色野おと

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1/5/2024, 8:28:19 AM

幸せってなんだろう?って57になった今でも考えることがある。数年前、知人に「もっと幸せそうに笑いなよ」って言われたことがあって、私は〝これでも幸せだと思ってるんだけどな〟と言い返した。

そしたら知人は「幸せっていう感じが薄いように見えたから…」と返してきた。

でも幸せって、他人が決めることじゃないよね?

例えば、優しさというものは人によってイロもカタチも違うわけだけれども、それって〝優しさ〟は自分が成長するのと同じように自分で育てていく心なわけよね。

幸せの感じ方もその優しさのイロやカタチとシンクロしていると思うんだよね。つまり、幸せは自分の心次第。

もっと言えば、幸せというのは人それぞれの優しさが感受する自分の想いなんじゃないのかな?

……って、最近思うのよ。


テーマ/幸せとは

1/2/2024, 1:33:05 AM

謹賀新年
あけましておめでとうございます。

お隣のそのまたお隣の石川県で大きな地震。
新年早々に。

やっぱり日本には……
絶対的な神様なんて居ないんだって思ってしまった。
日本の正月を根底から覆すことを思わずには居られなかった。

世界の何処の国でも、人というのは自分たちがワイワイ楽しみたいために偶像をでっち上げる不信心者が多いって、なにかの特集記事で読んだことがある。そして、私はそんな不信心者にはなりたくないと強く自分自身に願ったものだった。そしてそうやって神社が祀る神様を信じて生きてきた。

2024年1月1日。
私は人生で初めて不信心者と同じ心情を抱いてしまった。それこそ、私の心の中で大きな地震が起きたようなものだ。

だけど、そうなのだけれども。
どんな災害に見舞われようとも、諦めない限り人というのは復興できるということを、世界中の災害のあった国々のニュースや記事を視聴して読んで知っている。そしてまた人には信じることによって再生出来るチカラがあることも知っている。

……試練。
そんな言葉がよぎった。かの有名な哲学者ニーチェが自著『偶像の黄昏』の中で云っている言葉を思い出した。

〝Was mich nicht umbringt,macht mich staerker.〟と。

原文はドイツ語なのだけれど、これを英訳すると
「What does not kill me, makes me stronger.」となる。直訳するなら
「私を殺さないものは、私をいっそう強くする」なのだ。

しかし、一般に広く訳されているのは《生あるかぎり、すべてが試練だ》という言い回しである。私も学生の時に読んだその言葉のままで記憶に刻まれている。私の過ごした母校の大学には「全人教育」という珍しい科目があって、全ての学生が履修することになっているわけだが、その授業で教授から教わったことだった……

平和ボケしていたのだろうか、いつの間にかずっと大切なことを忘れていたような気がする。人は生きている限り試練の連続で、またその意思の選択の連続であるということを。

新年、1月1日という元旦に気づけて良かったと思う。
ニーチェのように絶対的なものを否定的に捉えるニヒリズムを主義とするものではないけれど、私もどちらかと言えば安易に絶対的なものを信じようとは思わない。
まずは自分が自分の中で経験してきたものから学び、その確かなものを信じなければ、本当の意味で地に足をつけて物事を考えることは出来ないのだと、改めて気づかされた。
こんなことを考える新年は、私の人生で初めてだったかもしれないなあ。


テーマ/新年

12/30/2023, 3:21:39 PM

大殺界という言葉がある。
六星占術という占いの中で使われている最悪に運気の落ちた状態のことだ。


私はこの三年間、その大殺界にあった。
ちなみに私はその六星占術でタイプ分けされているところの木星人(+)で、今年がその運気の苦しい最後の1年間だったのである。
ようは、ようやくその年季が明けるということだ。


占いというものを私は20%くらいでしか信じてはいなかった。世の中に溢れる占いのほとんどは人類の長い歴史の中で培った統計学のようなもので、占いに振り回されてる(影響されてる)としたら、統計の上に成り立った人生って何なんだよ?って思えたし、自分の中でそういうものに反発せざるを得ない気持ちが強かった。


