色野おと

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1/27/2024, 1:36:54 PM

テーマ/優しさ


学生のとき、ちょっとしたモデルの仕事をさせてもらっていたことがある。いわゆる読モではなくて、公共物のパンフだとか、電車等の中吊り広告に起用されるもので、ザックリ言ってしまえば〝素人感〟とか〝フツーの人っぽさ〟が演じられるモデル。

そんなアルバイト的な仕事をしていたときに、同じくモデルの仕事をしている女性と知り合った。歳は2月の早生まれで学年的には私と同学年。1年近く友達づきあいをさせてもらった。
小田急線で、私の大学は玉川学園前、彼女の短大は本厚木だったので、ときどき、町田駅にある東急百貨店町田店の中にあるアイスクリーム屋さんで仕事の入ってない日の学校帰りに待ち合わせて、30分か小一時間おしゃべりをするだけのことだったけれど、油絵を描く趣味が同じであったりとか話が合って楽しかった。

その程度の友達づきあいでしかなかった彼女に、郷里の新潟で当時中学三年の美樹の話をしてあげたことがあった。美樹は早生まれで2月6日が誕生日だと話したら、彼女が驚いた。実は彼女も美樹と同じ2月6日生まれだということを初めて教えてくれた。

不思議な縁だなあと思って、彼女に美樹の写真を見せてやったら、どことなく雰囲気が似ていると言って親近感を抱いたらしい。
そう言われてみれば、私は仕事上で表情を作っている彼女を見ていたせいか、それが彼女の素顔のように錯覚していたけれど、目の前でアイスを食べながら微笑んでいる彼女をよく見ていたら、確かに目元と口元が美樹と同じように思えた。

その後、松女短大を卒業した彼女はOLを経て本格的にモデル業に携わって、歌を歌う仕事に転身した。

1992年、美樹は玉女短大を卒業した後、何も理由の言葉も残さず姿を消した。実家のご両親に執拗いほど訊ねてみても本当のことを話してはくれなかった。
ショックが大きすぎて、どうしようもなく歌手デビューしたばかりで多忙なはずの彼女に聞いてほしくなった。

仕事の環境がガラッと変わった彼女に果たして繋がるかどうか分からない電話番号に、繋がってほしいと祈るように電話を掛けてみた。

「おと君、まだこの番号覚えていたんだね。社長から解約するように言われていたから、その前に繋がって良かったあ。でも……この電話に掛けてくるなんて、よほどのことがあったんじゃない?」

忙しいはずなのに、かつてのような優しい声が返ってきた。胸に溜まった苦しみがもう爆発しそうで、ダムが決壊したように美樹の失踪のことを彼女に打ち明けた。

「おと君。美樹ちゃんのことは写真も見せてもらったり、二人のそれまでの8年間の付き合いのことを話してもらったりしていたから、私なりによく分かっているつもり。だから言うね。美樹ちゃんはその理由を言ったら、おと君がもっと苦しむと思ったから何も言えなかったんだと思うの。それは美樹ちゃんなりの自分で選んだ優しさだったんだよ、多分……」

「そんなの……いなくなるほうが、どんな優しさであっても俺には辛すぎるよ。もう美樹の隣を歩けないって……そこには俺はいないんだって、そんなことを思うだけでも呼吸が変になって、苦しいよ」

と、私は涙ぐみながら安定しない声で返事をした。
彼女は一緒に泣いてくれた。そして

「今は泣くしかないよね。息もできないくらい泣いて泣いて、もっと目が腫れるまで泣いたっていいから。ひとの優しさってさ、いろんなカタチがあるけど、ひとりの人間が持っている優しさでも時にはカタチを変えるものだと思うの。美樹ちゃんの最後にみせた優しさはきっと、覚悟の優しさであって、おと君に優しくすることで自分を痛めつけるものだったんだよ。私にもそんな経験あるよ……その道しか選べなかったんだよ。おと君にそれを悟られたら嫌だったんじゃないかなあ。なにかの理由でその選択が一番いいことだって、美樹ちゃんは判断したんじゃないかな……だから、この先どんな結果になるとしても美樹ちゃんを恨まないでやってね」

それが、彼女から最後にもらった言葉で、最後にもらった優しさだった。その翌年、彼女は『君がいない』というタイトルで曲をリリースした。明るめの曲調で歌詞の最後に「切なく good-bye」と終わらせている。

