僕の名前が宛名に書かれた、君からの手紙。愛らしい白い手紙を開くと……
雪国であった。
【手紙を開くと広がる雪国】
もちろん今のは比喩だが、そう言いたくなるほどに、手紙の中の世界は真っ白だった。文字はもちろん絵や写真、何かを書こうとした痕跡すらない。これは一体どういうことだ。
[なにこれ]
真っ白な手紙の写真を撮り、LINEで君に送りつける。返信はすぐにきた。
[あ、届いた?]
[届いた。これはどういうつもり?]
[どういうつもりもなにも、どう見ても手紙でしょ]
[どう見ても白紙だからLINEしたんだけど]
もう一度君からの手紙を見つめる。白紙の向こうに僕を惑わせてしたり顔の君が見えた気がして、それをぽいと放った。
[君は「炙り出し」って知ってる?]
あっ、と思って手紙を拾い上げる。なるほど、それなら君が一見白紙に見えるものをわざわざ送ってきた理由も説明がつく。まあ、わざわざそんな面倒な方法でメッセージを送ってくる理由は謎だが。
ライターを取り出し、手紙に火がつかないよう慎重に炙る。二分ほどそうしたところで、君から
[まあこれは全然そういうのじゃないんだけど]
と届いたので
[時間返せ]
と送った。
[君って意外と素直なところあるよね]
[僕を困らせて何が楽しいんだ]
焦げ目のついた紙の向こうに、やっぱり君のしたり顔が見える。
[君は楽しくないの?私とこうしてLINEのやり取りするの]
……返答に窮してしまった。
[きっかけはなんだっていいんだよ]
[それこそ、白紙の手紙でも]
[内容なんかスカスカでも]
[私はただ、君とこうしていたい]
[君、全然LINEくれないんだもん]
立て続けのメッセージ。しばらく、お互い新たなメッセージを打ち込まなかった。先に沈黙を破ったのは、僕だった。
[そんなに毎日、送るようなことなんてないし]
[何でもいいんだって。君が、私と話したいって意思を示してくれたら、それで]
なるほど、そういうものかもしれない。白紙の手紙が僕をうろたえさせたように、何かを送るというアクションそのものが、相手のリアクションを引き出し、そうしてコミュニケーションになる。
[……善処する]
と打ち込むと、
[あー、それ何もしない人の常套句じゃん]
[この前もさあ]
と、まだ話を続けたそうに画面上で文字が踊った。
――後日、彼女のLINEにスペースキーを連打しただけのメッセージを送ったら「そういうことじゃない」と怒られたのは、また別の話。
「この服、君に似合うと思うなあ」
と、君が僕に言うとき、君の瞳は僕じゃない誰かを見つめている。
【すれ違う二対の瞳】
「黒系の服ってあんまり着ないなあ」
「嘘ぉ。その顔立ちなら絶対似合うってぇ」
「その顔立ちなら」。君が僕の背後に見ている、僕じゃない誰か。僕の知らない、君が本当に好きな誰かとよく似ている、この顔立ちなら。
「迷惑じゃなければ私が買ってプレゼントするよ?」
まっすぐに僕の顔を見て、君は言う。こういうとき、僕は僕の体がまるで幽霊みたいに透明になって、君の瞳に映っていない、なんて妄想をする。
「……いいよ、僕もこういう服、着てみたいと思ってたし。自分で買う」
「君のそういう優しいとこ、大好きっ!」
と、「僕に向かって」笑いかけてくれる、君の幻影を瞳に映す。
「青を突き詰めると、どうなるのだろう」
と、僕が何気なくこぼすと、
「黒くなるんだよ」
と、君は答える。
ぷしゅっ、と炭酸がペットボトルから解放される音が、二つ重なった。
【青い青い春を煮詰めて】
「黒?」
「うん、黒。暗黒。あるいは、虚無」
「なんでまた」
「だって、このどこまでも続く青空の上には、宇宙が広がっているじゃない」
「なるほど」
僕は一つ頷いて、理科の教科書で見た絵を頭に描いた。空の青が、上空に向かうに従ってだんだん濃くなってゆき、濃紺を経て宇宙の黒になる。
「あるいは、ブルーハワイのかき氷シロップで想像してもいい。あの液体を鍋に入れて、煮詰める。水分が飛んで、だんだん青い成分が凝縮されていく。そして最後には……」
「鍋の底に、黒が残る」
「そういうこと」
僕が理解を示したことに満足したのか、君はどこか楽しそうに頷いた。
「……青の先の色は、黒」
君の言葉を咀嚼するように、僕は呟く。
「じゃあ、青い春はいつか、黒い春になるの?」
「……そうなる前に、私たちは青であることをやめるべきだね」
「そうなる前って、いつ? どこまでが青で、どこからが黒なの?」
「さあ。もしかしたら、今日がその、青でいられる最終日かもしれない」
こともなげに君は言う。明日の天気の話をしているみたいな、間違いなく自分の生活に関わる話なのにどこか他人事のような響き。
「……それは、二時間目からでも授業に出るという宣言と取っていいの?」
