「8月って、一年で一番、会えない人に会いたくなる月だよね」
「この恐ろしい暑さの中で、よくそんな叙情的なことを考えられるね。絶対そんなロマンチックな月じゃないよ。暑くて死にかけるだけの月」
「そっかぁ」
――君がいなくなって初めての8月。彼女言葉の正しさを思い知る。
【恐ろしく暑い8月にこそ、近くの空の君に会いたい】
人生で初めて、精霊馬なんて作っちゃった。そんなことをしても、
「不器用だなあ、足の長さが揃ってないじゃん」
と笑ってくれる君もいないのに。……それでも。
「これじゃあ乗り心地が悪いじゃない。来年はもっとマシなのを頼むよ?」
と叱ってくれたら、なんて妄想してしまうのも、8月の魔力のせいなのかな。
「……それか、僕が迎えに行けたらな」
吸い込まれそうな太陽。今なら、何も特別なことをしなくても、外に立っているだけで君の元へ行けるだろう。
「……ああ、だから8月に会いたくなるのか。こんなに空が近いから」
本当に、君の言う通りだったな。
どく、どく。鋼鉄のように重くなった心臓が、周囲の血管を巻き込むみたいに強く、強く拍動する。
「……ああ、いい音」
僕の胸に耳を当てて、君はうっとりと呟いた。
【冷たくて熱い鼓動】
「……羨ましいな」
僕に密着したまま、君はぽつりと言った。
「にんげんの熱。にんげんの鼓動。私にはないもの。羨ましいなぁ」
そう言って僕と触れ合う君の胸は、だけど確かに熱を帯びていた。
「私の鼓動は、いつも硬くて、冷たくて。血液を模した冷たいオイルを機械的に流すだけ。氷みたいな作動音が、ずっとコンプレックスだった」
君――人間型アンドロイドM2778の胸にある、オイルを送り込む器官がオーバーヒートする。かたかたかた、機械的な作動音。人間のそれを超える体温。
「……最期に、貴方と同じになれて、嬉しい」
人は死ぬと冷たくなる。アンドロイドは、死ぬときに熱くなるらしい。君の熱い、熱い鼓動が冷えきった結末を引き連れて、密着した僕の体にまで響き渡っていた。
「僕、もう君無しじゃ生きていけないよ」
「情熱的だね」
「君は僕のオアシスだ」
「今まで君からもらった言葉の中で、一番嬉しいよ」
【オアシスが先か砂漠が先か】
「人は、水がないと生きていけない」
「そうだねえ」
「水も持たずに砂漠を歩いたら、人は簡単に死んでしまう」
「その通りだ」
「だから、人は砂漠に囲まれたオアシスから離れることはできない」
「離れなければ、砂漠で苦しい思いをしなくても生きていける」
「……僕、オアシスっていうのは、まず砂漠が先にあって、そこに地下水が噴き出したりして生まれるものだと思ってた」
「地理の難しい話はよくわからないけど、そうかもしれないね」
「でも、僕が迷い込んだオアシスは、元々森だったのかもしれない」
「……」
「最初は綺麗な森がどこまでも広がっていたはずなのに、気がついたら僕が今いる場所を除いて一面砂漠で、逃げ場がなくなってしまった」
「それは災難だね。でも、私だけはずっと君のオアシスでいるから大丈夫だよ」
「そう、君は僕のオアシス。だから僕はきっと、もうどこにも行けないね」
「どこにも行かなくていいんだよ」
「君が半袖にしてるとこ、初めて見た」
「似合うでしょ」
君の真っ白い腕が、日の光に晒された。
【半袖で隠せない箇所は】
「去年まで一年中長袖だったから、ムダ毛でも気にしてるのかと思った」
「もう少し言い方ってもんがあるでしょ。私は可愛いからムダ毛なんてないの」
「どういう理屈……?」
発言の意味は謎だが、僕に対して肌を露出することを異常に嫌っていたあの頃を思うと、夢みたいな状況だ。それだけ心を許してくれたのだと感慨深い気持ちになる。
「……ところで」
「うん?」
「半袖にしたせいで、リストバンドが見えるようになってしまって、少し目立つね」
「……」
「よければ、君が隠してくれない?」
差し出された君の左手には、リストバンド。お洒落のために着けているわけではないと一目でわかるデザイン。
「いいけど、くっついたら暑くない? せっかく半袖になったのに」
「いいの。君の体温を感じるために、半袖になったんだから」
夏に似つかわしくない厚い布の塊を、世界から覆い隠すみたいにそっと僕の手で包み込んだ。
「もしも過去へと行けるなら、いつに戻って何をする?」
「なかなか夢のある話題だね。いつに戻るにしても、僕は何もしないと思う」
「なかなか夢のない返しだね」
【もしも過去へと行けるなら、行けたとしても】
「だって、僕にとっては君の隣に立っている今こそ夢みたいな状況で、わざわざ変える必要が一切ないからなあ」
「君はまた恥ずかしげもなくそんなことを」
「……あ、でも」
「お、さすがに一つくらい変えたい過去があるか」
「いや、告白が成功した直後に戻って、『よくやった』って過去の僕に言ってあげたい」
「過去に戻る権利をそんな下らないことに使うのは世界で君くらいだろうね」
「だって、本当にそれくらいしか思い浮かばないもん。そういう君は、過去に戻ってやりたいことがあるの?」
「うん、君に会う前の私のところに行って、『大丈夫だよ』って言ってあげたい」