その優しさ、ありがとう。
自分の人生、気持ち切り替えていこうって思ったんだ。

1/26/2024, 3:08:51 PM

テーマ/ミッドナイト


ミッドナイト。
真夜中……その言葉を聞くと私は思い出すことがある。
そして、同時にCarpentersの『Slow Dance』を聴きたくなる。


私が社会人1年生になった年、1990年の夏のこと。
東京で就職はしたけれど、お盆休みは東京で過ごすことなく、6歳年下の彼女と新潟へ帰ってきた。彼女は玉女短大1年生だけれど、私と同じ新潟の人間。彼女が短大を卒業したら一緒に新潟へ戻って結婚しようと約束もしていた。両家の親たちも将来はそういうことになるのだろうと、暗黙のうちに私たちの結婚を認めてくれていたこともあって、学生だった彼女は私のスケジュールに合わせて一緒に帰ってきたわけである。


そんな帰省中のある日。
彼女と二人で道の駅・越後出雲崎天領の里までドライブした帰りに、新潟海岸バイパスと呼ばれているR402号線沿いにある海辺にクルマのまま入っていった。

そこは新潟市内の海辺でも唯一、クルマのまま乗り入れても良い砂浜で、波ぎわをクルマで走ることができる広い浜辺なのである。父親のクルマがTOYOTA CAMRYの4WD(4輪駆動)だったから砂浜に乗り入れる勇気もあったわけなのだ。


日付はとうに過ぎていて、もうすぐ25時。
沖の遠くのほうでイカ漁船らしき集魚灯の小さな光の点がチラチラして見えていた。ゆるく波風が吹いているくらいなもので、真夜中の日本海の海辺にしては穏やかなほうだった。さざ波の音がムードを醸し出すように心地よく聴こえていた。

月あかりのおかげで、クルマのライトがなくても手元が見えるくらいの薄暗さだった。クルマの閉めたドアを背もたれにして砂の上に座り込んで、そのまま二人で何をしゃべるということもなく、しばらく水平線のチラチラした小さな光を見つめていた。


何も言葉はなくても気まずさは全然なくて、隣の静かな息づかいを感じているだけで二人の空気が成り立っていた。隣にいられるだけでいい。手を繋いで隣にいる……それだけでも十分満足しあえていた。
私は思いついたように
「美樹、ノド渇いてないか?大丈夫?」
と声をかけた。

「途中で買ったサイダー、もうぬるくなってるよね(笑)」
「それどころか、気が抜けてただのレモンジュース」
「飲もおっかなあ。楽しいからそれでも平気(笑)」
「なんもしゃべってないのに楽しい?」
「おと君は楽しくないの?」
「きっと楽しい。いや楽しい。ていうより平穏かな」
「じゃあずっと朝までこうしてても平気?」
「いや……風邪ひくかも(笑)」

そのときの美樹の笑う声がすごく好きだった。
25時を過ぎた真夜中だということさえも忘れて、そのまま夜明けのピンクに染まる空が見えるまで、のんびりとスローな空気で、どうでも良さそうなことを語り明かした。


帰りのクルマの中、美樹は何枚かあるCDの中からCarpentersのアルバム「愛の軌跡~ラヴラインズ」を選んでカーステに差し込んだ。それは去年、二人で一緒に買ったCDだった。1曲目から流せば良いのに彼女はスキップボタンを何度か押して曲を選んだ。

流れてきた曲は『Slow Dance』
この歌詞の中で、私も美樹もお気に入りの箇所がある。

When I saw you for the first time
I never thought that this could be
I never thought you'd come my way
I never thought I'd hear you say
Dance with me

(あなたと初めて会ったとき
あなたとこんなふうになるなんて
思ってもなかったのに……
私と一緒に踊りましょう)

◆◇𓏸✧︎✼••┈┈••┈┈


懐かしすぎて、あの頃に戻りたくなる。
あの真夜中の、あの場所に戻れたなら……

1/24/2024, 2:34:39 PM

テーマ/逆光



あれは小学4年生の頃のことだったと思う。
私は小学校へ入学したときから毎週日曜日には油絵教室に通っていた。その油絵教室の課題で、その題材を探すために近所の大きな白山公園までカメラを持って出掛けていたときだ。

