「思うに、選択にこそ人格が宿るんじゃないかな」
「何急に。持って回った言い方しちゃって」
「つまり僕は、君の人格を愛してるってことだ。イカの塩辛が好きな君が好きってこと」
君が、買い物かごに入れようとしていた塩辛をさっと背中に隠した。
【I love what you love.】
「隠すことないじゃん。僕は君のそういう、若い女性らしからぬ選択が好きだと主張してるんだ」
「いっそストレートにおっさん臭いって言ってよぉ……」
「別に、いわゆるおっさんと取る選択が類似しているのは重要じゃないよ。君の選択は、『好き』は唯一無二だ」
「……難しい言い回ししないで。よくわかんない」
「うーん……」
僕は少し考えて、続ける。
「チョコミントのチョコ抜きみたいなアイスを好んで食べる君が好き。昔大炎上した歌い手のことを今でも好きな君が好き。エメラルドゴキブリバチの話を目を輝かせながらするほど好きな君が好き」
「悪趣味としか言われたことないなあ……」
「君の『好き』をジグソーパズルみたいに全部集めて並べたら、その中心に空洞の君――君の型みたいなものが現れる。その輪郭が、好き」
淀みなく言いきってから君の表情をうかがう。君はちょっと困ったような、でも嫌がってはいなそうな顔をしていた。
「君も、私を形作る選択の……『好き』の一つだからね」
びっ、と人差し指を立てて、まるで啖呵を切るみたいに君は言った。
「……この趣味嗜好を持った人に好かれてるのかあ、僕」
「ちょっと! やっぱり君も悪趣味だと思ってるんじゃん!」
頬を膨らませる君の抗議を笑って受け流しながら、君が選んだ僕も持っているはずの、君の断片を思った。
雨音が、耳に手を沿えるみたいに優しく、さあっと僕らを包み込む。だから、
「嫌い」
って君の言葉は、聞こえなかったことにするね。
【雨音に包まれていたから】
「大嫌い、どっか行ってよ!」
「聞こえないなあ、雨音がうるさくて」
「うそつき。こんな小雨に、言葉を掻き消す力なんてないよ」
でも、言い訳くらいにはなる。
「泣かないでよ」
「泣いてないっ! 雨のせいだよ!」
「こんな小雨で、そんなに濡れるわけないでしょ」
「うるさいなあ! せっかく雨が降ってるんだから、言い訳くらいさせてよっ!」
なんだ、君だって雨を都合よく言い訳に使うんじゃないか。
「僕のために嘘なんてつかなくていいんだよ。君の本音を聞かせて」
「……私は」
――どこにも、行かないでほしい。
「……ごめん、やっぱ嘘。雨で聞こえなかったことにしてよ」
伝えるつもりでなかったことを言ってしまった、とばかりに、君は首を横に振った。
「無理だよ。こんな小雨に、言葉を掻き消す力なんてない」
「ずるい、さっきと言ってること違うじゃん」
「君こそね」
聞こえるけど聞こえない。聞こえないけど聞こえる。
僕らは、雨音の中ではいくらでも卑怯に、身勝手になれるのだ。それすらも全部、優しく包んでくれるから。
僕の彼女は、美しい。立ち姿が、笑顔が、振る舞いが。
「僕は、君みたいに美しい部分なんて一つも持ってない」
「あるよ。君が、私に美しさで勝ってる部分」
「え?」
【君より美しいそれ】
「えっ、ど、どこ? ……いや待って、自分で考えたい!」
心根まで美しい君は、こういうときにお世辞を言ったりはしない。その君から、一つでも美しさで勝てる部分があると言ってもらえたのが嬉しい。負けず嫌いなわけじゃないけど、君とはなるべく対等でいたいから。
「顔……は言わずもがな君の方が美しいね。姿勢……も駄目だな。君のぴんと伸びた背筋がこの世で一番美しいに決まってる。君は書く文字すら美しいよね。というかもう、選ぶ服も足の運びかたも、頭から爪先まで余すところなく美しいよね、君は」
言葉通り頭から爪先まで君をじっくり観察して、言う。ちょっと照れたような表情も当然、美しい。
だけど観察の甲斐あって、気づいた。ここなら、確かに僕の方が美しいかもしれない。
「目か……!」
「目?」
「僕の目は常に美しい君を映しているけど、君は鏡でも見ないと君自身を映すことはできないからね」
「……」
「……え、違うの?」
「あはは、違うよお。なんでそんなとんちみたいな答えになるの」
声を出して笑うのにすら気品を感じる。本当に美しい人だ。……だからこそ、今の答え以外で君に勝っている部分なんてないと思うが。
「私は、そうやって君が私を褒めるために使ってくれる言葉の一つ一つが、世界で一番美しいって思ってるよ!」
「どうしてこの世界は、こんなにも不公平なんだろう」
「雨の日に傘を忘れた程度で大げさな」
僕の真剣な呟きを、君はたやすく笑い飛ばした。
【どうしてこの世界は、僕にばかり】
「でも、僕が傘を忘れた日にピンポイントで雨が降ったんだよ」
「そういうこともあるでしょ」
「さっきはトラックが跳ねた水がかかったし」
「それは災難だったけど」
「おまけに電柱にぶつかるし」
「不公平とかかなあ、それ。ただの不注意じゃない?」
ほら、そうやって僕に苦笑いの表情を向けてくるのも、不公平だ!
