テーマ/特別な夜
タイトル《星降る鼓動》
娘が4歳だった頃だから2001年のことだ。
11月18日、日曜日。夕方の空は曇っていたので、
星は見えないかもしれないと諦めていた。
そしたら娘が
「大丈夫。絶対に晴れるから連れてって」
と自信満々に云う。その自信は何処からくるのか……
意外と無垢な子供の直感というのは当たったりする
ものかもしれない。そう思って、弥彦山のほうまで
クルマを走らせた。
妻は「バカらしい。明日、仕事だしムリ」と言って
一緒には来なかった。娘と私は暖かい格好をして
絶対に見てやる!と気合いを入れて出掛けた。
夜20時あたりから、星空のどの方向をみても
流れ星が1分にいくつも見えはじめて……
まるで線香花火の火玉がポツンと落ちるみたいに
見えたりもしていた。
きっと、もう二度とこんな流星の雨をみることは
ないのではないかと思えるほどの光景だった。
「お父さん、わたし、今日のこの夜のこと……
絶対に忘れないと思う。星たちがすごくドキドキ
ワクワクしてるみたいだね!心臓の音が聞こえそう」
「……心臓の音?……って、誰の?(笑)」
「んーとね、この空ってゆーか、星たちの心臓。
星たちがドキン!ドキン!って鳴ってるみたい」
娘は星々が鼓動しているみたいだって言いたい
のかもしれない。
でも確かに、星々の音が聴こえてきそうなくらい
たくさんの星々が降ってるように見える夜だった。
娘の直感を信じて良かった。
そんな娘は8月のしし座の生まれだ。
しし座流星群だけに、
娘は何かを感じ、信じていたのかもしれないなあ。
娘と私にとって、
この日の夜は特別なもののように思えた。
テーマ/海の底
ゾクッとした。
このテーマを見たとき、なんで知ってるの?
と思った。
いや、そんなことはない。
そんなことがあったら逆に怖いって思う(笑)
でもときどき、このアプリが表示するテーマを見ると
なんだか見透かされているような気になるのだ。
私の、この世で一番大好きな詩がある。
金子みすゞさんの《星とたんぽぽ》
いつ、どんなときもその詩を言葉にしたくなるとき
私は声を出して、空で暗唱している。
そんな、つねに自分と共にある詩……
《星とたんぽぽ》 金子みすゞ
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきにだァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
この詩を中学生のときに初めて読んだとき、
私の愛読書『星の王子さま』に出てくる
キツネの言葉を思い出した。
幼いながらも〝とても大切な言葉だ〟と思っていた。
「さっきの秘密をいおうね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
テーマ/君に会いたくて
《ナンキンハゼの並木道で》
初めて一緒に歩いたのは、君が小学5年生だった頃の秋のことだ。当時、私は高校2年生で、夏休み前に中学校教諭をしていた母親の知人を通して「個人的に家庭教師をしてくれる人を探している」と紹介されたことがキッカケだった。最初に会ったときは、小生意気な女の子だなあって思ったものだ。
一学期の期末テストで算数の点数が34点。もともと算数だけは苦手のようで、何が分からないのかが分からないといった状態だった。
夏休みだけの家庭教師のアルバイトのつもりで引き受けた。その代わり、本気で君と向き合った。週に2回のハズだったのが、君も本気になって勉強してくれて、素直に感情を返してくれるものだから私もつい嬉しくなって、トコトン君の勉強に付き合った。アルバイト代なんてどうでもよくなって、ほとんど毎日一緒に勉強した。
夏休みが終わって二学期が始まった。
二学期からは学習塾に通うらしいことを君のお母さんが言っていたので、家庭教師のアルバイトも一段落ついた。なのだけれど、10月の中ごろに行われたはずの中間テストの結果がどうにも気になっていた。算数のテストの成績はどうだったのだろうか。夏休みに一緒に勉強した成果は出せただろうか。君はまた落ち込んだりしていないだろうか……
そんなことを気にして数日が経った頃だった。
夕方、君のお母さんからウチに電話があった。学校からまだ帰ってきてないと言って、泣き出しそうなくらい君のことを心配していた。
でも私には君が行きそうな場所がすぐに分かった。根拠というハッキリしたものはなかったけれど、絶対にそこにいると思ったから、その場所へ全力で走っていった。一緒に勉強していた合間に君がウキウキして話してくれていたことを思い出しながら。
〝あたしの好きな場所はねぇ、あたしが通っていた旭保育園のそばのナンキンハゼがたくさん並んでいる通りなの。ナンキンハゼの葉っぱのカタチってカワイイから、ずっと見てられるの。秋になるのが楽しみなんだあ♩〟
あれから40年。
今もこの寺裏通りのナンキンハゼの並木道を歩いていると、あのときのことを思い出す。
息を切らしてこの並木道に来てみると、暮れなずむなかで君はお寺の裏の塀垣(ブロック塀)に背もたれて、真っ赤に色づいたナンキンハゼのハートのような葉っぱを見上げていた。
私が来ることを知っていたかのように驚きもせずに、ナンキンハゼを見上げながら
「先生?心が通じるっていう花言葉って本当なんだね。先生がここに来てくれるって思ってたよ……信じてたの」
「ナニ言ってんだって?お母さん、美樹ちゃんが拐われたんじゃないかって心配してウチに電話してきたんだからな!……ていうか、算数のテスト……ダメだったのか?」
「そんなわけないよ。何点だったと思う?(笑)」
「んー……50点?くらい?」
「ザンネンでしたあ。60点!」
「マジか!ホントよく頑張ったなあ、エラいエラい」
