お題「窓越しに見えるのは」
狐の形にした両手を組んで、窓をつくる。昔、手遊びのひとつとして覚えたものだ。人体には些か無理な組み方をするので、指とか手首の筋とか、色々なところが引き攣れて結構痛い。いや、僕の身体が固いだけかもしれないけど。
狐の窓。両手で作ったこの窓を通して見れば、妖怪とかお化けとか、そういうものが見えるとか言うオカルトの類いの遊びだ。傾倒はしてないけど、知識としては面白いものだなと思っている。
あと、ちょっとかっこいい。覚えた時分は中学生とかそんなものだったので、まぁ、そういう年頃だったのだろう。
昔の自分を思い出してちょっと恥ずかしくなって、組んだ手をほどこうとすると。ひょいっと君がこちらを覗き込んできた。
「なにそれかっこいい」
目を輝かせて口角が上がっている、ちょっとわくわくした君が窓越しに見えた。それどうやるのと僕に問い、見比べながら、めちゃくちゃに自分の指を絡めたり、手を組んだりしている。
僕はというと、遊びが遊びだったので、いきなり目に飛び込んできた彼女の姿にびっくりして硬直していた。心臓に良くない。
でも、窓を通して見た彼女は当然といえば当然なんだけど、あまりにもいつも通りだったので、ちょっと安心したりもした。
「出来ない」
しばらく悪戦苦闘していた君が、悔しそうに呻く。あぁ本当に、いつも通り過ぎて、気が抜ける。気が抜けて変な笑いが込み上げるがままに笑っていると、自分が笑われたかと勘違いした彼女が、むっと唇を突き出しながら「教えてってば」とにじりよってくる。教えても良いけれど、
「お化けが見える遊びだよ」
と言うと、とたん毛を逆立てて威嚇する猫みたいになった君が、
「どうして!そんな!!怖いことを!!」
そう叫びながら、組んでいた僕の指を無理矢理ほどいた。
お題「赤い糸」
「運命の赤い糸って、材質は何だろう」
「ざいしつ」
何とはなしに、口にした疑問。君は私の独り言のようなその発言を受けて、何だか鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をして、鸚鵡みたいに繰り返していた。
今自分は何を言われたんだろう、みたいな。理解できないものを目の当たりにしたぞ、みたいな顔をしている。私はそんなにおかしなことは言っていない。多分。
「絹糸とか、毛糸とかミシン糸とか」
刺繍糸とか、タコ糸とかもある。指折り数えながら色々な種類を挙げる。どれなんだろうと疑問に思っただけと応える私に、彼はそうだね、とふと考え込んだ。
そこまで真剣に取り合って欲しいわけでもなかったのだが、君が少し楽しそうに考える込んでいるので、ならいいやと結論が出るのを待つ。
「僕は、柔らかい糸が良い。切れやすいやつ」
そう答える彼に、今度は私がきょとんとする番だった。
とんでもない、切れたら困る。とちょっと挙動不審になりながら、
「運命的に繋がっているものなのに、切れやすい方がいい?」
と返すと、まだ思考を続けていた彼がもう一度思考の続きを話し出す。
「赤い糸が強固で切れにくいものなら、代わりに耐えられなくなるのは糸が結ばれた小指の方で、もしかしたら千切れてしまうかもしれない。千切れなくたって、糸が食い込んだら痛いでしょ」
「一理ある」
一理あるけど、どうしてそんな痛い想像をするのかはわかりかねる。何だか話を聞いていると指が痛くなったような気がして、思わず自分の小指の付け根を擦ってしまったし、彼の小指の付け根を擦ってしまった。
唐突にさすさすと手を擦り出した私を見て、君は小さく吹き出した後に、申し訳なさそうにごめんと笑った。
「例えば、もし僕が『こっちにきて欲しい』と乱暴に糸を引いたとして。糸が切れればそれで終わるけれど、切れなければ君を傷付けながら引きずるんだ」
嫌だろう、と君が言う。確かに、と私が頷く。
「案外良いものでもないね、赤い糸って」
ふるふると頭を振り、痛い想像を頭から追い出す。分かりやすく物理的な話で例えてくれただけで、精神論だとわかっていても、痛い。あと、例え話なのはわかっているけど、勢いで乱暴に手を引くのはいつも私の方だから、傷だらけになるのは多分きっと彼の方だなと思った。
