しいな

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8/11/2023, 12:21:50 PM

初めて貰った贈り物はぶかぶかの麦わら帽子だった。

今まで年に数回しか会わないどころか、まともに顔も合わせたことがなかった。物心着いた時には、父親とは仕事が忙しくて家に帰ることは無い存在だったのだ。
それが世間一般の父親像と違うとわかったのは小学生の時。みんなのお父さんは仕事が終わったら家に帰ってきて、今日楽しかったことや悲しかったことを聞いてくれるそうだ。

「どうして、私の父さんはおうちに帰ってこないの?」
そう母親に聞いたことが一度だけある。純然たる疑問だった。どうして私の家だけ違うんだろう?私は気が付かなかっただけで悪い子なのかな。だから、私のところには父さんは帰ってきてくれなくて、会ってくれないんだ。
その時の母親の顔が今でも忘れられない。いつも私の前では優しく笑っていたのに、泣きそうな顔をしていた。まるで涙が零れないようにぎゅっと眉を寄せてきつく結んで。それでも目は私を不安にさせまいと、笑おうとしていた。私はそれ以上何も言えなかった。

そんなことがあった直後だった。ぶかぶかの麦わら帽子が贈られてきたのは。ずうっと前からたくさん練習して、貼り付けたような笑顔と声で母親はこう言ったのだ。
「今は沖縄にいるんですって。貴方にきっと似合うだろうからって張り切って選んだそうよ。
…とてもよく似合っているわ」

だから私もにこっと笑って、ドラマの中の女の子みたいに明るく振舞って、感謝とともに母親に抱きついた。そうすればいつものお母さんに戻ってくれると信じて。

あの時貰った麦わら帽子がちょうどピッタリになるくらい、時間が経った。興信所から手紙も届いた。今日こそ、顔も声も知らないわたしの父親に会いに行くのだ。




8/9/2023, 1:24:24 PM

「ラジオネーム、先生のメガネにイタズラしたい平凡な学生、くん。お便りありがとう。先生のメガネにイタズラするのは良くないからやめたほうがいいだろう」

勉強の合間に聞く週一回の楽しみ。それがこのラジオだ。元教師だとかいうアイドルがメインパーソナリティをしているらしい。名前は忘れた。声色は硬くダイアモンドのようで、毎回ご丁寧にふざけたラジオネームにツッコミを入れている。真面目も真面目、超がつくほどの堅物なんだろう。クラスメイトがメガネをした銀髪のアイドルなんだと噂していた気がするがよく覚えていない。

時刻は時計の長針がてっぺんに到達しそうな頃。そろそろ寝なければいけないが今日のノルマがクリア出来ていないから無理だ。僕が決めた訳では無いが、終わり次第報告をしなければならない。このラジオを聞いているのだって本当は内緒なのだ。

「最近勉強しても成績が伸びません。両親の期待に応えられるような結果が出せなくて、辛くて、勉強なんてもうやめてしまいたいんです。どうしたら上手くいくんでしょうか。
…沢山努力している君の気持ちは十分に伝わってきた。だが、勉強の目的が両親の期待に応えるため、というのは申し訳ないがいただけないな。
勉強というのは、自分の為にあるものだ。知識とは何物にも変え難い財産であり、その習得に費やした時間は無駄にはならない。けして誰かの為に行うものではないんだ。
上手くいかないこともあるだろう。挫折することは誰しも望まない。それでも挫折や失敗から学べることも沢山ある。私も教師からアイドルになってから気がついたことが山ほどある。その知識や学びを君たちとこれからも共有していきたい。上手くいかなくたっていい。辛い時には私たちや今も一緒に勉強している仲間がいることを忘れないでくれ」

思わず眼から涙が溢れていた。独りじゃない。上手くいかなくたっていいんだ。
…ひとしきり泣いたあとに僕はまたペンを握った。僕のために、勉強するために。

8/8/2023, 2:09:20 PM

実家が旅館だからといって、着物が似合うお淑やかな大和撫子と思ったら大間違いだ。
過剰な程に蝶よ花よ可愛がられて、執拗に綺麗に身体を整えられて跡継ぎになるべく教育を施されてきた。ここまではよくある話だろう。もはや宿命なのかと言いたいほどだ。

そんな時代錯誤も甚だしい教育もかれこれ十五年経った。母は優しい。基本的には、とオプションを付けた方が正しいが。私が少しでもお転婆をしようものなら、すぐさま厳しい教育が施される。例えば、私がうん、と頷くまでこんこんとお話を聞かされる。厳しくないって?傍から見ればね。その他にも色々とあるが、非常に情緒には宜しくないだろう。その話はまた今度で。

今日も朝から身支度を整えさせられて、お太鼓結びをする。寝起きでも完璧な形を作れるほどになった。もはや笑いたい気持ちもある。
その後は家業の手伝いだ。歩き方を間違えようものならすぐさま指導が入る。もちろん場所は問わない。社員旅行の宴会中でも、廊下でもその場で指導だ。

え、普通のお話に聞こえると?
まあ、そう思うのも仕方ない。私が女であればな。

8/7/2023, 1:33:13 PM

出会いはあまりにも理不尽だった。今でも忘れることはない、この先思い出すこともないだろう。

素敵な御人と出会い、恋をして、愛を育むなど理想の結婚が叶うことは無いと思っていたけれど、当時は考えうる限り最悪だった。
家業である雑貨屋が同業の嫌がらせにより廃業。父は類まれなる話術で商才に恵まれていたからだろうか。慕う人も多かったけれど、その才能を妬む人達も大勢いた。
そしてあろう事か我が家を救う条件として、私と同業者の息子の結婚を結ばせた。私は人柱と言ったところだろう。父の切羽詰まった表情をみてしまったら断る術はなかった。

最初から決まっていたことだ。明日、私はこの生家を旅立っていく。

8/6/2023, 12:39:04 PM

一番星まで。

彼は太陽のようだと、同じ事務所に所属する奴等は評する。知識に明るい、目映い笑顔、良く通る暖かく時には日陰もあるような木漏れ日のような歌声。

人間誰しも二面性があり、裏と表を使い分けて生きているのだろう。
僕だってその一人だ。ファンの望む完璧なアイドル像と、元医師として姉さんの身体を蝕んだ病気を根絶するために邁進する自分はかけ離れている。

だから、奴にも僕達ですら知らない一面があるはずだ。太陽のような目映さとは裏腹に、酷く冷静で理知的な姿を持ち合わせているのだろう。そうでなければ大手の弁護士事務所に所属しておきながら、勝算なしに安定した生活を手放すことはなかったはずだ。

直に目を当てることで失明してしまうほどの光源ではなく、皆を包み込むような光。きっと知っているのだ、自分の価値と他者に与える影響を。月を照らしだして他の者を輝かせる。全く、小賢しいことだ。あいつのくせに。

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