トト

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5/17/2024, 2:15:41 AM

またか、

くだらない。

欲求不満か?そんなに欲しがりか?

しばらく、投稿休みます。

付き合ってられません。

5/16/2024, 3:13:44 AM

人生で、後悔をした事がない、なんて人は恐らくいないだろう。

私も良く後悔をする日々である。

特に若い時は酒を飲み過ぎ、家に帰る筈が何故か横浜の方へ着いてしまい、そのまま外で夜を明かした事もあった。

昔は、なぜあんなに酒を飲んだのだろうと不思議に思う程だ。十分に酔い、腹も満ちているのに、まだ飲み続けたのである。

言い訳のようだが、世の中がそういうのに寛容だった、のは間違いない。

今はもう、飲んでも水割り2杯でストップしてしまう。昔の私から見たら驚かれるかも知れない。


「後悔を先に立たせて後からみれば、杖をついたり転んだり」

これは都々逸の文句だが、よく古今亭志ん生(しんしょう)が、噺の枕で使っていた。

落語というものは、人情噺のように講談めいたものもあるが、もともとは滑稽譚であり、人が失敗するのが前提で話がすすむ。

あまり、真面目で、偉くて、苦難の末に成功を勝ち取った、立志伝中の人は落語にはならない。

古今亭志ん生という人は、恐らく東西の噺家の、歴代でも最高峰の噺家だと思う。

何しろ、志ん生自身の生き方が落語そのもの、失敗に継ぐ失敗を重ねた人で、

ああきっと、この人は後悔ばっかりして来たのだろうと、誰もが想像してしまうから、落語の信憑性が他とは違うのである。

志ん生の写真を見ると、いかにも名人の風格が漂い、厳しく、重厚な風貌のようだが、

志ん生が売れたのは50歳を過ぎてからで、戯作者の宇野信夫は若い頃の志ん生と良く付き合っていたが、

その頃の彼は、痩せていて貧相なネズミのような風貌で、「コイツは売れそうもないな」と思われていた。

志ん生があまりに貧乏な為に、宇野信夫が計画して(他の落語家も呼んで)年の瀬に落語会を開いたのに、ぜんぜん客が入らなくて困ったという。

そして、恐ろしく酒が好きで、強かった。弟子の志ん馬に言わせると、毎日3升の酒を飲んでいたらしい。

普通そのくらい飲んだらアルコール依存症になるか、中毒になるのだが、彼はならなかった。

貧乏な頃は金がなくてそれほど飲めなかっただろうが、何だかんだで稼いでも、すぐに飲んでしまったし、贔屓からもらった着物も全て質に入れて流してしまった。

そんな悲惨な、荒んだ生活をしていたのに、戦後、志ん生の人気は爆発し、押しも押されもせぬ大看板になってしまうのである。

けれど、そうなるまでは、自分は兎も角、女房子供にも惨めな思いをさせて、仲間にも不義理したりして蔑まれ、毎日が後悔の連続であったであろう。

けれど、落語に登場する主人公達は、大抵がそんな立場の、恥ずかしい思いを重ねるような人なのだ。

これが、正に人間の本質なのである、人は愚かであり、目先の欲に目が眩んでしまうものである。

このような下賎の、最低の芸能を、受け入れ、愛しんで、磨いて来た日本人の懐の広さよ。

漱石も、子規も落語が好きだったように、庶民だけでなく、文化人も落語を大切にし、価値を認め、文学の基礎としていると思う。

後悔するのは人間の証拠なのである。

5/15/2024, 3:37:02 AM

風にもいろいろあって、

風呂上がりに当る扇風機の風は心地よいが、

「上州の空っ風」と言って群馬県の冬に吹く風の、厳しくて冷たい風は有名である。別名、「赤城おろし」とも呼ばれる。

私は、それを経験した事はないのだけれど、話には聞いていて、

北国育ちだったから、雪が降り積もる前に自転車をこいだ時に、

向かい風があまりにも冷たくて、手も耳も寒くて限界なのに、それでも歯を食いしばってこぎながら、「上州の空っ風」とはこんなものじゃないかしらと、何度となく思っていたものだ。


私が子供の頃、『木枯らし紋次郎』がテレビで放映されて、大ヒットした。

木枯らし紋次郎は上州新田郡三日月村の生まれである。貧しい農家の6男だったため、間引かれそうになった。赤子にコンニャクを無理矢理飲み込ませて窒息させるのである。

そのトラウマで紋次郎はコンニャクだけは食べる事が出来ないのである。

時代劇の股旅ものは、長谷川伸という人が開拓者で、『沓掛時次郎』『関の弥太っぺ』『瞼の母』など名作があるが、

それらの主人公をもっとハードボイルドにしたのが紋次郎なのである。

いかにも強そうだが、実はそんなに強くない。

いや、強いのだが、それまで私が観ていた王道時代劇の『水戸黄門』の助さん格さんや、『大岡越前』みたいに圧倒的な剣の達人ではなく、普通の人より少しだけ強いかんじなのだ。

