる機会がある。
だからこの仕事はやめられない。自分も頑張ろうと思えるからだ。

私がどんな記者になるのかは分からないが、足を止めずに前に進みたい。なりたい自分に少しでも近づくために。

お題:見えない未来へ

11/20/2025, 4:00:16 AM

—風に誘われて—

夫のデリカシーのない一言から始まった。

「あれ、最近ちょっと太ったんじゃない?」

自分でもわかっていた事だが、人から言われるとカチンとくる。普段は気が利く夫だけれど、時々こういう事を言う。

それから私はダイエットを始めた。

そして今日で、丁度一ヶ月。
着実に成果は出ていた。食習慣の改善と、朝のウォーキングが効いている。

「この匂いは……」

朝は雨が降っていたが、夕方は止んだので、今日は普段とは違う時間にウォーキングをしている。
吹き抜ける風が運んできた匂いに釣られて、私は歩く方向を変えた。

「やっぱり、肉村さんだ」

『肉村』は、肉屋で、美味しいコロッケが評判の店だ。
「たまには自分へのご褒美に買っちゃおうかな」なんて考えたが、すぐにその考えは無くなった。

「……」

夫が並んでいたのだ。私にあんな事を言ったくせに、自分だけ美味しいものを食べようとしている。
確かに夫は筋トレをしていて太っていない。いや、健康的に太い。
だが、私は心底憎んだ。

見なかった事にし、踵を返した。夫よりも早く自宅に着いた。

「ただいまー」夫が帰ってきた。
「おかえり」

自然といつもよりも声が小さくなっていた。

「はい、プレゼント」
「え?」
「最近頑張ってるから、買ってきた」

夫が手渡したのは、肉村の紙袋に包まれたあのコロッケだった。

「たまにはチートデー入れないと続かないからさ」
「ありがとう」

私の顔には笑顔が戻っていた。
私達は仲良く、肉村のコロッケを頬張った。その味は今まで食べたコロッケの中で、一番美味しかった。

お題:吹き抜ける風

11/19/2025, 4:37:44 AM

—喰らう秘灯—

この町に古くから伝わる、言い伝えがある。

『図書館の地下に眠るランタンに、消したい記憶を囁くと、その記憶は二度と戻らない』

思い出したくない嫌な記憶も一瞬で忘れられるらしい。
その危険性から、人目につかない地下に隔離されているという。

——

「タクト、最近彼女と別れたんだって?」同僚のユウヤは耳が早い。

「あぁ、今すぐにでも忘れたいさ」
「結婚も考えてたんだろ?残念だな」

俺たちはもう二十九歳だ。周りはどんどん結婚していくから、徐々に焦りが出てくる。

「そういうユウヤはどうなんだよ」
「俺は自由に生きたいんだよ。だから結婚なんて考えてない」

焦っているのは俺だけだった。
俺たちは、行きつけの牛丼屋に入って昼食をとった。

そして午後はいつもと同じように仕事に励み、帰宅した。この機械的な生活はここ数年でほとんど変わっていない。
ベッドに身を投げ出した。昼間のユウヤとの会話が頭の中に残っている。

「結婚か……」

次に進まなくては、と思った。だが、このままでは心のダメージが大きすぎる。
まずは、この薄気味悪い部屋を綺麗にしてから引っ越す。そして、あの記憶を全て忘れてしまおう、と決めた。

次の休日、部屋の隅々まで掃除して要らないものはきっちりと処分し、引っ越しの手続きをした。だが、数日経っても忘れる事はできなかった。
だから、新しい町に行く前に、近くの図書館に立ち寄った。この図書館にはランタンがあるからだ。

図書館の地下に繋がる階段には、立ち入り禁止の紙が貼られてあった。誰にも見られないように、そっと入った。

「これが噂のランタンか」

見た目は普通のランタンだが、どこか古びた不思議な雰囲気があった。
願いを囁いた。

「彼女の事を忘れられますように」

願いを聞き入れたランタンの灯が、彼女を映し、こちらを見て睨んでいる。

「絶対に忘れさせない。私を殺したあなただけ生きるなんて、ずるいじゃない」

そしてランタンの中に呑み込まれた。
ランタンの灯はいつもと変わらず、明るく、ゆらゆらと揺れていた。

お題:記憶のランタン

11/18/2025, 7:08:44 AM

—冬の務め—

息を吐くと、白く目に見えるようになってきた。手をグーにして、息を吹き込む。
駅に向かう道の途中、クリスマスはまだ一ヶ月も先なのにイルミネーションの準備が進んでいた。

「パパ見て、すごい!」
「うん、そうだね」

今日は、電車で二駅隣の町で冬祭りが開催される。僕たちはそこに向かっていた。

「そういえば、今年はサンタさんに何を頼むんだっけ?」
「ゲームだよ。あー、早くサンタさん来ないかなぁ」
「もうゲーム機で決まり?」
「うん」

子供の頃は僕も待ち遠しかった。だが、親になった今だから分かる。今は戦いのシーズンだ。
子供の夢を壊さないように、こっそりとやる必要があり、尚且つ、注文通りの品を用意しなければならない。

息子が欲しがっているゲーム機は、抽選に当たらなければ購入できない。実はもう、二回落選していた。

「パパ大丈夫?こんなに寒いのに、汗かいてるよ」
「あぁ、パパは代謝がいいんだよ」

さぁ、これからが本当の冬の始まりだ。

お題:冬へ

11/17/2025, 4:52:35 AM

—透明人間—

ある日突然、死んだわけでもないのに、僕の存在が世界から消されてしまった。
それから一週間経って分かった事は、僕は『月明かりが照らす夜にしか見つけてもらえない』体質になってしまったという事だ。

まるで透明人間。いや、本当に透明人間になってしまったのだ。

そうなってから、僕は近くで皆の事を見ていた。

「いつか帰ってくるんじゃねぇか。まぁどっちでもいい」と父親。
「帰ってくるなら帰ってくればいいし、帰ってこないなら知らないわよ」と母親。

昔から両親とは仲が良くなかった。むしろ僕がいなくなって良かったと思っているようだった。
僕には友達がほとんどいないので、学校の中の様子もあまり変わらなかった。

だから僕は月が照らす夜も、皆に見つからない場所に隠れている。家の近くにある森を拠点にして生活していた。

「たつき君ー、どこかいますかー」

たった一人、僕を探してくれる人がいる。

「あれ、ここら辺で目撃情報があったんだけどな」

月明かりに照らされた彼女を、見つからないように遠くから見ていた。

僕の生き方はもう決めた。
たった一人の友達を、影から支えようと。

お題:君を照らす月

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