色野おと

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2/16/2024, 5:33:09 AM

テーマ/10年後の私から届いた手紙



10年前、この手紙が私に届くことはなかった。
でも、並行したもうひとつの私の世界では……と、一縷の望みを託す。



10年前の私へ。

そう、今の君に宛てて手紙を書くことにした。
だから、この手紙を君が読んでいるのは2014年であることを願う。
よく聞いてくれ。
君は、自分の人生の中で一番、自分の気持ちに嘘をついていた……自分を欺いていた。後悔が先に立ってくれたらいいのに。君は4年後の2018年、とても悲しいくらい本当のさびしさを体験することになるんだ。この世には涙しかないんだって、泣いて過ごすことになる。

でも今だったら、まだ間にあうから。
彼女、真由子の病気と一緒に闘ってくれ。
彼女は君と別れたことを後悔していたんだ……絶望のせいで病気と闘う気力さえも失うことになった。
今から4年後、真由子は覚悟を決めて君にそのことを伝えてくることになる。もう彼女には3か月しかないという人生のタイムリミットが課せられていたんだ。

この手紙を書いても、私の人生は変わらないかもしれない。
だけど、もしかしたら君の世界の、10年前の私である君の人生では、彼女は……真由子はガンを克服して、一緒に人生を歩んでゆけるかもしれない。
そうして隣にならんで、ともに手をつないで彼女と一緒に歳を重ねていってほしいと、私は願う。

どうか、どうかこの手紙が君に届いてくれますように。
どうか、どうか真由子が泣かないですむ未来に繋がってくれますように。
どうか、どうか神様。私は一生をかけて願うから。神様に祈り続けるから。君と真由子が幸せで笑って過ごせますようにと。

2/8/2024, 8:54:35 AM

テーマ/どこにも書けないこと



だから此処にも書くことができない。


……誰にも言えず、
お墓に持っていくしかない〝こと〟があるのです。
世間に知られてはいけない。
少なくともあと76年間は秘密に……そういう約束。


76年後になれば明らかになるのでしょうけれど、
もうそのときは、私はこの世界には存在しません。
でも、また生まれ変わることも約束されました。
遠く、果てしなく遠く……
もう誰もが忘れた最初の約束のことを……

2/2/2024, 7:31:30 PM

テーマ/勿忘草(わすれなぐさ)



vergissmeinnicht ふぇあぎすまいんにひと

〝僕のことを忘れないでください〟

騎士ルドルフはそう言って、最後の力を尽くしてこの花を恋人のベルタに投げると、ドナウ川の流れに飲み込まれてしまった。
ベルタは彼のお墓にその花を添えて、彼の最後の言葉をその花に名づけた。

私はこの水浅葱色(みずあさぎいろ)の小さな花が愛おしく思ったものだ。女性の男性に対する言葉だとばかりおもっていたから。

ところが、この勿忘草の花言葉の元になった古いお話(伝承)を知って、実は逆で、男性の女性に対する言葉だということを初めて知った。

ならば、勿忘草とは逆に、女性から男性に向けた〝私のことを忘れないで〟という花言葉を持つ花は何だろう?と植物園の植物相談員さんに聞いてみたことがある。

そしたらマーガレットの花言葉にそれがあった。
ギリシア神話によるものらしい。月の女神アルテミスが弟のアポロンに騙されて、愛するオリオンを射殺してしまった。そのアルテミスの悲哀の想いが「私を忘れないで」という言葉としてマーガレットに付けられたというのだが。……何故マーガレットなのか?と思った。

その話には続きがあって、月の女神アルテミスの悲しいギリシア神話が伝わっていった後世に、人々は女神アルテミスに真珠のように白い花を捧げるようになった。ギリシア語で真珠のことをマルガリーテスと言っていたので、その花の名前がマーガレットになったということらしい。

そのふたつの花、勿忘草とマーガレットの花言葉の話を、私は自分の人生において二番目の、そして最後の大恋愛をした真由子が生きていたときに聞かせてあげたことがある。
子宮頸がん末期ステージⅣ-Bで余命宣告を受けて、自宅療養することになった彼女の実家へ私は毎日通っていた。彼女の家族たちも私のことをまるで婿養子のように受け入れてくれていて、私が行くと「おかえり」と言ってくれていた。なんだか私も本当の家族のような気になって「ただいま」と返事をしていた。

そんな四月のある日、楽天市場のフラワーショップで見つけて注文していた勿忘草とマーガレットのブーケを持って、真由子の実家へ向かった。
「マユと俺の約束のブーケのつもり……まあ、ウェディング・ブーケってゆーの?そんな感じのつもり」
私はそう言いながら、彼女にカタチだけでも結婚指輪を嵌めてあげたいと密かに思った。
ふたつの花言葉の話をしたことを覚えていた彼女は
「あたしが旅立つとき、一緒に持って行きたいからお願いね」
……と、微笑みながら私に頼んできた。泣くまいと覚悟をしていたけれど、泣きそうになってしまったから
「そんなときはもう枯れちゃってるから持ってけない」
と悪態をつくように顔を背けて誤魔化した。