「どうしようね。チャイムが鳴ってから考えるよ」
「それじゃ、いいとこ遅刻止まりだよ」
分かっている。こうして授業をサボって買い食いすることを安易に「エモい」とラベリングして、青春を謳歌できる時間なんて限られている。そう何度も繰り返していいイベントじゃない。それはたぶん、善悪とは別の次元の話だ。かき氷シロップは、何時間も煮詰めてはいけない。最初のうちは青が濃縮されていくのが楽しいかもしれないが、すぐにその夢のような青も黒く汚されてしまう。
そういうことに気づかない「青いガキ」の方が、こういう逃避行のお供には向いているのだろうな。それでも、僕の隣にいるのはどうしようもなく濃紺の君で、僕自身もまた、これ以上煮詰めたら危険な藍の色をしている。
「ねえ、学校まで競争しようよ」
こくん、真っ黒なコーラを一口飲んで、君は僕に笑いかけた。
「先についたほうが、負けね」
「……僕、結構負けず嫌いだよ」
「望むところ」
僕もコーラに口をつけた。火力を下げて、ゆっくり、ゆっくり。たぶんお互いに、相手が火から下ろしてくれたらな、なんて、甘ったれた子供みたいなことを考えている。
「ね、君の人生で一番甘かったものって何?」
ぱくり。鮮やかな赤色のトマトを口に放り込みながら、君はそんなことを言った。
【主観的sweet memories】
「……急に何?」
「いや、期末の結果がよかったから、どうせなら自分へのご褒美に、とびっきり甘いものが食べたいなって」
「なるほど……」
弁当箱の中のミートボールを箸でつつきながら、少し考えてみる。スイーツ好きの君と違って、僕はそういうものには詳しくないのだけれど……。
「……あ」
「思い浮かんだ? なになに?」
「これ」
と、僕はミートボールの隣に納められていた、卵焼きを箸でつまんだ。
「……え」
「君が作ってくれる、世界で一番おいしい卵焼き」
「もう、君はすぐそういうことを……。じゃなくて、いや、その卵焼きは……」
「僕が卵焼きはしょっぱいの派だって伝えたら、自分は甘いの派なのにわざわざ作り方調べてくれた卵焼き」
「……」
「『自分のやつのついでだから』って言うくせに、君の弁当箱に入ってるのとは違う味付けの卵焼き」
「……何のつもり?」
そんな言い方は心外だ。僕がらしくもなく、こんなキザったらしい……甘い言葉を口にしているというのに。
「…………つまり君は、その卵焼きは口に合わないと言いたいわけだね?」
「え!? いや、そうじゃなくて……」
「君はしょっぱいの派だもんねえ。私が甘い卵焼きしか作れなくて申し訳ないねえ」
「ねえ、意味わかってて言ってるよね?」
……慣れないことをするものではないな。
「ちなみにね」
一足先に弁当を食べ終えた君が立ち上がり、こちらを振り返って言った。
「私の人生で一番甘かったのはね、部活や委員会なんかで学校を出るのが遅れる君を待ちながらカフェで飲む、ブラックのホットコーヒー」
君は笑う。とびきり甘い笑顔で。
「……それは、人の金で飲むコーヒーは蜜の味ってこと?」
「え!?」
「そっかあ。僕を待ってくれてるんだからお代くらいはって今まで思ってたけど、そういうことを言うんなら今度からはやめにしようかな」
「……慣れないことをするものではないね」
僕も弁当を食べ終え、立ち上がって君の隣に並んだ。
「やっぱり甘いものは口に入れるものであって、口から出すものじゃないね」
「同感。私、あのカフェでパフェ食べようかな」
「いいんじゃない?」
二人横並びで、昇降口へと歩き出す。
「学校遅刻しちゃう、急ごうっ!」
君に手を引かれる。足をもつれさせながら走る。風と踊っているみたいだ、と思う。
【風と踊って踊らされて】
「お母さんすっごい怒ってる、逃げようっ!」
君の背中越しに見る世界が好きだった。君が右、左と体を動かすのにぴったりついていけば、まるで世界の方が君に道を開けるみたいに、君のことを恐れているみたいに右に左に避けていくのだ。
「先生に捕まったら補習参加させられる、走ろうっ!」
君の背中越しに頬を撫でる風が好きだった。生ぬるい風とすれ違うとき、僕らも彼らの仲間であるような気分になれるのだ。
「上司に見つかったら残業命じられるよ、行こうっ!」
君の背中越しに届く声が好きだった。君が空間に置き去りにした声に直接頭を突っ込んでいるみたいで、お互い静止した状態で普通に会話するのでは聞けない声のような気がしたのだ。
「警察の人来ちゃうよ、進もうっ!」
びゅう、と風が鳴いた。追い風だ、と思った直後、ばきりと嫌な音。風に翻弄されていた木の枝がとうとう折れて、僕の足元まで流れてきたのだ。
「朝になっちゃうよ、急ごうっ!」
差し出された君の手を取った。