しかし、そんな統計学でしかない占いでも、その人類の長くとてつもなく大きな時間軸によって生まれた統計が、時には自分の時間軸とバシ!っと当て嵌ることがあることに〝これでもか〟と打ちのめされることがある。


2021年10月、私は急性心筋梗塞で倒れた。本当ならばその時に私は死んでいたのだ。本当ならば。


運良く生還出来たのは、元々ある心臓障害で左胸にICDという埋込み型除細動器が入っていたからなのだ。心室細動があったり、万が一心臓が止まったときに電気ショックを与えるというものである。


ICDが作動したお陰であれ、私は再び生かされた。
そして二度とタバコは吸わないと固く決意して、禁煙などという生易しい態度ではなく厳しいまでに断煙・拒煙した。食生活においても大好きなスイーツは50%カットして、塩分も1日6gをできるだけキープ、プリン体含有量の多い食材はできるだけ摂らない……などなど心臓の負担になる嗜好・習慣を抑止することを徹底した。


毎月、循環器内科の定期外来を受診して、健康チェックしているけれど、2年を経て今年の1年間は目覚しい成果が出てきて、かかり付けのドクターも驚いていた。
今月の外来では久しぶりに胸部レントゲン撮影をしてみたのだけれど、写真で目視してもハッキリ分かるくらい心臓が少し小さくなっていた。


心臓というのは負担が大きいと心筋が肥大もしくは拡大して、レントゲン写真で見ると心臓の影が大きくなって写る。私の心臓の影は2年前の倒れた時のものより小さくなっていることが、素人の私が見ても分かったほどだった。ドクターは「小さくなったということは、心臓の負担がなくなったからで、これはとても良い兆候です」と仰られた。


1年間の生み出される成果というのは、何も無いところから出来ているものではなく、この1年間よりも前からずっと何かが繋がっていて、ある想いによって必然的に自分の取るべき行動が明確になる。その事に気付こうとも気付かずともそういう長いプロセスがあって、この1年間の成果として表れるものなのだと云うことを改めて学んだ一年であったと思う。つまり、人生何かやることにムダなことなどないのさ。


そんなふうに思うとね、今年1年間に自分のとった行動の中で《その時はムダだったなあ》と思っていたことも、きちんと何かに記録しておくことも良いことなのかもしれないね。来年はそんなことにも意識して過ごしてみようかと思う。


テーマ/1年間を振り返る

12/29/2023, 3:28:48 PM

いま、少し離れたテーブル……右手斜め前にある、リビングの出窓のある角に置かれた座卓なのだが……そのテーブルの上に有田みかんのMサイズが6個並んで置いてある。正月にはそこに、おせち料理の重箱を置くのだが。

これだけじゃ足りない、とふと思った。
正月の三が日は初詣のお賽銭とおみくじとお守りを買う以外にはお金を絶対に使わないと決めている。だから今のうちにみかんは買っておこう。私はこの時期、みかんをかなり消費してしまう。絶対にたったの6個じゃ足りないのは明らかなのだ

かれこれ10年前にはなるが、冬場に《焼きみかん》を食べるようになってから、自分のみかん消費量が2倍以上に跳ね上がった。焼きみかんを食べると血行が良くなるせいなのだろうか、冷え性が改善されたし風邪もほとんど引かなくなった気がする。いや実際、風邪は不思議と引かなくなった。
焼きみかんの医学的根拠は定かではないけれど、本当によく効く。私だけだろうか? みかんだけに〝みんかん〟(民間)療法の代表例となっても良さげ……なんて、くだらないオヤジギャグさえ出てきてしまう。

みかん。……やっぱり箱買いしようかしら?