今年は真由子の七回忌の年。
法要を予定している日には、ふたつの花とも咲いている時期がすぎてしまって花が持たない。けれど、開花時期の重なる三月から六月までの命日のどこかで、同じようなブーケを墓前に供えたい。騎士ルドルフが恋人ベルタに力を尽くして勿忘草をあげたときのように。

私にとっての勿忘草は、そんな想いのこもった花だ。

2/1/2024, 2:52:43 PM

テーマ/ブランコ



私の齢は60歳に到達する3年手前。
そんな歳の私でも、ブランコを見かけるとつい乗りたくなる。幼いころから好きな乗り物だった。初めて乗ったときのことを、オトナになっても夢に見ることがあるくらいだ。その夢には決まって母親の印象というか雰囲気がつきまとっていた。……母親との思い出でも夢に見ているのだ、というくらいに思っていた。

「なんでそんなにブランコが好きなの?」
と聞かれたことがあった。そのときはなんでだろう?と深く考えたことはなかったけれど、そう聞かれてストレートに思ったことは

〝空に吸い込まれるくらい高く漕ぐのが気持ちいい〟

そんな感じ。……なのだけれど、もう何年も前からなんだか心に引っかかるものを感じていた。なんでこんなにブランコが気になるのかと。

7年ほど前に、東京の自由が丘にある有名な占い館で鑑定してもらったことがある。そのときに

「あなた……小学校へ入る前、特定は難しいけれど、そのくらい幼かった時期に家族以上に想い慕っていた歳の近いお姉さんのような人がいたでしょ?」

と言われて、ドキッとした。
私は一人っ子だったから、まるで兄弟姉妹のように近所の子供たちとよく遊んでいた。その中でも一番仲良かったのが2歳年上のヒサコ姉ちゃんだった。

「二人でよく一緒にブランコに乗って遊んだりしてますよね?イメージとしては、二人で抱き合うくらいの近さで何かに乗って揺れている感じを受けたのですけど……」

そう言われて思い出した。
どうして忘れていたんだろう……何かきつく閉じていた蓋を開けたときのように昔の出来事が飛び出してきた。頭の中でグルグル、グルグルと螺旋を描くかのように。


そうだった。
私が初めてブランコに乗ったのは、ヒサコ姉ちゃんの膝の上に座って、後ろから片腕をまわして私をしっかり抱きしめてくれながら漕いでもらったんだ。

確か、そこに母親が血相を変えてやってきて
「ヒサコちゃん!落ちたら大ケガするでしょ!」
みたいなことを言って、ヒサコ姉ちゃんを叱った……

漕ぐのをやめて、しばらく私を後ろから強く抱きしめて

「ごめんね。もし落としたりしたら大ケガさせちゃうところだったね……」

と言って……そしたら、私の頬に雨が当たったんだ。でもそれは雨なんかじゃなくてヒサコ姉ちゃんの涙だった。ヒサコ姉ちゃんの泣いている顔を見たら、私も悲しくなって一緒に泣いたんだ……ヒサコ姉ちゃん悪くないのに。楽しかったのに。

そんなことがあっても、その後も親には内緒で私はヒサコ姉ちゃんと一緒にブランコに乗って遊んだんだった。

空は青くて眩しくて、そんな空に吸い込まれるくらいに漕いで、そのときのヒサコ姉ちゃんの笑う声も、私には心地良かったんだ。

1/29/2024, 9:08:47 PM

テーマ/I love...


私の人生でかけがえのない女性。……たち。


……ふたり、いました。


人生で初めて本気で愛した人は6歳年下の美樹でした。
高校2年の時に家庭教師として教えていた小学6年生の女の子。初めは教え子としか意識していなかったけれど、彼女が高校2年の時に恋愛の対象として意識するようになりました。私の両親も彼女の両親も、私たちが近いうちに結婚するものだと思っていました。
でも、あるトラブルのために、彼女は短大を卒業してすぐに失踪……。再会したのはそれから20年後のことでした。その再会した日に、彼女は交通事故で40年の人生に終止符を打ってしまいました。

◆◇𓏸✧︎✼••┈┈••┈┈

美樹が失踪して二年が過ぎた頃に、大学時代のサークルで知り合った人と成り行きのような感じで結婚。のちに明らかになったことなのですが、その結婚は政略というか仕組まれていた結婚だったのです。
その結婚と美樹の失踪に関係があったことを知ることになるには、彼女が亡くなってから五年という年月を要しました。
しかし、そのような黒い事情を知らされるよりも前に夫婦関係は壊れていました。三年間の別居を経て正式に離婚。別居が始まった当時、小学6年生だった娘は私との生活を望んだので、私と二人で暮らすことになりました。