実際に、彼の手を引いて勢い良く駆け出したら、引き摺られ足がもつれた彼が転んで、身体の前面をどこそこ擦りむいた事件があった。まぁ、今の話には、ギリギリ関係ないと、思いたい。
色々と考えていたら、変なことまで思い出してしまった。珍しく考え込んでしまった私に、何を思ったのか。もしや赤い糸という概念をけちょんけちょんにしたことで私が落ち込んだとでも思ったのか。彼はちょっと焦った声音で、でも、と続けて言う。
「それに、切れやすいものならなおのこと、繋がってい続けられることを誇れると思う」
だから、赤い糸は柔らかい方が良い。と、彼は微笑む。
「互いに無理に引っ張り合う関係じゃないって、証明できるってこと?」
私は物理的に引き摺ったが。と思うと、ちょっと後ろめたくて目が泳ぐが。
「そう。……でも、切れたら困るなら、そうだ。理想の材質はゴムとかなのかもしれない」
「ごむ」
おそらくしおらしい態度の私に動揺しているっぽい彼が、動揺の末に変なことを口走る。次は私が、彼の発言を意味も理解できないまま鸚鵡みたいに繰り返すことになった。
それはもう、糸とは呼べない。
お題「入道雲」
まるでインクを落としたかのように鮮やかに真っ青な空に、もったりと重そうな、ふわふわした雲がまとわりついている。それは、どんどんと大きく膨れていき、青をどんどんと白く塗り替えていく。
夏の風物詩だなぁと思いながら、ぼんやりと眺める。子供の頃には意識したことなどなかったけど、この年になってふと空を見上げるとあぁ夏だなぁと実感できる。それは知識が増えたからか、子供の頃にこうやって改めてまじまじと空なんか眺める機会なんてなかったからか。
どちらにせよ空を眺めてしんみり季節を感じる行為と言うのは、何と言うか自身の加齢も感じさせる。悲しいような、寂しいような。情緒的な風流と言うのは、感傷を孕んでいるものだ。
「さてと」
久方振りの晴れ間に意気込んで布団から洗濯物から洗って干せるもの全てをを外に干したのはいいが、そろそろ取り込まないと悲惨な未来を辿ることになりそうだ。
取り敢えずは最優先で寝床の確保をしなければ。干してある布団に触れると、ふわりと温かくいい匂いがする。取り込んで縁側へと運ぶ最中に、庭で何かと戯れていた君と目が合う。
「もう取り込むの?」
「うん、雨が降りそうだから」
「こんなにいい天気なのに?」
「入道雲が大きくなって来たから、多分もう少ししたら雨が降るよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「美味しそうだなとしか思ったことなかった」
空を見つめて何だか呆然と言う君が可笑しくて、笑ってしまった。感傷とは程遠い、子供の無垢さをいつまで経っても失わない彼女が眩しい。
「わたあめ食べたくなっちゃったな」
こんな感想が出てくる僕も、なかなかに君の朗らかさの影響を受けていると思うけれど、君に日向に連れ出して貰っているようで、気分が良い。
彼女ははっと弾かれたようにこちらを向いて、楽しそうに言う。
「だったらお祭りに行こう!一緒に!!」
僕の返事を待たずにわーいと声を上げて、ついでに手も万歳の形に上げる。その弾みに彼女の手に握られていた蝉が、ほうほうの体でひょろひょろと飛んで行く。
さっき何かと戯れているなぁとは思ったが、蝉とだったらしい。子供の無垢な残酷さも、彼女はまだ失っていないようだ。
哀れな、と蝉に気を取られている間に、彼女は家の中へと駆け上がっていく。直近の祭りの日程でも確認するのだろう。
彼女とのお出掛けの予定を楽しく立てるために、とっとと洗濯物を取り込んで、向後の憂いを絶つことにしよう。
お題「夏」
真っ青な空。空と地平の間に、もったりと重そうな白い雲がある。
空気がどろりと揺れて見える程に暑い外からは、割れんばかりの蝉の声の大合唱が聞こえてくる。割れんばかり、とは何を割るのだろう。私の鼓膜か。
何もかもが億劫で、床に寝転がる。フローリングに汗ばんだ肌が張り付く感触が気持ち悪いが、同時に少しだけひんやりとしているのはちょっと気持ちいい。