私は公園の中央にある瓢箪池に架かる木の橋を渡っていた。その橋は藤棚になっていて、ちょうど藤の花が枝垂れて咲いていた。

橋の床板に落ちた木洩れ日の中を熊蜂の影が行き交っていて、半分遊び感覚でそれをうまく写真に撮れないかなあとしゃがみ込んで考えあぐねていた。今のようにデジタルではないから安易に試し撮りなんてできないし、そもそもその年代では試し撮りという考えさえ持ってはいなかった。

母方の祖父から譲り受けたRollei35sというフィルムカメラにも四角い窓で照度計の針を確認することはできたけれど、光のコントラストが強すぎるとその照度計もブレができるため、カメラ屋さんのアドバイスで単体の入射光式の露出計を携帯して適正露出・絞りを設定して撮影するようにしていた。かれこれ2年近く、そんな写真の撮り方をしていたので煩わしさみたいなものを感じることはなかった。

その露出計を木洩れ日の揺れる床板に直置きにして適正露出を測っていたときだった。
「やあ少年。お前さんは一体何をしてるんだ?」
と声を掛けられた。興味津々といった感じの踊るような調子のオジサンの声。

お遊びでとは思いながらも撮影することには真剣だったので、〝ジャマすんなよオッサン、ウルさいなあ〟と心の中で吐いたのだけれど、気持ちを抑えるという自己制御はできるようになっていた。

私は笑顔を作って声のほうへ見上げるように顔を上げた。藤棚の房のあいだからチラチラと漏れてくる直射日光のせいで、声を掛けてきたその人の顔の表情がよく見えない。笑っているのか?しかめっ面しているのか?
とりあえず、
「藤の花の揺れている影と熊蜂の影を一緒に写真に撮りたくて、この床に映る光の強さを測ってました」

するとそのオジサンがまた話し掛けてきた。
「お前さんみたいなまだ小さな小学生がそんな高度な写真の撮り方をするなんてね。そこまでする必要あるのかい?」

正直、バカにされたと思った。だから、
「ボクは絵の教室に通っていて油絵を専門に描いています。その題材選びのために、自分が描きたいと思ったものの正確な光の表現が欲しくて写真を撮っているだけです。油絵にとって正確な光と影の濃淡が必要だからやってることです。いけませんか?……それとも、通るのが邪魔なんだったら邪魔だということを伝えてくれたらいいことなんじゃないんですか?」

そしたら、そのオジサンは笑いながら
「お前さん、ものをハッキリと言える子だなあ。それとも怒らせてしまったかな?素直な反応というか、可愛くないというか、まだまだ可愛い男の子だ。お前さんがもう少しオトナになったら、私のやっている写真教室に来てみるといい。お前さんのやっている油絵と同じくらいに写真も楽しいものだから。撮影の邪魔をして悪かったね」

本気で言ったのかどうか分からない。
ただ、そう言っているとき、逆光の中でそのオジサンはニッコリ微笑んでいるように思えた。

1/23/2024, 11:41:56 PM

テーマ/こんな夢を見た


これは、私の夢日記にも書いた本当に見た夢の話。

二日前に見た夢なのですけれど、その更に数日前にも見た夢の続きの夢で、兎に角とても明晰で自分の意識に曖昧なところもなくて、しっかりとした考えを持っていたのです。見ている視界というか自分の立っている所から見ているものまで鮮明で。

その夢から覚めたとき、私はずっと起きていたような錯覚さえありました。変な言い方ですけれど、もう一つの別の人生と二股で生きているかのような感じというか……

夢の中の設定としては、数ヶ月前までアルバイトをしていた中華飯店に出戻りでまたアルバイトとして働けるかどうか打診している場面でした。

ただでも、私がこれまでの人生において中華飯店でアルバイトをしたことがあるのは、かれこれ37年も前の学生だった頃のこと。しかもその見た夢の中の鮮明なお店の構え、店内のレイアウトなどは学生の頃に働いていたお店とは全く違うものでした。

夢の始まりは中華飯店に電話をしているシーンでした。
電話はスマホではなくて、家デンからお店に掛けていて、重量のある受話器をしっかり耳に当てていました。その受話器から聞き覚えのある女店長の声で