◆◇𓏸✧︎✼••┈┈••┈┈

人生で「これが最後の恋愛」と意識した人は、職場で知り合った16歳年下の真由子でした。
父子家庭で何とかやりくりしていた上に、私の両親が共に認知症とアルツハイマーで、二人して新潟市南区にある白根緑ヶ丘病院に長期入所していたため、その両親の面倒も私が一人でやっていました。統合失調症になったりもしましたけれど、娘の笑顔に救われて克服することができました。

それでもやはり、私には時間が1日24時間では足りないほど追い込まれてあっぷあっぷしていました。そんなときに、私にお昼のお弁当を作ってくれたりして何かと支えてくれたのが真由子でした。16歳も離れているので、親戚の叔父さんを手助けしてくれている優しい姪っ子という感覚で、彼女の好意に甘えていました。


そんなときに美樹と20年振りの再会、そして交通事故による死。20年振りの20年分の愛情と、突然の死による懺悔にも似た悲しい後悔と罪悪感……もう立ち直れない……なんで自分は生きてるんだろう。どろどろとした黒いものに飲み込まれそう……

そしてとうとう、私の心臓が悲鳴をあげてしまいました。職場で突然、意識を失い倒れてしまいました。
新潟市民病院の一般内科での精密検査及び循環器内科でのサンリズム検査を受けて診断されたのは、ブルガダ症候群。心室細動による心臓突然死を引き起こす原因不明の病気でした。
娘のことだけが心配だったので、娘を母親の住む東京にある女子高へ進学させたことを、そのとき本心から良かったと思いました。

◆◇𓏸✧︎✼••┈┈••┈┈

安心すると同時に、どうして自分は今も生きてるんだろう。どうして死なせてくれないんだろう。と、そんな暗闇の中にいました。

「おとさん、無理しなくていいから生きて。おとさんの隣で一緒に歩かせてほしい。これからは、おとさんの人生にあたしも参加したいの。だからお願い、生きることを諦めないで。歩き続けてほしい、あたしに手伝わせてほしい!」

真由子は泣きながら、私にそう言ってくれました。そのときに彼女の流した大粒の涙が綺麗すぎて、何となく胸の奥のほうでぽっと小さな光が灯ったような感じになりました。
なので私は医師の勧めるICD(植え込み型除細動器)植え込み手術を受けることにしました。2013年2月14日、ICD植え込み手術実施。
そして退院したあとも、彼女は献身的に私の生活を手伝ってくれました。娘が東京へ行ってしまったので、私が一人で暮らしていることを心配して、彼女はときどき私の家へ泊まりに来てくれました。

私はいつの間にか、そんな温かい真由子のことを愛おしく感じていました。私に生きる希望を与えてくれました。今、私がこうして生きていて、立てているのも彼女が隣にいてくれたから。

◆◇𓏸✧︎✼••┈┈••┈┈

ずっと一緒にいたいと願いました。でも、16歳も歳が離れていることに戸惑いもありました。仮に健康な体だったとしても、きっと私が先に死んでしまうだろう。そしたら彼女を悲しませてしまう。寂しい想いをさせてしまうだろう。同じく悲しませるのだったら、やり直しがきく今の若いうちに……彼女を愛しているから、彼女には笑っていてくれないといやだ。泣いてほしくない。ずっと幸せでいてほしいから。

真由子と二人で沖縄へ行きました。そして、それを最後に私から身を引きました。もう誰かを愛したりしないと決めました。

◆◇𓏸✧︎✼••┈┈••┈┈

それから歳月は流れて、2018年3月。4年振りに真由子から電話があって、驚きと戸惑いがありました。どうしても会って伝えたいことがあると。そして彼女の実家へ伺いました。……彼女は子宮頸がん末期のステージIV-Bで余命宣告を受けていることを話してくれました。

なんでそんなことになるんだよ!神様は間違ってる!
こんなことになるために真由子と別れたわけじゃないのに……逆なんだよ!死ぬなら私のほうが先だろ?……愛してるのに、こんなのウソだろ?

あのとき、彼女が私のために見せてくれた大粒の綺麗な涙を思い出しました。もう、彼女のそばから離れないと覚悟を決めました。余命宣告なんて関係ないと思いました。美樹のときのような悲しい別れは絶対にしない、させない。このとき、真由子を最期まで看取ると自分自身に誓いました。

2018年6月、真由子35歳という若さで永眠。
真由子、あと1か月長く生きていられたら36歳の誕生日プレゼントにって思って指輪を用意していたんだよ。君の左手の薬指に嵌めてあげたかったです。

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