「そんなこと言ったって、世界は変わってくれないよ」
「それでも嘆かずにいられないんだよ! どうしてこの世界は、僕にばかり幸せを集めてしまうんだ!」
「……?」
あ、今度はキョトン顔。不公平だ!
「……傘、忘れちゃったんだよね?」
「おかげで君と相合傘ができた」
「トラックに水をかけられたし」
「おかげで君の優しさに触れられた。『大丈夫?』なんて素敵な言葉までもらえた」
「電柱に頭を思いっきりぶつけてたけど……」
「おかげで君の笑顔を独り占めできた。ああ、思い返すほどに不公平だ! 世界よ、僕が何をしたって言うんだ!」
心から困惑した君の表情まで独り占めなんて、世界はどこまで不公平になれば気が済むのだろう。
「……この世界はって君は言うけど、君となら、どの世界でも楽しめそうな気がするよ」
もはや不公平を呪う気すら起こらないほどに柔らかい笑顔で君は言った。
「あの月さあ……」
月を仰ぎ見る君の横顔は、夜の冷気のせいか、少し頬が赤く色づいている。
「ちょうど手で掴みやすそうな欠け具合で、綺麗じゃない?」
僕も君と同じように夜空を降り仰いで、言った。
「君、体から何か分泌してたりする?」
「は???」
【君と歩いた道はどうしてこんなに綺麗なの?】
「なに、なんか表現気持ち悪っ! 分泌って言葉選びが絶妙に怖いよ……」
「いや、ほんとにそうとしか考えられないんだって」
「真面目な顔で言わないでよぉ……。っていうか、話変わりすぎじゃない? 私、ロマンチックな話してたんだけど。月が綺麗って言ったんだけど」
ちら、と何かをねだるような上目遣いが僕に向けられる。
「別に、話は変わってないよ。君の言う通り、確かに月は綺麗だ。僕はそれがおかしいと言いたいんだ」
「……?」
「月だけじゃない。君と歩いた道にはいつもたんぽぽが咲き誇って綿毛が飛び交ってるし、小鳥が楽しそうな歌声を高らかに響かせてるし、太陽や月の光の差し込み方すら、余さず美しい。これはもう、君の体から花を咲かせ鳥を喜ばせ、月や太陽の輝きを強くする物質でも出てないと説明がつかないよ」
何かを説明するときに長々と畳み掛けるように話してしまう僕の癖を、君は笑ったり嫌がったりしたことがない。驚いたように二、三度瞬きをしてから、君は言葉を探すようにおずおずと口を開いた。
「……君、そもそも花も鳥も月も、そんなに興味ないでしょ」
「え……?」
「私と一緒にいないとき、こうやって夜空を見上げたり、足元の花に目を向けたり、鳥や風の声に耳を傾けたこと、ある?」
「言われてみれば、ない、かも……?」
僕は無駄なことがあまり好きではない。好きではないというか、わざわざ無駄なことをしようという発想がない。だから君の言う通り、君がいないときにわざわざ世界の美しさに意識を向けようとは、あまり思わないかもしれない。
「つまり、月は最初から綺麗だった、ってこと……!?」
人生最大の衝撃かもしれない。そうか、月って綺麗なのか。月だけじゃない。花も、鳥の歌声や風のそよぐ音も全部綺麗だと知っているから、君はその美しさを、いつも僕に教えてくれていたのか。
隣を見ると、君も僕に負けず劣らず、衝撃を受けたというような表情をしていた。
「……君、文学にも興味なかったよね」
「え? まあ、あまり意味を見いだせないね」
「はあ……」
君が教えてくれた世界の分だけ、僕も美しいものを教え返せるだろうか。なんて、ふと思う。教わりっぱなしは性に合わないのだ。こう見えて、勉強(理数系に限る)は得意なんだ。
「今のため息、すごく澄んでいて、綺麗だった!」
「は!? ば、馬鹿じゃないの!?」
「あ、今の君の顔色。僕が今まで見た赤の中で、一番好きだな」
「なんなのもぉー……!」
君ほどに世界に興味を持つことはできないけれど、君の綺麗なところなら、君よりわかると思うから。