だから、殺陣(たて)もあるが、とてもみっともない。泥仕合みたいで、ハアハア息を切らしながらも、やっとこさ勝つ。

それが逆にリアルで良かったのだろう。

そして、時代劇の主人公は正義の味方で、困っている人を助けるのが当たり前なのに、紋次郎はあっさり「断る」のである。

「あっしには、関わりのねぇこってござんす」

ニヒル、シビア、凄くかっこいいのだ。色仕掛けも通じない。

しかし、もともとが貧しい百姓の出で、親に殺されそうになった過去のためか、

貧しい百姓の哀れな訴えには、弱く、「勘弁してくだせぇ」と断りながらも、何度も泣きつかれて、結局は頼みを承諾し(無償である)、裏切られて殺されそうになるのがパターンなのであった。

紋次郎の時代、世の中は荒みに荒んでおり、信じられるものなど、何処にもないのであった。彼は、何のために生きてるやら分からない、

名を挙げて、売り出して博徒の世界で出世したいなんて希望もない、そもそもヤクザの親分なんて信じちゃいない、

何もかも、どうでも良いぜ。半分そう思いながらひたすら旅を続ける紋次郎が、受けたのだ。

紋次郎の、末は旅の空で、野垂れ死にするのだろうが、

あのように生きられたら、良いのにと、憧れる人が多かったのだと思う。

5/14/2024, 2:14:55 AM

そもそも本当に時間は存在するのかと、そこから疑問に考えてみると、

「失われた時間」という言葉は良く分からないものになってしまう。


バブル経済がはじけてからの日本を「失われた10年」とか、「20年」とか「30年」とか言ってるようだが、

確かにその間、株価は低迷したし、一般人の給料も上がるどころか下がったりして、世界でトップだったいくつかの産業も、他国に技術やシェアを奪われたりもした。

でも、この10年から30年が、それほど価値のない期間であったとは思えない。

その間に我が国は価値観の転換を行い、現に成功しているように見える。つまり、経済から文化へとシフトし、世界は今、日本を羨望の眼差しで見ている。

モンシロチョウに例えるなら、卵でジッと熟す時をまち、

幼虫時代はキャベツなどのアブラナ科の葉をモリモリ食べて大きく成長した後に蛹になる。蛹の間は動かない、動けない、場合によっては越冬し、春を待ち続ける。

そして羽化し、花から花へ飛び移り、蜜を吸い、求婚して子孫を残すのだが、

卵や蛹の期間を「失われた時間」と考える人が居るだろうか?

卵や蛹は、一見、死んでいるようだけれども、本当は、ドラマチックな組織の生成や、変換が行われているのだ。

それに一定の時間が必要なのは当然なのであって、その時間はぜんぜん無駄じゃない、

それとも、アオムシのまま
ひたすら巨大化する方が望ましいと思う人が居るのだろうか?

だから、「失われた30年」としか考えられないのは見方が狭いと思うし、

人生に於いても、傍から見れば無駄、無為に過ごしているようでも、

そらはぜんぜん無駄でない時間なのかも知れない。

或いは、無駄な時間や、下らない時間こそが尊い、という事だってあるのかも知れない。

そうしたら「失われた時間」という概念も、ナンセンスな気がする。

5/13/2024, 3:48:56 AM

来年の誕生日で還暦を迎える予定なのである。

つまり、干支で1周して、新たに生まれたようなものだと、寿命の短かった昔は還暦を長寿として祝ったのだが、

医学が進歩し、栄養が行き届いている日本では、60歳を長生きだという人はあまり居ないだろう。

でも、60歳で亡くなる人もいる。手塚治虫も藤山寛美も石ノ森章太郎も60歳で亡くなっている。

けれどこの人達は皆天才と言われ、尚且つ命が擦り切れるほど頑張って仕事し過ぎたから早死にしたのだと思う。

徹夜ばかりしてたから彼らは早死にしたのだと吹聴していたのは水木しげるなのだから、本当にそうなのかも知れないが、

好きな仕事のやり過ぎで死ぬのは、本望であり、幸せな終わり方かも知れない。


この頃、私にとって60歳とは何だろうと、考えてしまう。単なる通過点なのは、たぶん間違いないのだけれども、

55歳にして何もかも失ってしまったから、そこからもう1度やり直せという意味なのだろうか。

近況を小出しに伝えているけれど、私は通信教育を始める。昨日、学生証が届いたので4年以上は勉強を続けるだろう。

通信教育だが、おそらくそんなに簡単ではない筈だ。


そしてもう1つ、

温泉で漫画を読んでいて、1つの傑作に出会った。

東村アキコ『かくかくしかじか』だ。

これは、読んでいて泣いた。東村アキコの半自伝と言うべきか、

作者の代表作は『海月姫』、『主に泣いてます』『東京タラレバ娘』と映画化、テレビドラマ化した作品が幾つもある実力派だが、

もともと絵の才能を鼻にかけていて(美術部入部して天狗)、漫画家を目指していた彼女は、

地元の絵師、日高先生の絵画教室に通う事になって絵を完膚なきまでに叩き直されるのである。

作者東村アキコというよりも、この日高先生(本名は日岡兼三)の生き様に泣けたのだか、

日岡兼三は57歳で亡くなっている。絵を描く事が彼の全てで、何のために絵を描くのか?という疑問すらなく、

ひたすら絵に、描く事に人生を集約させた、ブレない人である。

絵画って何?絵描きは儲かるの?それより漫画家の方が儲かるよ。

そんな疑問にも、この作品は答えてくれる。彼の生き様を知ってしまったら、何だか、

私も何十年ぶりかで絵を描きたくなってしまった。

60歳から描く絵は、どんなものになるのだろうか。

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