浅井

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お題「夏」

 真っ青な空。空と地平の間に、もったりと重そうな白い雲がある。
 空気がどろりと揺れて見える程に暑い外からは、割れんばかりの蝉の声の大合唱が聞こえてくる。割れんばかり、とは何を割るのだろう。私の鼓膜か。
 何もかもが億劫で、床に寝転がる。フローリングに汗ばんだ肌が張り付く感触が気持ち悪いが、同時に少しだけひんやりとしているのはちょっと気持ちいい。
 扇風機から送られてくる風は温かった。どれだけ風を強くしようと温いものは温い。ここまで来ればクーラーを入れるべきだとは思うが、あの人工的すぎる冷気は身体に障る。それで体調を崩す度に「君は夏風邪しか引かないね」と、彼が些か感心したように言うのがちょっと癇に触るのだ。誰が馬鹿だ。私は難しいことは考えられないのではなく、考えないのだ。あえてだ。

「ここではないどこかにいきたい」

 ぽつりと呟いた言葉は、蝉の声やら何やらに掻き消された。
 悔しかったので、今度はちょっと大きめな声ではきはきと言う。
 私の叫びに、部屋の奥の方でアイスキャンディーを齧っている彼がちらりと視線をくれた。アイスずるい、私も食べたい。いや、自分の分はさっき食べ終わったのだった。
 ごろりと寝返りを打つ。移動すると再びフローリングがひやりとした。気持ちがいいなとその冷たさに浸っていたけど、すぐに体温で温もる。新天地を目指し、再びごろりと寝返りを打つと、カチッと言う軽い音の後に、扇風機の風が追従してくる。何だろうと顔をあげると、彼が扇風機の首を、私の動きに合わせて動かしてくれていた。
 ありがたいけども、君はそれで良いんだろうか。

「ここではないどこかって」
「なに」

 君がアイスキャンディを再び齧って、咀嚼して飲み込んだあとに、ぽそりと呟く。

「永遠に行けない場所じゃないかって思うんだ」
「どうしたの」

 少しだけ、自分の声に困惑が混じってしまった。あれか。先ほど言った『ここではないどこかにいきたい』に対する返答が今なのか。
 彼は最後の一口を同じように食べたあとに木の棒を少し寂しそうに眺めて、ゴミ箱に捨てた。そして本腰を入れて喋り始める。

「『ここ』の定義と『どこか』の定義次第だとは思うんだけど」
「なにがはじまるの」

 こわごわと上半身を起こして、彼を見る。何が君のスイッチを入れたのだろう。

「自分がいる場所を『ここ』、自分がいない場所を『どこか』と定義するならば」
「やだなにこわい」

 頬を上気させて、楽しそうに話し始めた君がちょっと怖い。

「僕が『どこか』に移動してしまえば、その『どこか』は僕が行った時点で『ここ』になってしまわないかなって」
「熱暴走してる」

 口から思わず洩れた。いつもと違って血色の良い肌は、たぶん熱中症的なあれだ。
 頬に赤みが差しているのは君がこういう話を好きで、話せる機会が巡って来たからなのかと思ったけど違う。逆上せている。逆上せたせいで、ちょっとテンションが上がってしまっている。

「『どこか』を追い続けて移動し続けたって、僕がいるのはずっと『ここ』で、『どこか』には永遠に辿りつけないんじゃないかって」
「私にはそんなに難しいことは考えられない!」

 そう叫ぶように言って立ち上がる。彼は自分の体調に無頓着だ。おそらく熱中症と、テンションの上昇による体温の上昇との判別がついてない。
 慌てて扇風機を彼に向ける。熱気を含んだ風にか、最大風量の風圧にか、両方か。ちょっと不愉快そうに眉をしかめた。

「君、良くこれで我慢出来てたね」

 それでいてなお、凄いねと、君は感心したように言う。いつもなら、どうだ凄いだろうとドヤ顔でもかましてやるが、それどころではない。
 机の上に置いてあったエアコンのリモコンを手に取り、電源をいれる。すぐ手にとれる場所にリモコンがあったと言うことは暑さの限界だったのだと思う。私がクーラーを嫌がるので、我慢していたんだろう。君はそういう気の使い方をする。クーラーの電源を入れたら次はと、開け放たれた窓や扉を全て閉めていく。
 どたばたと動き回る私を、君は呆気に取られたようなポカンとした顔をして眺めていた。そんなにか。私が働くのはそんなに珍しいか。
 一言二言文句でも言ってやろうかな、という気持ちになったけど、この現状は私の我が儘を君が聞いてくれたが故に引き起こされた惨状なのはわかっていた。なので、何とか文句を噛み殺して、言う。

「理想の『どこか』なんかを探す前に、『ここ』を理想の場所にしよう」

 彼はびっくりしたように目を見開いたけど、すぐに楽しそうに笑って「そうだね」と返事をしてくれた。
 クーラーの恩恵によりどんどん下がっていく室温と、それに伴って冷たくなってくる風に、彼は心地よさそうにほっと息をついていた。良かった。まだ何とかなる段階だったみたい。
 かくいう私の方は汗が冷えてどんどん体が冷えていく感覚に襲われ始めたので、上着を取りに自室へ向かうことにした。
 ついでに帰り道に彼に麦茶でも入れて持ってきてやろうと思う。多分またびっくりしたような顔をするだろうから、その時に改めて、その反応への文句をつけよう。



6/27お題「ここではないどこか」とネタかぶりをしたので別視点。

6/29/2024, 5:55:10 PM