そもそも本当に時間は存在するのかと、そこから疑問に考えてみると、
「失われた時間」という言葉は良く分からないものになってしまう。
バブル経済がはじけてからの日本を「失われた10年」とか、「20年」とか「30年」とか言ってるようだが、
確かにその間、株価は低迷したし、一般人の給料も上がるどころか下がったりして、世界でトップだったいくつかの産業も、他国に技術やシェアを奪われたりもした。
でも、この10年から30年が、それほど価値のない期間であったとは思えない。
その間に我が国は価値観の転換を行い、現に成功しているように見える。つまり、経済から文化へとシフトし、世界は今、日本を羨望の眼差しで見ている。
モンシロチョウに例えるなら、卵でジッと熟す時をまち、
幼虫時代はキャベツなどのアブラナ科の葉をモリモリ食べて大きく成長した後に蛹になる。蛹の間は動かない、動けない、場合によっては越冬し、春を待ち続ける。
そして羽化し、花から花へ飛び移り、蜜を吸い、求婚して子孫を残すのだが、
卵や蛹の期間を「失われた時間」と考える人が居るだろうか?
卵や蛹は、一見、死んでいるようだけれども、本当は、ドラマチックな組織の生成や、変換が行われているのだ。
それに一定の時間が必要なのは当然なのであって、その時間はぜんぜん無駄じゃない、
それとも、アオムシのまま
ひたすら巨大化する方が望ましいと思う人が居るのだろうか?
だから、「失われた30年」としか考えられないのは見方が狭いと思うし、
人生に於いても、傍から見れば無駄、無為に過ごしているようでも、
そらはぜんぜん無駄でない時間なのかも知れない。
或いは、無駄な時間や、下らない時間こそが尊い、という事だってあるのかも知れない。
そうしたら「失われた時間」という概念も、ナンセンスな気がする。
5/14/2024, 2:14:55 AM