色野おと

Open App
12/25/2023, 12:02:16 PM

友達や家族と賑やかに過ごしたイブとは対照的で、25日はこころ静かに過ごす。それでいながら、微笑まずにはいられないくらいの豊かな時間が流れて、天使から祝福を受けているかのような気持ちで一日を送る。

実際、私のしていることと云えば、24日におすそ分けしてもらったジンジャークッキーと高級感あるインスタントなコーヒーをリビングのテーブルに置いて、ソファーには座らずに床に敷かれたギャッベに腰を下ろして読書に耽る。

その年の目新しい書物を読むわけではない。
小学一年のときに父親から譲ってもらった47年来の旧知の友と言っても不思議ではない愛読書に目を通す。初めて読破したのは中学になってからなので、かれこれ45回は確実に再読していることになる。

〝飽きもせず〟と我ながら思うこともあるのだけれど、こういう日だからこそ傍において、こころで会話をするかのように頁をめくって読み耽る。そこには私だけの特別感がある。そんなふうにして過ごすことで、クリスマスは特別な日に思えてくるのである。



テーマ/クリスマスの過ごし方

12/24/2023, 7:12:28 PM

シュトーレンの最後の一切れを食べ終わった。

私の世界から彼女の息吹が消失してこの5年というもの、ひとりのイブを過ごすのが恒例となった。

世に云うクリスマスまでのアドベントのあいだ、計ったように切り分けたシュトーレンを食べながら私が待ち続けたのは、ほんとうのところクリスマスではなかった。

「待った」というのとは少し違う。「消費した」のほうが私の真実には近いのかもしれない。私の目的は、シュトーレンの思い出とともに過ごすことなのだから。

彼女が生前、よく作ってくれたシュトーレンはほんとうに美味しかった。珈琲よりも紅茶がよく合っていた。その彼女とのクリスマスまでの4週間に交わしたタカラモノのような言葉の数々を思い出す。

一日ひと切れずつ食べるごとに一つの会話を思い出す。こころのなかに灯ったロウソクのような優しく小さな灯りを、まるで手のひらで守るように大切に大切に。

イブの夜、一切れのシュトーレンとともに最後の思い出を振り返ったあと、人知れず涙を零した。けっして悲しい涙ではない。ひとって、嬉しいとき、幸せなときも涙を流す生きものなんだ。

その温かいものが溢れた時間……私にはそれこそが何物にも代えがたいクリスマス・プレゼントなんだ。

今年もこころの温まるイブの夜だった。



テーマ/イブの夜

12/22/2023, 11:29:02 AM

2023年12月22日。今日は冬至の日だ。
今日だけは必ず湯船に柚子を浮かべる。

冬至の柚子湯は物心ついたときから我が家の為来りになっていたので、この慣わしになんの疑いを持つこともなく従ってオトナになった。

柚子湯を知らない如何にも現代っ子という、田舎(親の生まれ育った実家)を持たない都会生まれの都会育ちの女性と所帯を持った。その新婚生活の初めての冬至の日に、お風呂の湯船の中に柚子を浮かばせたら

「へえ、いい匂いだねえ。柚子をお風呂に入れるのって聞いたことあったけど、そんなお風呂、今まで入ったことないなあ。ホントにカラダ温まるの?」

そんな問い掛けに、何云うでもなく微笑んでみせる。
いつか授かるであろう自分の子供には、オトナになったときに心豊かになる思い出・経験をいっぱいさせてあげたいと、そのとき密かに思ったものだった。

子供の頃は当たり前だった柚子湯に、オトナになって初めて拘りを感じるようになった。なにより、ゆずの香りが醸し出す情緒……湯船から立ちあがる温かい湯気の中で、生まれてこのかた脳裏に染みついた懐かしい昔のお風呂の匂いの記憶を思い起こす時間……それが堪らない。天井から落ちてくる雫が湯船の中に小さく音を立てる。それを聞くたびに幼い頃の記憶が鮮明に甦ってくる。

私にとっての〝ゆずの香り〟は、単なる柚そのものの香りとは違う。幼いときに過ごした家は昔ながらの木の造りの家で、土間があったり玄関控えの間があったり、お風呂といったら檜の壁に黒い天然御影石の床で、薪で湯を沸かす板張りの湯船だった。お風呂はそんな匂いが凝縮したような空間で、私にとってのゆずの香りの記憶もそんなお風呂の匂いがブレンドされたもの……

だからかな。そのような懐かしい匂い、私にとっての《ゆずの香り》を再現するのは今の時代、逆に贅沢すぎて出来ないからこそ、懐かしい記憶に浸りたくて、今もずっと冬至の日には柚子湯に浸かるのです。


