テーマ/夢を見てたい
雪混じりの雨の降る週末、ひとりで街に出た。
たくさんの開いた傘で賑わう交差点、歩行者天国。
そのスクランブルの一角にあるスタバの開けた大きなウィンドウに、交差点内を行き交う人達の姿と店内に座る人達が重なって映っている。まるで夢と現実のはざまの流れのように思えた。
もしもあのとき、ふたりして違う決断をしていたら……と思うと、もしかしたら今ごろは君と一緒に夢を選ぶように楽しい毎日を過ごしていたのだろうか? あのウィンドウに見える別々の光景のどれかが、自分の見たかった夢のように。
私は透明人間なのだろうか?……私はちゃんと存在してますか? すれ違う人に確認してみたくなる。なんだか私だけがこの世に参加していないみたいに、虚ろな気持ちでスクランブル交差点を歩いている。
みぞれ混じりの濡れた路面を歩きながら、もう会うことのできない君を想う。また明日会えるかのような夢を見るように……
そして、その切なさに押しつぶされそうにもなる。それでもやっぱり君の微笑む表情を思い出すと、胸の奥で春の木漏れ日が気持ち良く揺れるような感じを覚える。
ついさっき立っていた場所とは反対側の角にたどり着き、濡れた傘を閉じて雨が止むのを茫として待つ。ふと昔の思い出がよみがえる……
学生だった頃、明日のことでよく夜に電話をした。どこで待ち合わせるだとか、どんな服を着ていくだとか、何食べるだとか。今日あったことを細かく話したりもして、親が近くで聞き耳を立てているなかで、長電話をしたり。今みたくLINEとかメールなんていうものがなかったから、話す内容も慎重に選んだりして。だからなんだろうな……《明日を夢見る》なんていう表現が成り立っていた気がする。電話の中の君の声を聴くと明日が夢のようにも感じられた。
カチャンと受話器を静かに置く音。目が覚める。交差点を行き来する人達で賑わう街の音がフェードインするように小さな音から入ってきた。あとは夢やら現やら。心の中で憂うように微かな笑みを作る。
できるものならもう一度、あの頃のように君のことで夢を見ていたい。
天国の君に捧ぐ。
テーマ/ずっとこのまま
2018年5月。
生きていてくれてさえいれば、それでいいって思った。
私の人生最後の恋人は、子宮頸がん末期でステージ4Bまで進行。薬物療法も改善の見通しが困難で、本人の希望で自宅療養に切り替わった。
限られた時間を過ごすなか、その彼女にとって人生最後になるだろう子供の日に、彼女のお母さんの実家がある加茂市の《加茂川の鯉の吹き流し》をどうしても見に行きたいと彼女は言った。
看護師同伴で、彼女のお母さんと私を入れて4人一緒に加茂川までドライブをした。
河原の水際の近くまで彼女の車椅子を押してあげた。自分の体よりも大きな鯉のぼりが、川にそって流れる風に乗って、青空に向かって泳いでいた。彼女は私の撮る写真が好きだと言って、いろいろと注文をしてくる。そのとき彼女が私に注文したのは……
「あたしも写真撮ってみたい。おと君のそのカメラで」
そのとき私が愛用していたのはキャノンのEOS7D MarkIIというデジタル一眼レフカメラだった。今の真由子には少し重いかもしれないと思った。それでも久しぶりに無邪気な彼女の笑顔を見たら、仕方ないなあという気にもなって。
彼女の首にストラップを掛けてやって、カメラの絞りとピントだけは私が調整してあげた。カメラのファインダーを覗く彼女の後ろから、カメラを持つ彼女の手を包むように支えてあげた。近くで彼女の静かな息づかいが伝わってくる。
これからもずっと、こうやって一緒に写真を撮って生きてゆけたらいいなあ……泣きそうになった。溢れそうになる涙をごまかすために、もう一枚撮ってみようと元気な声で促した。
ふと後ろを振り向くと、彼女のお母さんがそっと泣いているのが見えた。呼吸が乱れそうになる。吐き出そうとする息づかいが震えそう。彼女に気づかれたくないので、深呼吸をしてみせた。
「すごく澄んで気持ちのいい空気だよね」
と無邪気そうに彼女は言った。堪えるので精いっぱいだったから「うん」としか答えられなかった。
こんなにも悲しいのは、今まで彼女と過ごしてきた時間がとても愛おしいからだ。楽しかったことばかりがいっぱい浮かんでくる。
もうずっとこのまま、時間が止まって欲しいと願った。
テーマ/寒さが身に染みて
外から帰ってきても、しばらくは部屋の中で厚手のアウターを着込んだままストーブの前にしゃがみ込む。
手袋をしていたにも拘わらず、指先の感覚はまるで雪の中についさっきまで差し込んでいたあとのようにジーンとしていた。