「……先生?あたしね、塾行きたくない。これからもずっと先生から教えてもらいたいの。そのこと、お母さんに言えなくて……なんて言おうかなって、ここで考えてたの」
「そうだったんだ……分かった。その答え、お母さんの前で教えてあげるから一緒に帰ろうな」
そのとき私が分かったのは、君の気持ちと云うよりも、私自身の本当の気持ちだったように思う。
君は嬉しそうに笑って、私の手を掴んだ。
その6年後の夏、高校二年の夏休みに君が一人で新潟市から川崎市麻生区にある小田急線百合ケ丘駅近くの高台の私の住むアパート〝ハイツ根岸〟へ、親公認のお泊まりで遊びに来た。先生と教え子という関係から恋人へ。
君は私を追いかけてきてくれて、私と同じ玉川学園内に併設していた女子短期大学に入学した。君はあのとき、小さな声で約束したことを守ってくれていたんだよね。
そして時は長く流れて、12年前の2012年8月。
40歳という若さで君はこの世を去った。
今もふと、君のことを想う。
君に会いたくなると、秋ではなくてもナンキンハゼの並木道 ┈┈ 寺裏通りの歩道をひとりで歩く。夕暮れに手を繋いで歩いたあの日のことが昨日のことのように甦る……
君が私の手を掴んだとき、私は君のその小さな手を強く握り返した。君のことをずっと見守っていきたいって思ったんだ。そしたら君も強く握り返してきて、君の消えそうなくらいの小さな声がした。
「あたし、ずっと先生の隣で歩きたいから頑張るね。約束」
君と過ごした時間がとても、とても愛おしい……どうしようもないくらい、堪らなく君に会いたい。
テーマ/この世界は
神様が言いました。
「物語をつづろう。遥か遠い遠い昔、まだこの世界には銀河が3つくらいしかなかった頃の、私たちに形の似た生き物が住んでいた瑠璃の色を帯びた星のことを想いながら」
そして神様が頭の中で想像しお話される世界がどんどんと広がり、4000億もの星々が渦巻いて、その渦の辺縁にちっぽけな炎をまとった星が出来ました。
また神様が言いました。
「太い火がたちのぼり、まるで龍のように見える。陽(ひ)彼方(かなた)に在り。珍しいあの星を太陽と呼ぶことにしよう」
そして神様はその太陽のまわりに8つの星星が回ることを想像して言葉にしました。「星星に陽の光あれ」と。
そのうちの太陽から数えて3つ目の星が、神様の思い描いていた瑠璃色の星に似ているという発想から、かつては遥か遠い遠い昔に高度な文明があったせいで滅んでしまった瑠璃の色を帯びた星のことを想い、心から悲しみ嘆かれました。
同じ悲しみはしたくないと思われた神様は、その滅んだ瑠璃の色を帯びた星に生きていた知的生物と同じ生き物が生まれる星という設定を思いつきましたので、その瑠璃色の星に神様たちに似た形の生き物を住まわせるという物語を創造しました。
神様はその生き物を、自分の想像による神の形に似たヒトガタの間接的な生き物だという意味と祝福を込めて「人間」と呼ぶことにしたのです。
hu(地面・大地)-man(知能のある者)つまり「神の領域ではない地上に生きる神に似た知的生物」という意味で。
神様は物語を想像し、創り続けました。
「この物語は、あとこの先50億年続けてつづってゆこう。実際に存在するものではないけれど、私の想像する世界でしかないけれど、私が想像することをやめない限り、広がってゆく世界なのだ。せめて人間には私の想像を広げてもらうためにも自由な意思を与えよう。もし都合が悪ければ、ほかの生き物のようにまた人間から意思を取り除けば良いだけなのだから」
神様はもう悲しくならないように、願いを込めました。
「この地に生きるすべてのものに祝福の息吹を」
そして、この瑠璃色の星に知的生物と同じように創造された人間たちは、いつしか文明を築き、この星に「earth」とか「地球」という名前をつけて、星の周りに広大に渦巻く銀河のことを「Milky Way Galaxy」とか「天の川銀河」と呼ぶようになりました。
神様はとても喜びました。
「この世界は私の想像による物語の中のことでしかないけれど、そこに生きるあらゆる生き物たちも本当に存在しているかのようだ。美しいものには名前を付けて、お互いを思いやって争いごとなく平和的に共存共生している。とても嬉しいことだ。私の神としてのチカラの成せるワザであることよ。
もっと想像して、この物語を膨らませてゆこうぞ。そして何億年か先、この人間たちが私の意に背くことなく幸福に平和に生きてゆけたのなら、50億年経った頃に私の倅にでも頼んで、この今の仮想のものでしかない世界をお手本にして《本当に存在する世界》を造らせてみたいものだなあ」
テーマ/どうして
どうしてだろう?
YouTubeとかTikTokなどで開運アップ動画・金運爆上がり動画などと称して「〇分以上見てください」だとか「スルーすると運気が下がるので危険です」とかって言って、音楽付きのヘタな動画を見せるニセモノな人たちがいるんだけど。
どうしてだろう?
そういうの真っ赤なウソだって分かっているのに視聴してしまう。
どうしてだろう?
そういうの、時間が盗まれていることに危機感を感じないほど鈍化している。
どうしてだろう?
昔はネットは正しい信頼できる情報だけだったのに、今は正義と等しいくらいの悪が蔓延っている。
どうしてだろう?
断捨離という言葉が当たり前に使われるようになった今でも、ネットだけは誰も断捨離しようとしない。かくいう私もインターネットに関して三行半を突きつけることができないでいる。
インターネットって、本当に必要ですか?
どうしてだろう?
必要だと答える人が圧倒的だと分かっているのに……
それでも私はインターネットなくても生きていける。
そんなふうに本心をさらけ出す私はpeakyっぽい?