色野おと

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テーマ/逆光



あれは小学4年生の頃のことだったと思う。
私は小学校へ入学したときから毎週日曜日には油絵教室に通っていた。その油絵教室の課題で、その題材を探すために近所の大きな白山公園までカメラを持って出掛けていたときだ。

私は公園の中央にある瓢箪池に架かる木の橋を渡っていた。その橋は藤棚になっていて、ちょうど藤の花が枝垂れて咲いていた。

橋の床板に落ちた木洩れ日の中を熊蜂の影が行き交っていて、半分遊び感覚でそれをうまく写真に撮れないかなあとしゃがみ込んで考えあぐねていた。今のようにデジタルではないから安易に試し撮りなんてできないし、そもそもその年代では試し撮りという考えさえ持ってはいなかった。

母方の祖父から譲り受けたRollei35sというフィルムカメラにも四角い窓で照度計の針を確認することはできたけれど、光のコントラストが強すぎるとその照度計もブレができるため、カメラ屋さんのアドバイスで単体の入射光式の露出計を携帯して適正露出・絞りを設定して撮影するようにしていた。かれこれ2年近く、そんな写真の撮り方をしていたので煩わしさみたいなものを感じることはなかった。

その露出計を木洩れ日の揺れる床板に直置きにして適正露出を測っていたときだった。
「やあ少年。お前さんは一体何をしてるんだ?」
と声を掛けられた。興味津々といった感じの踊るような調子のオジサンの声。

お遊びでとは思いながらも撮影することには真剣だったので、〝ジャマすんなよオッサン、ウルさいなあ〟と心の中で吐いたのだけれど、気持ちを抑えるという自己制御はできるようになっていた。

私は笑顔を作って声のほうへ見上げるように顔を上げた。藤棚の房のあいだからチラチラと漏れてくる直射日光のせいで、声を掛けてきたその人の顔の表情がよく見えない。笑っているのか?しかめっ面しているのか?
とりあえず、
「藤の花の揺れている影と熊蜂の影を一緒に写真に撮りたくて、この床に映る光の強さを測ってました」

するとそのオジサンがまた話し掛けてきた。
「お前さんみたいなまだ小さな小学生がそんな高度な写真の撮り方をするなんてね。そこまでする必要あるのかい?」

正直、バカにされたと思った。だから、
「ボクは絵の教室に通っていて油絵を専門に描いています。その題材選びのために、自分が描きたいと思ったものの正確な光の表現が欲しくて写真を撮っているだけです。油絵にとって正確な光と影の濃淡が必要だからやってることです。いけませんか?……それとも、通るのが邪魔なんだったら邪魔だということを伝えてくれたらいいことなんじゃないんですか?」

そしたら、そのオジサンは笑いながら
「お前さん、ものをハッキリと言える子だなあ。それとも怒らせてしまったかな?素直な反応というか、可愛くないというか、まだまだ可愛い男の子だ。お前さんがもう少しオトナになったら、私のやっている写真教室に来てみるといい。お前さんのやっている油絵と同じくらいに写真も楽しいものだから。撮影の邪魔をして悪かったね」

本気で言ったのかどうか分からない。
ただ、そう言っているとき、逆光の中でそのオジサンはニッコリ微笑んでいるように思えた。

1/24/2024, 2:34:39 PM