急に暖めたせいで、かえって痛痒くなる……それも痛い感覚が70パーセント、痒い感覚が30パーセントといった状態だ。思わず自分の内腿に両手を挟んで強く擦り合わせてしまった。
表面的にはカラダじゅうから寒さは拭えたのだけれど、なんだかカラダの芯が軋むように感じる。ホットココアを飲むという選択もあったけれど、早めにお風呂へ入ることにした。昔と違って今の給湯器は沸くのが早い。20分もしないうちにコールサインが鳴って、人肌よりも2℃高めの湯船に肩までどっぷりと浸かった。
お風呂セットの日本の名湯〝別府の湯〟を入れたせいか、微かに蜜柑のような香りの湯気が立ちのぼる。薄い灰色のにごり湯に何となく鼻の高さまで潜って、ブクブクと息を吹いて遊んでみる。
そんなことをしていたら何やらどうしたものか、若い頃の色んな辛かったことを思い出した。でも、その全部を乗り越えてきて今がある。どんな人生にも必ず春の陽気は訪れるもんなんだよなあ、などと火照り微笑みながら、声なく独り言ちるように心の中で思った。
寒さが身に染みるから、あとで暖まることの喜びやら幸せというものを噛みしめるように感じることが出来るんだよね。
なんだかうとうととして来て、気持ち良くてお風呂の中で寝てしまいそうになった。湯冷めしないうちに裏起毛のあるフリース地のルームウェアを着込んで、さらに半纏を羽織った。ストーブの点いたリビングでアイスクリームを片手にソファーへ腰を沈める。なんという幸福感かしら。なんならばアイスケーキまで食べられる勢いはあるやも。
身に染みるほどの寒さが嘘のようだけれども、そんな寒さがあったからこその温かな幸せな時間を満喫している私なのである。
〝三日月に手をのばした 君に届けこの想い〟
ふとそんなフレーズがよみがえった。
泣き出しそうになる絢香の三日月という曲……
もう18年も前になるんだなあ、と思う。
2006年の秋に見た三日月がすごく印象に残っている。
その曲を聴きながら見上げたせいだろう。
さらに遠い昔の……1992年。
結婚を約束していた6歳年下の彼女が、まるで神隠しにでもあったように理由も告げずに居なくなった。
その二年後、1994年2月12日。東京では大雪のためにすべての交通手段において交通マヒを起こした。そんな日に、私は魂が抜けたまま……本心を隠してほかの女性と結婚式を挙げたわけだけれど、やはりそんな結婚生活は上手くはいかなかった。長くは続かなかった。
私の親友の云うことには、
「元からそんな心のない結婚、運命の神様だって妨害しようとして大雪を降らせたに決まってるだろーが」
……らしい。
それでも私には、愛しくて抱きしめたくなるほどの、守ってあげたいと強く思う一人娘ができた。その愛娘が小学3年生のときに一緒に見た三日月。
あいにく空は快晴ではなかったけれど、ゆっくりと流れる雲の合間から細く光る三日月が覗いた。娘がどうしても欲しいといって、TSUTAYAで予約していた絢香のシングルCD《三日月》……その買ってきたばかりのCDの封を切って、ポータブルのCD Walkmanに入れた。
小学3年の娘と一緒に近くの公園で、絢香の三日月を聴きながら空に浮かぶ三日月を見上げた。
今の幸せがあれば、それで十分なんじゃないか? もう、ないものねだりみたいに過去の人を未練がましく想い続けるのは止めたほうがいいだろうな……そうやって、心の奥深くにしまいこんで、硬く蓋をした。2006年9月27日のことだった。それがまさかその6年後の2012年に、20年振りの再会を果たすことで硬く閉じていた蓋を開けることになるとは……それはまた別のお話なのだけれど。
テーマ/三日月
冬の空はどんよりとしていることが多い。
それでも青い空が見えて、
冷たいながらも温かいヒカリを感じる日なんかは
季節の中でも一番、空は澄んでいる。
だから陽のヒカリが余計に明るくさえ感じる。
冬だからこそ見られる貴重な、かけがえない空。
季節とともに暮らしていた昔の人たちは
そんな日を〝冬日和〟と云ったものだ。
そして、空は晴れているにもかかわらず、
小さな小さな、手に乗るとすぐに水滴になる雪が
少し暖かい陽射しの中をちらちらと舞う……
そんな〝風花(かざばな)〟が見られる日もある。
私が子供だった頃は
厚着をして手袋をして〝凍晴(いてばれ)〟の空に
四角い凧をあげてわいわいとしたものだった。
冬晴れというのは、そんな冬だからこそ
心を豊かにしてくれる天気模様だなって思う。
そんな冬晴れの日に、もし訊ねられたなら
なんて思うだろう……
「きみは、雪がとけたら何になると思う?」
テーマ/冬晴れ