テーマ/みかん

12/26/2023, 1:18:29 PM

子供の頃、いつまでも不変であることを信じて、またそうであることを願ったことがある。そして、そんな願いは叶うことなく、現実は裏切るものだということを叩きつけられる出来事があった。そのことで私のこころの中の〝夢〟という小さな世界は崩れ壊れた。

幼くして〝絶望〟という言葉を知らないまま、絶望という感覚を味わうことになった。そういう経験をして、私は夢を持つことは自分を苦しめるものでしかないと、何処か冷めた子供だった時期がある。私にとってのエピソード・マイナスワンである。それはまた別のお話。

そしてまた逆に、不変であることで絶望していたことから、変わることでその絶望から立ち直れるという希望が持てるようにもなった。いわゆるエピソード・ゼロと言える出来事 ​────


私は生まれながらにして、母親の持つ〝忌わしいもの〟と受け取れる遺伝を受け継いでいた。小学二年のときにそれが原因で不登校にもなり、地元の大学附属病院で診断されたのが神経障害だった。今でこそその障害の程度は軽くはなったけれど、やはり今でもある景色や色を意識して見ると、他人には聴こえない〝音〟として、心地よいとか気分が悪いとかに関係なく聴こえてしまう。

私のそんな奇妙な体質を知っているのは、母親と母方の祖母とドクターの三人くらいだった。すごく仲良くしていた友達にバレるのが怖かったし、そのことで変なヤツだと決めつけられて嫌われるのが恐ろしくも思えた。そもそも、学校のクラスの担任の先生に「聴こえない音が聴こえるなんて、お前は変な子供だ」と言われたことで学校というものが信じられなくなった。

不登校になって、初めて私の友達になってくれたのは市立図書館の司書さんだった。図書館にある大型版の美術書で『ムンクの叫び』を見たときに、強烈な音が頭の中で響いた。頭痛と吐き気で机に突っ伏していたときに、その司書さんが肩に優しく温かな手を添えて「大丈夫?」と声を掛けてくれた。

優しくて、オットリしたような声で、今でいう天然っぽくて、何よりも色白で綺麗というか可愛いような、その半々な顔立ちで私の顔を覗き込んできた。不思議だった。真っ黒でドロドロした気分だったのが一瞬にして晴れた感じだった。素直な気持ちにもなれて、自分の奇妙な体質のことやそのせいで学校へ行かなくなったことなど全部を打ち明けた。何故だろう?何故なのか、そんな気持ちにさせてくれる人だった。

学校へ行かなくなって、もうじき4か月が経とうとしていた秋のある晴れた日。友達の司書さんがピクニックに私を連れ出してくれた。今思うと、まったく赤の他人なのにそこまで親身になってくれるなんて、ホント変わった人だなって思う。でも心から信じることのできる大好きなオトナの人だった。ずっと今のまま変わらないでほしいと思ったものだった……ずっと年の離れた友達のままで……と。

私はその司書さんの惜しむことなく与えてくれる優しい心と言葉によって、だんだんと自分という存在が嫌なものではなくなっていった。奇妙な体質であっても上手く付き合って、他人とも上手く距離を置くとかして関われそうだとも思えるようになった。
そして私はまた学校へ行くようになった。音視という神経障害は相変わらずではあるものの、世の中の見え方が変わっていった。それだけでも私は成長できたし、変わることが出来た。

神経障害に縛られて生きていくなんてもう嫌だと強く思った。変われるものなら、私はもっと変わっていきたいとも思えた。忌わしいという気持ちは少し残ってはいるけれど、その音視であることを恐れることなく、もっと他人と関わっていこうと。

今も思い出す優しい友達の声。
「変わらないだなんて諦めないで。怖がらなくていいんだよ。必ず変わってゆけるから、君は変わってゆけるから。そこからもっともっと希望が生まれてくるから。そうやって君は生きてゆくの。変わらないものなんてないんだから。でもね、変わらないものもあるの。それはね、私の大事な小さな友達……君と私の約束だよ」


テーマ/変わらないものはない

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