色野おと

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12/19/2023, 5:56:35 PM

人に囲まれて
ワイワイやっていても
寂しいと感じるときがある

逆に一人でいて
静かに時を過ごしていても
寂しいなんて感じないことがある

私は一人はきらいじゃない
でも孤独に感じるのは嫌だ
孤独が好きという人もいるけど
それは孤独にその人なりの
奥ゆかしい色を感じているから

結局、寂しいって
心のなかで揺れる色を感じない
そんな心境のことなんじゃないかしら

でも、かならずしも
楽しい色だからいいというわけでもない
褪せて廃れたような掠れた色にも
趣があっていいと思うことだってある

あえて寂しさを味わう奥ゆかしさ
日本にはそんな感傷に浸る文化すらある
寂しさって、複雑な日本語だと思う
言葉の背景を読まないと分からない単語だ

そんな言葉を使える日本人って本当は
すごく豊かで言語レベルの高い国民かもね
使い方が乱れている感はあるけど
日本語をもっと大切に使いたいなって思う

じゃなきゃ
せっかく日本人に生まれたのに寂しいよ?



テーマ/寂しさ

12/18/2023, 9:35:42 PM

遠い、いつだったかの自分が良かれと思って選択した自分の答えが、今という未来を導いた。指を折って数えてみたら、遠いと思っていた過去もたかだか12年でしかないことに気づいた。なんてことだろう、忘れていた。記憶に蓋をして、忘れたいと願っていたからなんだ。気持ちとしてはもっと遠い過去の思い出のよう……彼女が20年振りに再会したその日に交通事故で亡くなってからまだ12年しか経っていないというのに。


だめだ、もう自分を欺きたくない。蓋を開けなくちゃ。恐る恐る……そしたら、この12年間のギャップのせいなんだと思う。望まない未来と望んだ未来が交差して、脳髄が痺れるほど揺らめいたように気持ちがよろめいた。大切だった彼女への会えなかった20年分の諦めと一途の想い。姿を消した彼女を探すべきだったのに、数年で諦めて別の女性と結婚をした。私はあのとき逃げたんだ。それを正当化して間違った選択をしてしまったんだ。


彼女と再会するまでの20年間は、本当は自己欺瞞と乾いた孤独に支配されていたんだ。再会したとき、40歳になった彼女は言ってくれた…「この20年間、忘れたことないし、気持ちは変わってないよ」


私は自分の常識を物差しにして、彼女は既に結婚をしていて幸せな家庭を築いていると思っていたから「20年振りに美樹に会えて嬉しい。でも、今のお互いの幸せな家庭のためにも俺たちはもう…会わないほうがいいよね。君が幸せでいてくれて俺は嬉しい」と少し嘘を言ってしまった。
私はもうそのときは妻とは離婚が成立していたし、娘も東京の女子高へ進学して、いくら娘を見捨てた過去があるにしても母親であることには変わりないわけだし、今度は別れた妻から生活の面倒をみてもらえるようになった。なので私自身は幸せと言うよりも、娘と離れ離れになった淋しさがあったが故に、幸せになりたくて男の一人暮らしをしていたに過ぎなかった。


彼女は目を潤ませながら帰って行った。その後ろ姿を見送ったのが、まさか彼女がこの世に存在する最後の姿になるとは思ってもいなかった。それから三日が経った日、彼女の6歳下の妹が職場に訪れた。妹の智奈美が小学5年生だったとき以来の再会なので、最初は誰かと気づかなかったけれど、どことなく当時の面影はあったので「もしかして」とは感じていた。
その妹が私と顔を合わせるなり「お姉ちゃん、三日前に事故で亡くなりました!」と怒鳴って、私の頬を激しくビンタしてきた。そして狼狽えた私の胸に厚めの日記を押し付けてきて「お姉ちゃんの日記!最後のページ読んでよ!」と泣きながら叫んだ。妹のいうように渡された日記の最後のページを開いてみると、そこには……


〝今から彼に会いに行く。20年振りの彼はきっと大人びてはいるけど変わってないはず。だってわたしも変わってないもの。彼に会うために、わたしはずっと一人で生きてきたんだもの。彼が離婚したということを父から聞かされた。今しかないぞって。この20年は秘密裏だったけど、やっとわたしたち、もう一度、今度こそ一緒になれるって信じてる。いま会いに行きますね〟


ああああああっ……

馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だっ!!!!
幻滅だっ、自分は、私は本当に大バカ野郎だ!!
言えばよかった、彼女に対する本当の気持ち。今も大好きだって。仕事を早退してでも彼女と一緒にいるべきだったんだ。職場の入っているビルの1階エントランスで、子供みたく叫ぶように大声を出して大泣きした。恥ずかしさなんて感じないほどの罪悪感があった。


