人生で、後悔をした事がない、なんて人は恐らくいないだろう。
私も良く後悔をする日々である。
特に若い時は酒を飲み過ぎ、家に帰る筈が何故か横浜の方へ着いてしまい、そのまま外で夜を明かした事もあった。
昔は、なぜあんなに酒を飲んだのだろうと不思議に思う程だ。十分に酔い、腹も満ちているのに、まだ飲み続けたのである。
言い訳のようだが、世の中がそういうのに寛容だった、のは間違いない。
今はもう、飲んでも水割り2杯でストップしてしまう。昔の私から見たら驚かれるかも知れない。
「後悔を先に立たせて後からみれば、杖をついたり転んだり」
これは都々逸の文句だが、よく古今亭志ん生(しんしょう)が、噺の枕で使っていた。
落語というものは、人情噺のように講談めいたものもあるが、もともとは滑稽譚であり、人が失敗するのが前提で話がすすむ。
あまり、真面目で、偉くて、苦難の末に成功を勝ち取った、立志伝中の人は落語にはならない。
古今亭志ん生という人は、恐らく東西の噺家の、歴代でも最高峰の噺家だと思う。
何しろ、志ん生自身の生き方が落語そのもの、失敗に継ぐ失敗を重ねた人で、
ああきっと、この人は後悔ばっかりして来たのだろうと、誰もが想像してしまうから、落語の信憑性が他とは違うのである。
志ん生の写真を見ると、いかにも名人の風格が漂い、厳しく、重厚な風貌のようだが、
志ん生が売れたのは50歳を過ぎてからで、戯作者の宇野信夫は若い頃の志ん生と良く付き合っていたが、
その頃の彼は、痩せていて貧相なネズミのような風貌で、「コイツは売れそうもないな」と思われていた。
志ん生があまりに貧乏な為に、宇野信夫が計画して(他の落語家も呼んで)年の瀬に落語会を開いたのに、ぜんぜん客が入らなくて困ったという。
そして、恐ろしく酒が好きで、強かった。弟子の志ん馬に言わせると、毎日3升の酒を飲んでいたらしい。
普通そのくらい飲んだらアルコール依存症になるか、中毒になるのだが、彼はならなかった。
貧乏な頃は金がなくてそれほど飲めなかっただろうが、何だかんだで稼いでも、すぐに飲んでしまったし、贔屓からもらった着物も全て質に入れて流してしまった。
そんな悲惨な、荒んだ生活をしていたのに、戦後、志ん生の人気は爆発し、押しも押されもせぬ大看板になってしまうのである。
けれど、そうなるまでは、自分は兎も角、女房子供にも惨めな思いをさせて、仲間にも不義理したりして蔑まれ、毎日が後悔の連続であったであろう。
けれど、落語に登場する主人公達は、大抵がそんな立場の、恥ずかしい思いを重ねるような人なのだ。
これが、正に人間の本質なのである、人は愚かであり、目先の欲に目が眩んでしまうものである。
このような下賎の、最低の芸能を、受け入れ、愛しんで、磨いて来た日本人の懐の広さよ。
漱石も、子規も落語が好きだったように、庶民だけでなく、文化人も落語を大切にし、価値を認め、文学の基礎としていると思う。
後悔するのは人間の証拠なのである。
5/16/2024, 3:13:44 AM