もしも君が天使だったら、君に追い付くために善行という善行を積むだろうな。
もしも君が死神だったら、僕の魂をあげるだろうな。
【ねえ、もしも君が……】
もしも君が蝶だったら、僕は君のためだけの花になりたいな。
もしも君が花だったら、僕は君を照らす一瞬の光になろうかな。
もしも君が泣いていたら、僕は黙って隣にいたい。
もしも君が困っていたら、僕は君の道具になろう。
もしも君が笑ってくれたら、僕は目をカメラにするつもりでその一瞬を焼き付けるよ。
もしも君が僕より先に死んだら、僕は残りの人生を人形として生きるだろうな。
もしも僕が君より先に死んだら、君の最期の瞬間に僕は寄り添えないってことになるから、それはすごく嫌だな。
もしも君と僕が同じタイミングで死んだら、「奇跡だね」ってあの世で笑い合いたい。
――もしも君が僕の恋人だったら、こんな他愛ない「もしも」を分かち合えたのだろうか。
「そう、それでさあ……あ」
休み時間、十分の刹那。友人との談笑に興じていた僕はしかし、彼らに「ごめん」と一声かけ、廊下へと駆け出した。
「あ、やっぱり君だった」
「待って、今足音だけで私だって判断して教室から出てきた?」
【僕だけが知る君だけのメロディ】
「だって君、足音わかりやすいじゃん。すごく独特のメロディを刻んでる」
「今までの人生で一度も言われたことないよ、それ」
なんてやり取りをそばで見ていた、恐らくは君の友人が「彼氏さん?」なんて笑い混じりに彼女に確認する。
「もぉー……。友達といるときは出てこないでよ、恥ずかしいじゃん」
「そんな思春期の娘みたいな態度を取られると、少し傷つくなあ。せっかく君の顔が見られる機会なんだから、教室くらい飛び出すでしょ」
「ぐぬぅ……。今度から君の教室の前だけ三三七拍子で歩こうかな」
「そんなリズミカルに歩いてる人がいたら、僕じゃなくても見に行くと思うけど」
斜め上の方法で問題の解決をはかろうとするところが可愛らしい。
「私、この子の足音なんて気にしたことないや。愛されてるんだね」
彼女の横にいた友人がそう言ってころころと笑う。鈴の音みたいに美しく響くそれはだけど、たぶん明日には忘れてしまうだろう音だ。
「私の足音を気にする奴がこの世に二人もいてたまるか。一人だって抱えきれないのに……」
君の言葉に、心の中で同意する。僕だけでいいのだ。君が奏でる旋律、その価値を知っているのは。
「思うに、選択にこそ人格が宿るんじゃないかな」
「何急に。持って回った言い方しちゃって」
「つまり僕は、君の人格を愛してるってことだ。イカの塩辛が好きな君が好きってこと」
君が、買い物かごに入れようとしていた塩辛をさっと背中に隠した。
【I love what you love.】
「隠すことないじゃん。僕は君のそういう、若い女性らしからぬ選択が好きだと主張してるんだ」
「いっそストレートにおっさん臭いって言ってよぉ……」
「別に、いわゆるおっさんと取る選択が類似しているのは重要じゃないよ。君の選択は、『好き』は唯一無二だ」
「……難しい言い回ししないで。よくわかんない」
「うーん……」
僕は少し考えて、続ける。
「チョコミントのチョコ抜きみたいなアイスを好んで食べる君が好き。昔大炎上した歌い手のことを今でも好きな君が好き。エメラルドゴキブリバチの話を目を輝かせながらするほど好きな君が好き」
「悪趣味としか言われたことないなあ……」
「君の『好き』をジグソーパズルみたいに全部集めて並べたら、その中心に空洞の君――君の型みたいなものが現れる。その輪郭が、好き」
淀みなく言いきってから君の表情をうかがう。君はちょっと困ったような、でも嫌がってはいなそうな顔をしていた。
「君も、私を形作る選択の……『好き』の一つだからね」
びっ、と人差し指を立てて、まるで啖呵を切るみたいに君は言った。
「……この趣味嗜好を持った人に好かれてるのかあ、僕」
「ちょっと! やっぱり君も悪趣味だと思ってるんじゃん!」
頬を膨らませる君の抗議を笑って受け流しながら、君が選んだ僕も持っているはずの、君の断片を思った。
雨音が、耳に手を沿えるみたいに優しく、さあっと僕らを包み込む。だから、
「嫌い」
って君の言葉は、聞こえなかったことにするね。
【雨音に包まれていたから】
「大嫌い、どっか行ってよ!」
「聞こえないなあ、雨音がうるさくて」
「うそつき。こんな小雨に、言葉を掻き消す力なんてないよ」
でも、言い訳くらいにはなる。
「泣かないでよ」
「泣いてないっ! 雨のせいだよ!」
「こんな小雨で、そんなに濡れるわけないでしょ」
「うるさいなあ! せっかく雨が降ってるんだから、言い訳くらいさせてよっ!」
なんだ、君だって雨を都合よく言い訳に使うんじゃないか。
「僕のために嘘なんてつかなくていいんだよ。君の本音を聞かせて」
「……私は」
――どこにも、行かないでほしい。
「……ごめん、やっぱ嘘。雨で聞こえなかったことにしてよ」
伝えるつもりでなかったことを言ってしまった、とばかりに、君は首を横に振った。
「無理だよ。こんな小雨に、言葉を掻き消す力なんてない」
「ずるい、さっきと言ってること違うじゃん」
「君こそね」
聞こえるけど聞こえない。聞こえないけど聞こえる。
僕らは、雨音の中ではいくらでも卑怯に、身勝手になれるのだ。それすらも全部、優しく包んでくれるから。
僕の彼女は、美しい。立ち姿が、笑顔が、振る舞いが。
「僕は、君みたいに美しい部分なんて一つも持ってない」
「あるよ。君が、私に美しさで勝ってる部分」
「え?」
【君より美しいそれ】
「えっ、ど、どこ? ……いや待って、自分で考えたい!」
心根まで美しい君は、こういうときにお世辞を言ったりはしない。その君から、一つでも美しさで勝てる部分があると言ってもらえたのが嬉しい。負けず嫌いなわけじゃないけど、君とはなるべく対等でいたいから。
「顔……は言わずもがな君の方が美しいね。姿勢……も駄目だな。君のぴんと伸びた背筋がこの世で一番美しいに決まってる。君は書く文字すら美しいよね。というかもう、選ぶ服も足の運びかたも、頭から爪先まで余すところなく美しいよね、君は」
言葉通り頭から爪先まで君をじっくり観察して、言う。ちょっと照れたような表情も当然、美しい。
だけど観察の甲斐あって、気づいた。ここなら、確かに僕の方が美しいかもしれない。
「目か……!」
「目?」
「僕の目は常に美しい君を映しているけど、君は鏡でも見ないと君自身を映すことはできないからね」
「……」
「……え、違うの?」
「あはは、違うよお。なんでそんなとんちみたいな答えになるの」
声を出して笑うのにすら気品を感じる。本当に美しい人だ。……だからこそ、今の答え以外で君に勝っている部分なんてないと思うが。
「私は、そうやって君が私を褒めるために使ってくれる言葉の一つ一つが、世界で一番美しいって思ってるよ!」