彼女が高校二年の夏休みに、川崎市麻生区百合ケ丘の小田急線沿いの高台にある私のアパートへ泊まりがけで遊びに来た。親公認で初めてのお泊まりだった。そのとき彼女が楽しそうに言ったことを思い出す。「わたし来年は受験生でしょ?だから今度、冬休みに帰省したらさ、日帰りでもいいから一緒に瀬波温泉行こうよ♫冬のデートってまだしたことないけど、でもわたしきっと好き」


私の人生、一度目の本気の大恋愛が始まった日だった。
(これは実話です)



テーマ/冬は一緒に

12/18/2023, 4:02:29 AM

取り留めはあったほうが良いのだけれども、ときとして、敢えて取り留めのないほうが重くならなくて話し易い場合もある。これはそんな実際の話……



私は既に五十代後半……あと三年も経てば還暦を迎えることになる。いや、そんなこと言える今年もあと2週間を切ったのだね。いやいや、そんな話ではない。

私は受け持っていた仕事のせいで、父の亡くなる際も、母の亡くなる際もそばに居てあげることが出来なかった親不孝者だ。人としてどうなのか?と自問したりもしたのだけれども、時期的に私の一人娘が大学生になったばかりでいろいろと費用が嵩むこともあって、その養育のために仕事に専念せざるを得なかった。

人の子としては残念なことをしたけれど、人の親としては真っ当なことをしたと思っているので、人としては五分五分ってところじゃないかしら?



で、私の人生ってなにやら運命のめぐり合わせが悪いと云うかなんと云うか、安易に言ってしまえば数奇な人生なのやもしれない。初婚の相手は超絶わがままな都会っ子のマザコン娘で、自分のわがままのためにまだ小学生だった娘を置いて一人で東京の実家に逃げていってしまった。まあそこまではよくあることではあると思う。

実は、その初婚となった相手と結婚することになる前に、本当は長年付き合っていた6歳年下の女性がいて、正式な結納はしてなかったものの両家の親同士からも結婚を許されていた。実際、結婚するのもカウントダウンが始まってもおかしくなかった。そんな頃に、誰も理由が分からないまま彼女は私の前から姿を消した。あとで知ったことなのだけれども、その失踪の裏で初婚の相手の母親が糸を引いていたという事実があった。そこにはいわゆる自分の娘を嫁がせる策略があった。私の父方の祖父は広い土地を持っていて、先祖代々続く地主だったし、私と結婚しておけばそれなりにメリットはあった。そういう財産を狙っての夜叉のような醜悪さ浅ましさがあった。

そんなことも知らぬ間に一人娘も生まれて、その愛娘が小学6年生の頃に妻は自分勝手丸出しで逃げて別居、そして離婚。娘も大学生になり東京で一人暮らしを始めるまでに成長した頃、私の職場に実に二十年振りに6歳年下の元彼女が現れて再会を果たした。……のもつかの間、その彼女はその再会した日に交通事故で亡くなった。

責任の重い仕事からのストレスに加えて、彼女の死の痛手・心痛もあって、遺伝性のある心臓疾患で職場で倒れた。精密検査の結果、ブルガダ症候群と判明。原因不明の心室細動によって心臓が突然止まってしまう病気のことだ。



その職場には、私がシングル・ファーザーとして生活と仕事を切り盛りしていることを陰から応援してくれて、何かとサポートしてくれていた16歳年下の女性がいた。あまりにも優しくしてくれるので、一度二度、デートっぽいことをしたこともあったのだけれど、自分の心臓障害のこともあって私から遠ざかってしまった。最後は喧嘩っぽくなってそのまま私は病気を理由に退職し、二度と会わなくなってしまった。

その五年後の2018年。その優しかった元職場の女性から突然「直接会って話したい。私の家まで来て欲しい」という連絡があった。彼女の実家へ向かい五年ぶりに会った彼女はベッドでの生活を送っていた。とても痩せていたし、長かった自慢の綺麗な髪もバッサリ……という激変した容姿だった。女性特有の子宮頸がんで末期(ステージⅣ-B期)に入っていて、長く持ってもあと四ヶ月とのことだった。私が一番辛かったときに優しく支えてくれた人がどうしてそんなことになるの? 神様なんて理不尽すぎると、本気で天に怒りをぶつけた。

彼女には最期まで私の知っている心の可愛い女性のままでいて欲しいと願った。そんな女性なんだということ、愛されるべき女性なんだということをちゃんと分かっていて欲しくて……「俺と一緒になろう。結婚しようよ。できる限りの思い出を残そうね」


……ダメだ。当時のこと思い出したら悲しくて寂しくて、もうこれ以上書けない。中途半端ですみません。



テーマ/とりとめもない話

12/16/2023, 3:53:45 PM

風邪と言えば、
この5年間一度も風邪をひいてないのですが。

おバカになってしまったのやも(笑)
《馬鹿は風邪をひかない》って子供の頃からことわざとして知ってはいるけど、この言葉の意味をちゃんと考えたことがなかったように思う。