扇風機から送られてくる風は温かった。どれだけ風を強くしようと温いものは温い。ここまで来ればクーラーを入れるべきだとは思うが、あの人工的すぎる冷気は身体に障る。それで体調を崩す度に「君は夏風邪しか引かないね」と、彼が些か感心したように言うのがちょっと癇に触るのだ。誰が馬鹿だ。私は難しいことは考えられないのではなく、考えないのだ。あえてだ。
「ここではないどこかにいきたい」
ぽつりと呟いた言葉は、蝉の声やら何やらに掻き消された。
悔しかったので、今度はちょっと大きめな声ではきはきと言う。
私の叫びに、部屋の奥の方でアイスキャンディーを齧っている彼がちらりと視線をくれた。アイスずるい、私も食べたい。いや、自分の分はさっき食べ終わったのだった。
ごろりと寝返りを打つ。移動すると再びフローリングがひやりとした。気持ちがいいなとその冷たさに浸っていたけど、すぐに体温で温もる。新天地を目指し、再びごろりと寝返りを打つと、カチッと言う軽い音の後に、扇風機の風が追従してくる。何だろうと顔をあげると、彼が扇風機の首を、私の動きに合わせて動かしてくれていた。
ありがたいけども、君はそれで良いんだろうか。
「ここではないどこかって」
「なに」
君がアイスキャンディを再び齧って、咀嚼して飲み込んだあとに、ぽそりと呟く。
「永遠に行けない場所じゃないかって思うんだ」
「どうしたの」
少しだけ、自分の声に困惑が混じってしまった。あれか。先ほど言った『ここではないどこかにいきたい』に対する返答が今なのか。
彼は最後の一口を同じように食べたあとに木の棒を少し寂しそうに眺めて、ゴミ箱に捨てた。そして本腰を入れて喋り始める。
「『ここ』の定義と『どこか』の定義次第だとは思うんだけど」
「なにがはじまるの」
こわごわと上半身を起こして、彼を見る。何が君のスイッチを入れたのだろう。
「自分がいる場所を『ここ』、自分がいない場所を『どこか』と定義するならば」
「やだなにこわい」
頬を上気させて、楽しそうに話し始めた君がちょっと怖い。
「僕が『どこか』に移動してしまえば、その『どこか』は僕が行った時点で『ここ』になってしまわないかなって」
「熱暴走してる」
口から思わず洩れた。いつもと違って血色の良い肌は、たぶん熱中症的なあれだ。
頬に赤みが差しているのは君がこういう話を好きで、話せる機会が巡って来たからなのかと思ったけど違う。逆上せている。逆上せたせいで、ちょっとテンションが上がってしまっている。
「『どこか』を追い続けて移動し続けたって、僕がいるのはずっと『ここ』で、『どこか』には永遠に辿りつけないんじゃないかって」
「私にはそんなに難しいことは考えられない!」
そう叫ぶように言って立ち上がる。彼は自分の体調に無頓着だ。おそらく熱中症と、テンションの上昇による体温の上昇との判別がついてない。
慌てて扇風機を彼に向ける。熱気を含んだ風にか、最大風量の風圧にか、両方か。ちょっと不愉快そうに眉をしかめた。
「君、良くこれで我慢出来てたね」
それでいてなお、凄いねと、君は感心したように言う。いつもなら、どうだ凄いだろうとドヤ顔でもかましてやるが、それどころではない。
机の上に置いてあったエアコンのリモコンを手に取り、電源をいれる。すぐ手にとれる場所にリモコンがあったと言うことは暑さの限界だったのだと思う。私がクーラーを嫌がるので、我慢していたんだろう。君はそういう気の使い方をする。クーラーの電源を入れたら次はと、開け放たれた窓や扉を全て閉めていく。
どたばたと動き回る私を、君は呆気に取られたようなポカンとした顔をして眺めていた。そんなにか。私が働くのはそんなに珍しいか。
一言二言文句でも言ってやろうかな、という気持ちになったけど、この現状は私の我が儘を君が聞いてくれたが故に引き起こされた惨状なのはわかっていた。なので、何とか文句を噛み殺して、言う。
「理想の『どこか』なんかを探す前に、『ここ』を理想の場所にしよう」
彼はびっくりしたように目を見開いたけど、すぐに楽しそうに笑って「そうだね」と返事をしてくれた。
