色野おと

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テーマ/勿忘草(わすれなぐさ)



vergissmeinnicht ふぇあぎすまいんにひと

〝僕のことを忘れないでください〟

騎士ルドルフはそう言って、最後の力を尽くしてこの花を恋人のベルタに投げると、ドナウ川の流れに飲み込まれてしまった。
ベルタは彼のお墓にその花を添えて、彼の最後の言葉をその花に名づけた。

私はこの水浅葱色(みずあさぎいろ)の小さな花が愛おしく思ったものだ。女性の男性に対する言葉だとばかりおもっていたから。

ところが、この勿忘草の花言葉の元になった古いお話(伝承)を知って、実は逆で、男性の女性に対する言葉だということを初めて知った。

ならば、勿忘草とは逆に、女性から男性に向けた〝私のことを忘れないで〟という花言葉を持つ花は何だろう?と植物園の植物相談員さんに聞いてみたことがある。

そしたらマーガレットの花言葉にそれがあった。
ギリシア神話によるものらしい。月の女神アルテミスが弟のアポロンに騙されて、愛するオリオンを射殺してしまった。そのアルテミスの悲哀の想いが「私を忘れないで」という言葉としてマーガレットに付けられたというのだが。……何故マーガレットなのか?と思った。

その話には続きがあって、月の女神アルテミスの悲しいギリシア神話が伝わっていった後世に、人々は女神アルテミスに真珠のように白い花を捧げるようになった。ギリシア語で真珠のことをマルガリーテスと言っていたので、その花の名前がマーガレットになったということらしい。

そのふたつの花、勿忘草とマーガレットの花言葉の話を、私は自分の人生において二番目の、そして最後の大恋愛をした真由子が生きていたときに聞かせてあげたことがある。
子宮頸がん末期ステージⅣ-Bで余命宣告を受けて、自宅療養することになった彼女の実家へ私は毎日通っていた。彼女の家族たちも私のことをまるで婿養子のように受け入れてくれていて、私が行くと「おかえり」と言ってくれていた。なんだか私も本当の家族のような気になって「ただいま」と返事をしていた。

そんな四月のある日、楽天市場のフラワーショップで見つけて注文していた勿忘草とマーガレットのブーケを持って、真由子の実家へ向かった。
「マユと俺の約束のブーケのつもり……まあ、ウェディング・ブーケってゆーの?そんな感じのつもり」
私はそう言いながら、彼女にカタチだけでも結婚指輪を嵌めてあげたいと密かに思った。
ふたつの花言葉の話をしたことを覚えていた彼女は
「あたしが旅立つとき、一緒に持って行きたいからお願いね」
……と、微笑みながら私に頼んできた。泣くまいと覚悟をしていたけれど、泣きそうになってしまったから
「そんなときはもう枯れちゃってるから持ってけない」
と悪態をつくように顔を背けて誤魔化した。


今年は真由子の七回忌の年。
法要を予定している日には、ふたつの花とも咲いている時期がすぎてしまって花が持たない。けれど、開花時期の重なる三月から六月までの命日のどこかで、同じようなブーケを墓前に供えたい。騎士ルドルフが恋人ベルタに力を尽くして勿忘草をあげたときのように。

私にとっての勿忘草は、そんな想いのこもった花だ。

2/2/2024, 7:31:30 PM