調べてみると、江戸・天明六年(1786年)に松葉軒 東井(しょうようけん とうせい)なる人物が編纂した諺語(げんご)辞典に《馬鹿は風邪をひかない》と同じ意味とされている「信天翁凮不引(あほうかぜひかず)」ということわざが記されている。


なんでアホのことを表現するのに“信天翁(しんてんおう)”という漢字を使ったんだろう? って思うのよね。


調べてみると、「あほう」って言葉は知られている限りで古い時代だと鎌倉時代に遡るらしい。
鎌倉時代前期の歌人である鴨長明の書いた仏教説話集の流布本『発心集(ほっしんしゅう)』八巻のなかで「臨終にさまざま罪ふかき相どもあらはれて「彼(あ)のあはうの」と云ひてぞ終りにける」とある。

文字(漢字)表記としての「阿呆」がアホの意味として書物に出てくるのは幕末で、慶応三年(1867年)にアメリカ人宣教師ヘボンが編集した日本初の和英辞典である『和英語林集成』なので、室町時代の「愚物(あほう)」という表記が出てくるまでは「あはう」「あほう」「安房」という書き方しかなかったわけなのよ。

信天翁(しんてんおう)というのは和名ではアホウドリと呼ばれている鳥のことを中国・明(ミン)代の『丹鉛総録(たんえんそうろく)』という書物のなかで記されていた漢字表記。この漢字が日本に入ってきたときにアホウドリのことを意味する漢字だと知って、当て字で「あほう」と読むようになったらしい。で、その説明の和訳をネットで探すことができたんです。個人が訳したものなんですけど、それによると、

《信天翁は自分の餌である魚を自分では捕ることができないので、鷹が捕まえて取り落としてしまった魚が空(天)から落ちてくるのを信じて、そのずっと待っている様子がお爺さんのようで暢気な鳥である》

……ってことらしい(笑)


で、その状況を想像してみたの。
鳥のことじゃなくて、お爺さんのことを。岩場で竿を持って釣り糸を海に垂らしながらも、ポカーンと呆けて空を見上げつつ鷹が捕獲した魚を落としてくれないかなあ~なんて思って、ずっと竿を持ちながら岩場に座ってるの(笑) でもお爺さんはその時間を全然苦痛だなんて思ってなくて、むしろ愉しんでいるのよね。周りで見ている人はそのお爺さんのことを「なにやってんだ、あほうだなあ」って思うかもだけど、本人はお構いなし。だってお爺さんはずっと待っていられるように、ちゃんと準備していたのよ。あほうなんかではなくて、本当は賢くてしっかり準備出来ているから、あほうのように振る舞えたんじゃないかなあって。

そんなふうに想像してみたら、《馬鹿は風邪をひかない》ということわざが今までの認識とは違って思えてきたのよね。自分の置かれるであろう状況を予測した上でしっかり準備ができていれば、どんな状況になっても、たとえ馬鹿に思われる状況になったとしても風邪をひくリスクは抑えられるって。

馬鹿になれるほど準備の出来た人は風邪をひかない。って、そんなふうに思いたいなあ。



テーマ/風邪

12/16/2023, 4:20:54 AM

「雪を待つ」……か。

12月。この時期になると写真に撮る題材の範囲が結構狭められてくる。うーん、自分の想像力が乏しいだけなのかもしれないのだけどね。それでほかの人たちが撮った写真を眺める。あー、こんな写真も12月に撮ってみると味があったりもするんだなと刺激を受ける。

だけど、それはときに地方性の違いで難しいこともあって、似たようなシチュエーションを探して街を散策することになる。まだクリスマスでもないのに早々とオシャレで煌びやかな電飾の飾りがチラホラと目に入ってくる。

子供だった頃は、この時期だともう雪が降っていた気がする。街の電飾を目にしていなくてもクリスマスが待ち遠しく思ったものだった。まあ今と昔ではクリスマスの過ごし方とか楽しむスタイルが変わってしまったからなのだろうけども。

なんだろなあ?……寒いのは苦手なのだけれど、あのようなキラキラした街の電飾よりも、まずは雪が降ってほしいなあ…なんて期待してしまう自分がいる。子供の頃に見た街の雪景色に憧れさえ感じたりもする。

ああ…そうだ。
もう何年も前から感じていたこと……
雪が降っている空を見上げて、ふわふわ落ちてくる粉雪を見ていると、それがまるで過去の思い出達のように私の心にたくさんの懐かしい光景がふんわりと、ロウソクの小さな火が灯るようにいくつも浮かんでくるんだった。

雪が降らなければ降らないで生活がしやすいし外へ出るにも動きやすいのだけれど、そんな現実的なことを思う私が言うのもなんだけど……雪もないのにクリスマス仕様のモミの木のイルミネーションとか情緒もへったくりもないよなあって思ってしまう。

過ごしやすさから言ったら不便にはなるけど、やっぱり私はしんしんと降る雪を待ちたいな。



テーマ/雪を待つ

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