クーラーの恩恵によりどんどん下がっていく室温と、それに伴って冷たくなってくる風に、彼は心地よさそうにほっと息をついていた。良かった。まだ何とかなる段階だったみたい。
かくいう私の方は汗が冷えてどんどん体が冷えていく感覚に襲われ始めたので、上着を取りに自室へ向かうことにした。
ついでに帰り道に彼に麦茶でも入れて持ってきてやろうと思う。多分またびっくりしたような顔をするだろうから、その時に改めて、その反応への文句をつけよう。
6/27お題「ここではないどこか」とネタかぶりをしたので別視点。
お題「ここではないどこか」
「ここではないどこかにいきたい」
君が、息も絶え絶えに言う。蝉の声と、最大出力で酷使されている扇風機があげる風音とモーター音に掻き消されそうにか細い声で。
いや、か細くはない。結構強い声音で一音一音はっきり言った。それでも掻き消されそうなほど、色んな音が五月蝿い。そのくせ、気休めに縁側に下げた風鈴はちりとも鳴らない。酷暑だ。
暑いし五月蝿いし、君の気持ちは良くわかる。静かで涼しいところに行きたいのは僕も同じだ。
しかしそう言い放った彼女本人は、床の上に溶けるように平らに広がっている。端的に言うと大の字。どこかに行きたい人のとる姿勢ではない。
彼女は慰め程度には冷たいフローリングで身体を冷やし、しばらく経って体温が移ったらごろりと寝返りを打つように移動する。どんどん移動していく。それは「ここではないどこかにいきたい」という発言の上で起こす行動としては少し消極的すぎやしないか。
観察するだけでは手持無沙汰なので、僕は彼女の移動に合わせて扇風機の首を都度動かしていくことにした。でも、それだけだとちょっと暇潰しには物足りない。退屈を紛らわすように、ぼんやりと考えるがままに口を開く。
「ここではないどこかって」
「なに」
応える君の声は、気だるげだ。
「永遠に行けない場所じゃないかって思うんだ」
「どうしたの」
少しだけ、困惑が混じる。
「『ここ』の定義と『どこか』の定義次第だとは思うんだけど」
「なにがはじまるの」
彼女はこわごわと上半身を起こして、僕の方に何だか変なものを見るような目を向けてくる。
「自分がいる場所を『ここ』、自分がいない場所を『どこか』と定義するならば」
「やだなにこわい」
彼女の声に恐怖も混ざり始めた。何故。
「僕が『どこか』に移動してしまえば、その『どこか』は僕が行った時点で『ここ』になってしまわないかなって」
「熱暴走してる」
呆然と呟く彼女の声に得心が行く。僕はどちらかというといつもぼんやりしている方だけど、このぼんやりはたぶん熱中症的な何かな気がする。
「『どこか』を追い続けて移動し続けたって、僕がいるのはずっと『ここ』で、『どこか』には永遠に辿りつけないんじゃないかって」
「私にはそんなに難しいことは考えられない!」
そう叫ぶように言った彼女はその勢いのままばっと起き上がると、ものすごい早さで腕を伸ばし、独占していた扇風機をこちらに向けてくれる。生ぬるい風が結構な風圧で吹き付けて来るのが、逆にちょっと不快まである。
「君、良くこれで我慢出来てたね」
凄いねと、そう素直に感心を口に出した。しかし、誉められればすぐにしたり顔をして見せる彼女には珍しく、これには応えない。
僕を無視して真顔でエアコンのリモコンを手に取り、電源を入れた。これも珍しい。空調による温度変化に弱く体調を崩しやすいから冷房が嫌いと、いつもギリギリまでエアコンの恩恵を拒否し続ける君が、自ら電源を入れている。
そして、換気のために開け放っていた窓や扉を物凄い勢いで全て閉めて回っていた。蝉の大合唱が、遠くなる。
普段あんなに、面倒くさいことは全部僕に投げ出す君が、自主的に。
怒涛の珍しい行動の連続に、呆気に取られて目を真ん丸にしていると、僕の視線を感じたのか、彼女はくるりとこちらを振り返る。そして、
「理想の『どこか』なんかを探す前に、『ここ』を理想の場所にしよう」
と、何だか据わった声で言う。エアコン入れただけで大袈裟なとは思ったけど、なるほど良い考え方だと思う。
みるみるうちに下がっていく室温と、それに伴って冷たくなってくる風を心地よく感じながら、僕は「そうだね」と彼女に返事をした。