人間は、みんなバカみたいな失敗をする生き物だと思う。そこが、可愛いらしくて、おかしくて、悲しくて、良いのである。
昨日は「無能の人」の事を書いたが、漫画家やめたくて、石を売る話なんてバカみたいだし(けど面白いが)、
その前に書いた藤山寛美(かんび)は、アホ役者なんて言われた人で、阿呆な役が上手かったのと、山のような借金を抱えて、それでも放蕩を続けたからアホと呼ばれていたが、
だいたいみんなが知っているのは1960年代で1億2000万円くらいの借金があり、今に計算すると10億円以上とか、Wikipediaなどにも記載されているが、それは間違い。
1990年3月に行われた桂米朝との対談によると、寛美は50歳過ぎてからマネージャーに18億円やられたと吐露しているのである。(「一芸一談」桂米朝 ちくま書房)
で、その対談の後の5月に肝硬変で亡くなるのだ。バカみたいかな?
でも、寛美ほどでなくとも、昭和のスターはだいたい莫大な借金背負って死んでいる。
萬屋錦之介、三船敏郎、勝新太郎、みんな独立してプロダクション作って、社長とか言われたが、経営者の素質なんてなく、芸術家気分でやってたから、最後は借金だらけになってしまうのだ。
かく言う私も、独立して経営者になって借金こさえた末路なのだが…
バカみたいなんだけど。
1人ぼっちの私には、二人ぼっちというのはよく分からない。
2人いるのだから、ぼっちじゃないでしょ?!
映画「無能の人」では奥さん役の風吹ジュンが言う、
「この、ひろ~い宇宙に、3人だけみたい…」
つまり、この家族は3人ぼっちなのだ。なんだか世間からぜんぜん相手にされてない親子3人。
絶望的なようだが、
つげ義春役の竹中直人が答える、
「いいじゃねぇか、俺たち3人だけで。」
絶望ではないのである。親子3人が寄り添っている。
つまり、仲のいいカップルなら普通は子が生まれるから、やっぱり「二人ぼっち」にはならない。
すると、子供が巣立った後の老夫婦の事を「二人ぼっち」と言うのか?
或いは、現代的な言い方をすれば、パートナーシップを持つ人たちの話だろうか??
なるほど、これなら確かに「二人ぼっち」のようなイメージがあるかも知れない?
「二人ぼっち」はロマンチックなようだが、愛が冷めたら地獄のような気もする。
最近のニュースに、
千葉県いすみ市の夫婦岩が崩落したというのがあった。
肯定的に、「家族岩と呼べば良いのでは?」なんて声もあるみたいだが、
「二人ぼっち」は岩ですら保つのは難しいのかもね?
夢はよく見るが、ことごとく覚えていない。
私は寝不足が耐えられない性質で、比較的若い頃から徹夜が苦手だった。
仕方なく徹夜して、そのまま仕事を続けてしまうと、必ず失敗したりして周囲に迷惑をかけるので、極力徹夜はせず、少しでも間に寝たりする。
また、寝ようと思えばどこでも寝られた。バスの座席、駅のベンチ、空港の待合スペースの椅子・・・まあ、放浪もしていたくらいだから。
夢はレム睡眠の時に見ると言われるが、そのような浅い眠りの時に見ているようだから、毎日見ているはずだが、何も覚えていない。
凄い夢を見たという感覚だけは覚えている。
これは考えてみると勿体ない話なのかも知れない。
つげ義春は自分の夢を記録してマンガのネタにしているらしいし、
ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹も夢で新しい理論を発見しノートに書き留めたというし、
南方熊楠は夢の中で新種の粘菌を発見し、実際に夢の場所と同じところで発見しているのだから、夢と言ってもバカには出来ない。
落語の「夢の酒」では他人が見た夢の続きを見る方法が出て来て、
淡島様の上の句を唱えて寝ると良いらしい。
「われ頼む 人の悩みの なごめずば 世に淡島の 神といはれじ」
というのがその文句である。
夢はどうしても醒めるので、次に寝る時にその続きが見られるなら問題がないはずだ。
見た夢の内容を出来るだけ細かく記録して、ドリームジャーナルつけたり、
ルシッドドリーミングを試みると良いそうだ。
ルシッドドリーミングとは、夢の中で、自分が夢だと気が付く事である。確かにそういう夢を見ることも、たまにはあるような気がする。
文章のネタにもなりそうだし、
今日から、枕元にメモ帳とボールペンを、置いて寝てみょうかしら?
私は藤山寛美(かんび)という役者のファンだった。
藤山寛美は、松竹新喜劇の大スター。明石家さんまも笑福亭鶴瓶も、志村けんも仰ぎ見るような存在だった。
1990年5月、彼は肝硬変で60歳の若さで急死してしまう。
私はその年の2月だったか、京都南座で藤山寛美、直美の親子共演を観ているのだ。
あまりの突然の死に、涙が止まらなかった。
寛美が亡くなった翌年、私はお盆休みを南紀新宮で過ごしたが、最終日は何だか飽きて(南紀はすでに3回目だったので)、東京に帰る前に京都に寄って過ごそうと思い立った。
どうしてその寺に行きついたものか、全くの偶然だった。
京都は良く行く所だから、今さら観光と云うよりも、ただブラブラして雰囲気を楽しみたかっただけなのだ。
だから、何処をどう歩いたかも覚えていない。でたらめに歩いていたら寺の前に通りがかり立て看板が出ていて、
「お盆特別講演 藤山寛美と私 講師 藤山直美」と書いてあったのだ。
! ! ! ! ! ! ! !
入場料無料、講演は、今まさに始まろうとしていた。
寛美の家は京都にあったという。
こんな事が、人生には起こるのである。
(実話です)
デヴィッド・クローネンバーグ監督の「ザ・フライ」が好きで、これは凄く怖い映画だが、確かに一見の価値がある。
なので「裸のランチ」が話題となった時期待していたのだが、
いや、実際に数々の賞をとったようだが、私の好みには会わなかった。
不条理な映画でオススメなら鈴木清順の「陽炎座」「ツィゴイネルワイゼン」、寺山修司の「田園に死す」「草迷宮」の方。
吾妻ひでおの「不条理日記」というのもあった。不条理で1番最初に連想したのはこれ、とにかく訳が分からなくて面白い。
こんなのばかり見ていたら、頭がおかしくなりそうだが、たまには見ると脳が喜ぶような気がする。
私の文章には時々スキゾフレニアとか脳疾患の人の話が出てくる。
実は3年前亡くなった母が、晩年、「レビー小体型認知症」になってしまって、
これは幻視や妄想を見てしまうのが特長なのである。
それで認知症や統合失調症について自分なりに勉強してみたのだ。
認知症は長生きすれば誰でもかかる。医者に言わせれば、100パーセントだという。(そこまで行かない前に死ねばかからないが)
そして、レビー小体型認知症は3番目に多い認知症だから、それ程レアな病気ではないのである。
脳の中にレビー小体というものが発生して幻視や妄想を見せるのだから、「裸のランチ」みたいな不条理な世界が見えていたのかも知れない。
母曰く、宙に魚が泳いでいる。とか、兄と姪が、兵隊にさらわれた、なんてヘンテコなものもあった(イスラム国のニュースの影響だろうか?)。
認知症の問題は、年々関心が高まり、現在まさに悩んでる方が居られるかも知れないが、
勉強してみたら、意外と面白かった。
などと書いたら不謹慎だろうか?
でも私は、母が何を見ているのかが、知りたかったのである。