「あの月さあ……」
月を仰ぎ見る君の横顔は、夜の冷気のせいか、少し頬が赤く色づいている。
「ちょうど手で掴みやすそうな欠け具合で、綺麗じゃない?」
僕も君と同じように夜空を降り仰いで、言った。
「君、体から何か分泌してたりする?」
「は???」
【君と歩いた道はどうしてこんなに綺麗なの?】
「なに、なんか表現気持ち悪っ! 分泌って言葉選びが絶妙に怖いよ……」
「いや、ほんとにそうとしか考えられないんだって」
「真面目な顔で言わないでよぉ……。っていうか、話変わりすぎじゃない? 私、ロマンチックな話してたんだけど。月が綺麗って言ったんだけど」
ちら、と何かをねだるような上目遣いが僕に向けられる。
「別に、話は変わってないよ。君の言う通り、確かに月は綺麗だ。僕はそれがおかしいと言いたいんだ」
「……?」
「月だけじゃない。君と歩いた道にはいつもたんぽぽが咲き誇って綿毛が飛び交ってるし、小鳥が楽しそうな歌声を高らかに響かせてるし、太陽や月の光の差し込み方すら、余さず美しい。これはもう、君の体から花を咲かせ鳥を喜ばせ、月や太陽の輝きを強くする物質でも出てないと説明がつかないよ」
何かを説明するときに長々と畳み掛けるように話してしまう僕の癖を、君は笑ったり嫌がったりしたことがない。驚いたように二、三度瞬きをしてから、君は言葉を探すようにおずおずと口を開いた。
「……君、そもそも花も鳥も月も、そんなに興味ないでしょ」
「え……?」
「私と一緒にいないとき、こうやって夜空を見上げたり、足元の花に目を向けたり、鳥や風の声に耳を傾けたこと、ある?」
「言われてみれば、ない、かも……?」
僕は無駄なことがあまり好きではない。好きではないというか、わざわざ無駄なことをしようという発想がない。だから君の言う通り、君がいないときにわざわざ世界の美しさに意識を向けようとは、あまり思わないかもしれない。
「つまり、月は最初から綺麗だった、ってこと……!?」
人生最大の衝撃かもしれない。そうか、月って綺麗なのか。月だけじゃない。花も、鳥の歌声や風のそよぐ音も全部綺麗だと知っているから、君はその美しさを、いつも僕に教えてくれていたのか。
隣を見ると、君も僕に負けず劣らず、衝撃を受けたというような表情をしていた。
「……君、文学にも興味なかったよね」
「え? まあ、あまり意味を見いだせないね」
「はあ……」
君が教えてくれた世界の分だけ、僕も美しいものを教え返せるだろうか。なんて、ふと思う。教わりっぱなしは性に合わないのだ。こう見えて、勉強(理数系に限る)は得意なんだ。
「今のため息、すごく澄んでいて、綺麗だった!」
「は!? ば、馬鹿じゃないの!?」
「あ、今の君の顔色。僕が今まで見た赤の中で、一番好きだな」
「なんなのもぉー……!」
君ほどに世界に興味を持つことはできないけれど、君の綺麗なところなら、君よりわかると思うから。
6/9/2025, 4:22:24 AM