「おやあ、色野組(ぐみ)じゃないかあ。久しぶり~」

という反応があったのです。
〝色野くん〟ではなくて〝色野ぐみ〟と……

私は前回のアルバイトのときに、特にほかのアルバイトの人達と仲良しグループを作っていたわけでもなく、どちらかと言えばソロでいることのほうが多かったので、女店長のその〝組(ぐみ)〟と付けて呼ばれたことに妙な感じを受けたのです。

そしてすぐにでもお店に顔を出して欲しいと言われたので、急いでお店にやって来ました。

すると厨房の奥のほうから女店長の「よく来てくれたねえ、色野組~!待ってたよ」というハリのある元気な声だけが聞こえると同時に、あねご肌で面倒見の良かった女性の先輩スタッフが姿を見せてくれたのです。

その女性の先輩スタッフは、身長が150センチくらいで私より背が低く、銀色の髪の毛に色白で透きとおるようなキレイな肌をしていて、薄く青白い瞳が少し怖いような奇異な雰囲気という容姿をしているのです。そしてカタコトの日本語で

「色野組、久しぶりだねえ。なんかちょっと見ないあいだに背が伸びたんじゃない?」

と言って来て……
私の年齢に対する意識は現実と変わらず57歳なので、先輩のその高校生にでも話しているかのような挨拶に違和感を覚えたのでした。考えてみたら、私はこの夢の中で《鏡》などの姿が映る何かを通して自分の姿を見てはいないのです。もしかすると、私はかなり若返っているのかもしれない?

この感覚って《人生何周目》という、前回の人生の記憶を残したまま次の人生をやり直しているのと同じだなあ……なんて思ったりしたのです。
きっとこの夢は前世の夢で、私はその何周目かの人生で成すべきことを成し遂げたのかもしれません。

1/22/2024, 2:43:30 PM

テーマ/タイムマシーン


タイムマシーンに乗るお話って、みんな過去に行くお話ばかりなのだけれど、それだけ私たちって過去に影響されて生きているってことですよね?

過去は変えられない。でも、過去を実体験することで大切な気づきを得ることになるっていう王道のストーリーがあるわけで。

でも実は私、過去を変えてしまったんです。
告白します。私は過去に行ってきました。

何を変えたかって?
いや、普通そこは「本当に過去へ行ったのか?」って聞くものではないでしょうか?……まあいいでしょう。

私が過去で変えてきたものというのは……
卑弥呼様が月に帰ってからの400年近くに及ぶ魔物との幻魔大戦の世の中が存在しなかったかのように、あらゆる歴史書を改ざんしたことです。

ええ、そうなんです。
何かをなかったことにすることは出来ても、何かがあったことにするなんてことは人間の力では出来ないことだからです。魔物と人間との壮絶な闘いがなかったことにすることは出来ました。でも、その代わりとしての400年近くの歴史的な出来事を無から作り出すことなど出来ませんでしたよ。卑弥呼様のお力ならば創り出すことも出来たのかもしれませんが。

日本の古代史で空白の時代があるのはそのせいです。
そのタイムマシーンはどうしたかって?
今から2000年後の未来へ行ってきました。そこで乗り捨てて、その時代のタイムマシーンで今の時代に連れて来てもらって戻ってきたわけです。

そりゃあそうですよ。タイムマシーンなんてモノは今の時代にはあってはいけない乗り物なので。その2000年後の世界の人がそのように言っていたので……そうです、彼らにとっては今の時代が過去のものなので、2000年前である今の2024年の史実を変えてはいけないと判断したわけです。もう、これくらいでよろしいでしょうか。それでは神の名のもとに、ごきげんよう。



そう言って、全身総白づくめのワンピースのような装いをして、首からは綺麗に磨かれた紺碧色の大きな勾玉の飾りを提げた怪しげな男は3人のSPに守られながら、ガラス張りの長い廊下の奥へと姿を消していった。

この取材を引き受けたジャーナリストである私は、この取材中、その男の白銀色した長い髪の毛が左右で瓢箪のような形で結われていたり、みぞおち辺りまで伸びた長く白い艶のあるあご髭だとか、窪んだ眼窩に青白い瞳が光るような眼をしていたり、彫りの深い面持ちなど、なんだかまるで映画の中で実写化された古代人をリアルに目の前にしているような気分だった。

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