テーマ/ゆずの香り

12/21/2023, 3:45:33 PM

眩しいくらい笑っているように見える空がある。雲がひとつもなくて、それはまるで一番最初のピースをこれから嵌めていく、まっさらなパズルのような空だ。そんな真っ青な大空を見ると、ぐっと手を伸ばしてみたくなる。いや実際、伸ばしているのだけれども。


10年前の2013年2月に、私はブルガタ症候群という心臓疾患で左胸にペースメーカーに似たようなICD(埋込み型除細動器)なるものを植え込む手術を市民病院で受けた。そのせいで心臓機能障害1級という最も重たい障害認定を受けた。正直、それからの7か月間は生きているという実感も気力もなく荒んだ生活を送っていて、空を見上げるなんてことをした記憶すらなかった。
この世には笑うという事象が存在しえないかの如く絶望しかなくて……線香が腐ったような黴にも似た、体に染みついてきそうな《闇》の匂いに支配されて、息をすることが苦しく吐き気さえ感じた。
それまで契約で働いていた職場も辞めて、私に優しく寄り添ってくれて懇意にしていた職場の女性のことも自分から遠ざけてしまった。

それにもかかわらず、その元職場の女性…真由子は諦めもせずに、時間のあるときは私の隣にいて心を支えてくれた。その彼女の惜しむことなく降らせ与えてくれるたくさんの優しさに私は救われていく。
「辛いよね、怖いよね。でも弱音吐いたっていいんだよ。そんな自分を認めてあげて。今までお嬢さんのこともご両親の介護も全部一人で頑張ってきたんだから、あなたの場合はめげることを許してあげてもいいのよ。心臓の病気はあなたに休んで欲しくて起きたことであって、絶望させるためじゃないの。わたしはそう信じたいの」

真由子のその言葉に何かを許されたかのような、寒々と凍てついていた心が春のように温かさを感じ始めた。目の前にかかっていた靄が晴れていくようだった。
彼女は私が欲しいと求めているものを与えてくれる。温かくて、優しく輝くような笑顔を見せてくれる。全てを覆いつくして、あらゆる苦しみを光で晴らしてくれる。彼女はそういう人だった。それなのに……2018年6月17日、子宮頸がん末期(ステージ4-B)で逝去。享年35歳だった。


彼女も私も空が好きだ。そして私は晴れた日には必ず空を見上げる。この空の遥か彼方の何処かに真由子の魂は住んでいて、今も笑ってくれいる、優しさを降りそそいでくれている……そんなふうに思うと、いつもより空は優しく美しく見えてくる。そこには眩しいくらいに笑っている彼女の笑顔が浮かんで見える。雲ひとつない真っ青な空ならば、パズルが完成したときの彼女の微笑みが見られるように、私は心の中で山盛りになっているピースをその大空に嵌めていくように、ぐっと手を伸ばす。



テーマ/大空

12/20/2023, 12:18:18 PM

この年の瀬が迫る時期に〝ベルの音〟と言えば、大抵の人であればクリスマスと繋がるイメージを持つことだろう。

かく云う私もそのように意図を汲んだりもしたけれど。正直なところ、最初に思い浮かんだのは電話の呼び鈴……《電話ベル》のことだった。

お洒落にクリスマス・ベルのことでも書けば良いのだろうけれど、私の長年の生きてきた光景のなかで《電話ベル》は深く強い印象で残っている。

携帯もパソコンさえもなかった昭和時代が私の青春の真っ只中だったせいかもしれない。電話と言えば、家の玄関付近に置かれていて、ベルが鳴れば家人の誰かしら気づいた者が先に受話器を取りに玄関へ足早に向かう。

年末のこのような寒い時期に電話で長話をしようものなら、暖かい格好をしなければ玄関の冷たい空気との厳しい闘いになる。雪など降ろうものなら、家の中だというのにダイヤルを回す指が冷たくてかじかみそうにもなる。そうなのだ、玄関の凍てつく空気の中で響きわたる電話のベルの音は精神の闘いのゴングのようなものでもあった。

だがひとつだけ、そんなベルでも心が踊るようなベルの音に感じられることもあった。仲良くしていた女友達から「今日、夜の○時○分くらいに電話するね」と言われていて心待ちにしていたときのベルの音だ。長話になることを想定して、準備よく厚着していたりもして。それを見た親からは「あんた、もしかしてこれから何処か出掛けるの?」などと聞かれもしたりして。

今のスマホのように、鳴れば直ぐに出られるというものではなかっただけに、そんなベルの音にも深い思い出・ストーリーがあったんだ。それはそれでいい時代でもあったんだろうなあ、なんて。



テーマ/ベルの音

Next